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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

三脚 Tripod
 屋上の物置を整理していたら、スリックの三脚が出てきた。ずいぶん昔のもので昭和30年代はじめに買ったものである。多分マグネシュームかアルミの合金製なのだろう。伸縮するパイプ部分が酸化して真っ白に粉をふいて固まってぼろぼろととれる。もちろん使い物にはならない。

 考えてみたら40年以上経っているのだから無理はない。あのころスリックの三脚は随分使ったなあーと思う。ほめられるような良い製品ではなかったから愛用したとは言えないが。ほかに良い三脚がなかったから使わざるを得なかった。

 朝日の出版写真部には大型の木製三脚やリンホフ製の大型三脚があった。リンホフ製の三脚などはエレベーター部分に人が載ってもハンドルがスムースに動くなどと変な宣伝文句で売っていたのを覚えている。

 5×7サイズのグラフレックスを載せるのに真鍮製のとてつもなく重い三脚があったがこれも外国製であった。

 当時から一般用の外国製の三脚にもいいものがあったのだろうが、知らなかった。リンホフ製で伸縮する脚が円形のパイプ型ではなくてコの字型の製品があった。この三脚は軽くて持ち運びには適していたが、安定が悪くて使いづらかった。

普段持ち歩くのに都合の良い三脚はなかったから、ずいぶんと長い間、我慢してスリックを使っていたことになる。

 そのスリックも脚のつなぎ部分のパイプがかたくなって動かなくなったり、と思うとガタがきて締まらなくなったした。エレベーターが動かなくなり、雲台を締めるのに、ちょっと力を入れ過ぎるとねじ山がつぶれて動かなくなってしまった。

 しょっちゅう修理に出すものだから、スリック三脚の白石さんが写真部によく出入りしていた。スリックは白石製作所が製造し発売していた。社に来ていた白石さんは社長の弟さんだった。この人には三脚のことで随分と文句を言った記憶がある。

 白石さんはスリックの故障の原因は、材質だと言っていた。材料の金属の質を上げれば故障は起きない。しかし値段を上げると売れない。そんな値段のことなど考えずにつくればいいんだろうが、そうもいかないのでみたいな弁解をしていた。

 白石さんは値段のことと、目方、重量がいくら重くてもよければ、いいものが出来るとも言っていたように思う。このへんが商品としての三脚の難しさだったのだろう。

 重量に関して言えば、三脚の性能は目方(重量)に正比例すると言っていた写真部の先輩がいた。たしかに重いほうが安定する。目方があればずっしりと安定してブレは少なくなるから、この定理は一理あるが、それだけでよいとは限らない。

 三脚をつかうためには雲台部分がしっかりしていて、しかもスムースに動かなければいけない。重量も必用だが雲台にカメラが取り付けられたとき安定していて、さらにカメラを自由に動かすことが出来ることが必用である。

 話はすこし横道にそれる。『雲台(うんだい)』のことだ。三脚のほうはカメラや望遠鏡を安定して保持する3本脚の台のことだから説明を加えなくてもわかりよいが、雲台のほうは、はじめて聞くと何で雲台なのかわかりにくい。

 辞書には三脚上に取り付けカメラや測定器などを上下左右の方向にうごかし固定する装置と書いてあるが、何故これを雲台というのか語源がわからない。語源をとくに調べたこともないが、三脚の天辺につけて使うことから三脚の一番高いところの意味で雲がつかわれたのだろう。

 運台の動かす、働かすの運が雲に変わったのだろうという説と、はじめ蜘蛛台(くもだい)と言っていたのが、雲台(くもだい)に変ったという説を昔読んだ記憶があるが、あまりあてにならない。英語ではトライポッド・ヘッド(三脚の頭)と言っている。

 三脚の使い方には、カメラを何が何でもがっちりと固定して動かさない使い方もあるが、スポーツの撮影のようにカメラと望遠レンズの目方を支えるために使い、あとはふんわりと自由にカメラを動かすという使い方がある。

 この使い方のためには、雲台のスムーズな動きが要求される。ちょっと締めただけで手をカメラから離しても止まっていて動かない、それでいてわずかの力でカメラが動くことに対応することが必用なのである。

 手を離したとたんにレンズが下をむいてしまうようでは、とてもよい三脚、よい雲台だなどとは言えない。

 今のスリック三脚では想像がつかないことだが、昭和30年代のスリックはそんな要求にはとても応じていなかった。しかしそんな要求に応じられる三脚があることなど知らなかったからスリックですましていたとも言える。ほかの外国製品や国産三脚を探してみようとも思わなかった。

 スリック三脚の悪口を書いているようだが、国産三脚のなかには最近でも質の悪いものがいくらでもある。スリックの悪口は昔の製品のことである。写真学校の学生たちは1年生のとき、カメラと一緒に三脚を買うように指導される。

 最近の学校推薦の三脚のなかにマンフロット三脚などと一緒にスリックのプロ用三脚があって、学生が買うのは圧倒的にスリック製が多い。

 授業のとき、学校の備品のスリック・プロフェッショナルという三脚をときどき使う。これなど重量はあるがとてもしっかりしていて、昔、使用していたスリックに比べてみたら、月とすっぽんほどの違いで良くなっている。

 話は良い三脚のことだ。クイックセットという三脚がある。アメリカ製のクイックセットが普及しはじめたのが、いつころだったか記憶があやふやなのだが、クイックセットのハイボーイをを使い始めたときその三脚性能には驚かされた。

 たしかにいままでの三脚に比べてみたらずっしりと重かったが安定感の良さは抜群だった。
 記憶をたどるとクイックセットは、1964年・昭和39年の東京オリンピックのときにはまだ使っていなかった。

 多分昭和40年代半ば以降だと思う。朝日の出版写真部は新しいカメラを買うことにはかなり力を入れていたが、三脚の性能のことでどうのこうのといいはじめたのはハイボーイ以降のことだ。

 それまでも三脚は大事な道具であることは知っていたが、目をむいてこの三脚でなくては駄目だなどとだれもが言わなかった。しかしクイックセットが何本か写真部の備品で購入されると、しばらくは三脚はこれでなくてはと奪い合いになった。つまりみんなが良い三脚に開眼したわけである。

 ハイボーイを使い始めてまもなく、会社のお仕着せでなく自分でハイボーイを購入した。理由は一度ハイボーイを使ったらこれ以外の三脚は使えなくなったからだ。先週澁谷のビックカメラにいったとき見るとハイボーイは定価が6万6千円、実際は5万円6千円くらいで買えるようだが、その当時も値段は同じくらいだったように思う。

 当時、三脚に5万円も、という感じもあったが、そのときはためらわずに購入した。リンホフやハッセルなどの中、大型カメラ用に使うことが多かったが、35ミリカメラにだってハイボーイを使い始めたら、ほかの三脚はとても使う気がしなかった。

 そのとき買ったハイボーイは30年ほど経っているが、まだ現役で活躍している。かなり傷がついたり、ヘッド部分の塗料がはげたりしているが、一度も壊れたことはないし買ったときと同じようにしっかりとしている。高いようだが考えてみると安いものだ。

写真説明


スリック・プロフェッショナル
最近のスリック製品は昔の製品とは比べモノにならないくらい性能が良くなった。


クイックセット・ハイボーイのヘッド部分