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12月31日 東京−石垣島−与那国島

 毎年のこととなっているので驚かないけど、この時期の飛行機は遅れる。空港の混雑により、乗客を待つことになってしまうからだ。
 予定より15分遅れて註機場を離れたJTAのB737−200は、最終コーナー途中から加速するという粋な機長の操縦により(こんなことは初めてだ)、どよよんとした雲の中へ飛び立った。
 先日乗ったJASのMD‐81と違い(前回のDO‐YAHを参照いただけると嬉しい)、音楽は聞けるものの、3時間のフライトは結構疲れる。相変わらず苦手な飛行機。眠ろうにも緊張感が抜けないし、スッチーがやたらとコーヒーを薦めてくれるので、顔をこわばらせつつ(スッチーが恐いのではなく、高い所では会話を組み立てるのに苦労する)、何杯もカブ飲み。それにしても、何とかならないだろうか。「私はこうして克服した!」などのリポートを切に願う。お願い、文通して。
 この文章は、石垣島へ向かう飛行機の中で書いている。10時を過ぎ、宮古島の上空を通過して、下降を始めた所だ。
 CASSIOPEIA A-55Vの優位性については、改めて記すことはない。乾電池で動いて文章も書け、メールやFTPもOKで携帯性に優れているといえば、これくらいしかないのだ。大馬鹿野郎のIMに耐えなければならないが。期待していた画像のリサイズソフトは未だ登場せず、今回のリポートも文章主体で、写真は一日一枚きりに留めるしかない。
 飛行機は、無事石垣空港へ到着。どっと疲れる。
 残念だったのは、機内で沖縄音楽が聞かれなかったこと。JTA機が石垣に着陸すると、必ず機内に沖縄の音楽が流れたのだが、今回は流れなかった。あれを聞くと、いよいよやってきたか、と、気分が高まったのに、残念である。廃止されたのではなく、たまたまかからなかっただけだとよいのだが。
 驚いたことに、石垣空港ではPHSの使用が可能になっていた。よしよし、今後の旅に期待が持てる。
 石垣からはYS‐11が与那国島へご案内。来年ジェットが就航するらしく、私にとって、これがYSでの最後のフライトになりそう。って、明日の、与那国からの戻り便があるけどね。
 与那国へは、着陸待ちもあったため15分の遅れで離陸。上空はすっかり曇で、なかなかに揺れる。着いたら雨で、どっと疲れが。
 でも、雨の方はほどなくしてやんだ。まぁ、南国特有、って感じでしょうか。
 レンタカーを借り、民宿「中たけ荘」チェックイン後、強風の中、島をひと巡り。岬など、見晴らしのよい所では、立っているのがやっとな程の風で、観光気分もふっとぶ。
 結局は早々に観光はあきらめ(それでも主要な所を駆け足で全部回ったけどね)、島のお店を4軒もハシゴしてショッピング。島ならではの惣菜やビールを購入。お店を回るだけでもかなり楽しい。
 夕焼け待ちをしていたのだが、ほとんど焼けることなく日没となってしまった。とほほ。
 民宿へ戻り、夕食。メニューは八重山そばと刺し身など。目の前に泡盛の一升ビンが置かれ、自由に飲んでいいとのこと。遠慮なくいただく。
 民宿は、昔のままの家の造りで、なかなか風情があって落ち着ける。
 NHKの紅白を最初から見るのは初めてだよなぁ、と、すっかりくつろぐ。ただし、酒は控え目。
 実は、空港で、今日久部良の公民間のようなところでカウントダウンイベントがあるという情報を得、行くつもりになっていたのだ。イベントそのものは20時ころからやっていたのだが、結局行ったのは22時過ぎ。
 ステージもある広間に会議テーブルが並べられていて、酒盛りをしていた。蟹などの食材も、すべて無料でふるまわれていた。ステージでは、郷土芸能風の出し物をやっていた。
 おお、みんなで忘年会してる!、というのが正直な印象。詳しくはまとめに書くことにします。
 ほんの5分いただけで、いったん民宿に戻ることに。場にとけこめそうになかったし、アムロナミエを見てみようかなぁと。
 で、アムロを見た後、再び会場へ。
 ステージの歌と演奏と踊りにあわせて、ステージ近くで踊っている人が何人かいて、すっかり出来上がった宴会状態。人はかなり減っていた。
 カウントダウンを前に、「どぅんた」ということになり、会場に残った人、50人くらい(うち観光客は10人程度)、手をつないで輪になって踊る。
 太鼓や鐘の音が結構やかましい感じ。
 そして、カウントダウンの後、クラッカーを鳴らし、外ではバクチクの破裂音が。
 まぁ、こんな新年の迎え方もよいでしょう。
 その後も歌があったようだけど、私は宿へ帰り、原稿を書いている。
 新年、あけましておめでとう。


輪になって踊れ!