日本からの随行取材は、写真関係では朝日出版写真部の私と毎日新聞の出版写真部、それにAPの写真部から一人、あとは宮内記者会の記者団だけであった。このときは新聞各社は写真については、AP、UPIの海外通信社に任せようみたいな了解事項があったようだ。
写真はアサヒグラフ特集別冊に掲載することになっていたから、新聞への送稿がなければ現地で現像、電送の必用はないし楽なものだと思っていたら 、出発1週間前になって、せっかく行くのだから新聞への写真原稿を電送するように言われて、あわててその準備をはじめた。
海外での皇室関係の随行取材ははじめてのことであったが、とくに難しい問題もなかった。ご夫妻が到着される1週間ほど前に現地メキシコ・シティに行った。雑誌に掲載するための予備取材ががあった。モノクロ現像を依頼するために下町の繁華街にある写真店に行ったときにニコンFを2台盗まれた。これにはまいったが、なんとか東京からカメラを送ってもらって間に合わせた。
到着された日の歓迎行事の取材は順調にいった。いろいろな場所で取材する現地のカメラマンたちの顔ぶれを見て大体の様子がわかったと思っていた 。第1日は公式行事が多かったからカメラの人数も制限されていたし、そんなに混雑することはなかった。
第2日目、皇太子ご夫妻がメキシコ市郊外のテオティワカン遺跡に行かれるたとき、びっくりするようなことが起きてきた。ご夫妻が到着される前、集まったカメラマンを見て人数の多いのに驚いた。ピラミッド遺跡の入り口でヘリコプターを降りたご夫妻にたくさんのカメラマンが殺到した。
昨日からの撮影で、ロスアンゼルスから取材にきたアメリカ人のカメラマン、これはAPとUPI両通信社のカメラマンで日本の新聞社からの依頼を受けて出張してきている2人。
あとは現地のメキシコ人カメラマンだ。メキシコについてから東京から来ていたAPのMさんに聞いた新聞写真事情では、メキシコシティの日刊新聞はいくつかあって競争が激しい。各社とも写真部はない。
フリーの写真家が各新聞社と契約していて、取材を引き受けている。このカメラマンはフリーでみんな一城の主、各新聞社のビルのなかに1室を借りていて、助手が数人いる。それぞれが独立しているから同じ新聞社と契約していても競争が激しい。新聞に掲載されるかどうかで勝負が決まるというようなことだった。
このメキシコ人カメラマンが10人くらい現場にきている。それがみんな助手を2人ずつ連れきているから人数が3倍くらいにふくれあがる。何故、助手を連れてきているのか、はじめは撮影したフィルムを送稿するためなのかと思った。日本でも事件などの取材では送稿のオートバイ係に現場で撮影したフィルムを渡して間に合わせているから、多分それとおなじことだろうと思っていた。
皇太子ご夫妻がテオテオワカンの遺跡の入り口でヘリコプターを降りられた。入り口から遺跡までかなりの距離がある。この間が取材競争の現場になった。ご夫妻の歩かれるのを追っかけ撮影だ。
歩かれる皇太子が珍しいことだが靴のひもがとけて直されようとされた。美智子さんがしゃがんで手を添えようとされた。ご夫妻の目の前3メートルの所にいた。シャッターボタンを押そうとしたとき誰かが後ろから腕を押す。完全にいい瞬間の1枚を撮り損なってしまった。
誰が撮影の妨害をしたか、あのメキシコ人カメラマンの助手たちなのだ。助手を2人連れているのは、一人は他人の撮影を妨害する役目、もう一人は自分のボスのすぐ後ろにいて妨害を守るためであった。
つまり自分のボスにだけ写真を撮らせ、ほかのカメラマンには撮らせないというわけだ。後で聞くとメキシコシティーでは日常茶飯のことだと言う。この取材でアメリカ人カメラマンが撮影の邪魔をされ腹を立てて妨害した助手を殴ってしまうということが起きた。
メキシコシティーでは通用している撮影妨害だが、これはローカルルールだ。ほかの国ではあまり聞いたことがない。しかしうまい手を考えたものだ。カメラを構えている腕は前からの圧力に対しては、かなりの力が加わってもそう動かされることはないが、後ろから肘のあたりを押されると、ほんのわずかな力でカメラは簡単に動いてしまい写真は撮れない。
見ているとテオテオワカン遺跡での取材中ひっきりなしに小競り合いが起こっていた。この助手たちはほとんどが少年であった。身軽で動きが素早い。文句を言ってもどうしようもないことだから、取材中はとにかく後ろから腕を押されるのを警戒せざるを得なかった。
日本でもアマチュアカメラマンが撮影会などで、モデルに殺到して小競り合いが起こることがあるが、前に飛び出すカメラマンだって悪意があってやっていることはそうない。メキシコシティーでは妨害専用の助手をはじめから準備しているのだから驚きだった。
これも取材競争が生み出した特別の現象だったのだろう。もう30年以上も前の話である。現在はどうなっているのか知らない。