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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

オリンパスペン
 新年おめでとうございます。新年を迎えると同時に新世紀ということで、いつまでも古いカメラのことをくだくだと書いているのもいささか気が引けるところですが、もうしばらくは半世紀ほどの間に生まれてきたカメラ、使ってきたカメラのことをつづけて書きます。

 オリンパス35のことを書きながら、いままでに自分が使ったオリンパス製カメラのなかで一番画期的なカメラはなにかと考えてみた。オリンパスというメーカーはたしかにいろいろ変わったカメラを発表し発売してきたと思う。デジタルカメラになってからだって、数年前、パーソナルユースのカメラが30万画素だった時代に80万画素のS−800Lを発表したのには驚かされたし、機能的にも外形のデザインでもずいぶんと新しいことをやってきている。

 昭和20年代後半にオリンパス35とつきあったのが始まりなのだが、これからあと振り返って見ると、“これは”と思ったカメラはなんと言ってもオリンパスペンだ。いまでもはっきり思い出すのだが、出勤して朝日の出版写真部の部屋にいたとき、先輩の船山克さんのところにオリンパスの宣伝の人が新製品ペンをもってきた。たまたま仕事が暇で、部屋にいる部員がみんな集まってきてこのカメラを手にして品定めをした。

 カメラが小さいことと、35ミリ判のフィルムを半裁で使うというアイデアにみんなが感心した。はじめはフィルムが小さくて使い物にはならないよ、などと言っていたのに、船山克さんが欲しい人がいるようだったら注文するよと声をかけた。

 特別な割引価格であったこともあるのだろうが、部屋にいた部員全員が希望した。全員が欲しがるカメラと言うのは珍しいことであった。人気沸騰である。結構きつい批評をしていたのに買おうとおもったのは、仕事で使用する機械ではなく愛玩物という感じだったのだろう。

 これが昭和34年のことだ。昭和34年というのはニコンFが発売になった年で、ニコンFは春には見ていたからペンは夏過ぎだったと思う。この時期、ニコン一眼レフカメラはもう使いはじめていたと思う。

 このカメラを買った値段は覚えていないのだが多分、5,6千円?だった。オリンパスペンはとにかく小さかった。いま手元のないので計りようがないがカタログデータを見ると重量は345グラムと書いてある。巾が10センチほどだったから手のひらに入る。

 レンズは28ミリF3.5がついていた。そのあと、しばらくして25ミリレンズつきが出たり。F1.7かF1.8の明るいレンズがついたのが発売されたりしたが、一番最初につくられたペンが一番外形のデザインがよく評判がよかった。

 レンズの焦点距離が短いからほとんど固定焦点カメラのような使い方ができる。シャッタースピードは25分の1秒から200分の1秒がついていた。使い始めたときスローシャッターがついていたら良いのにと思ったのだが、部屋のなか、夜の撮影、なんでもF3.5開放25分の1秒で撮影するというズボラな撮影方法で撮るようになった。

 フィルムは24ミリ×18ミリで35ミリフィルムの半分、シネマフィルムサイズだから、36枚撮りのフィルムで72枚撮影できる。これが一般の人気を得た理由の一つだったかもしれない。いまのネガカラーフィルムで撮影サービスサイズのプリントでもそうだが、小さいサイズで伸ばすことに限定するならば35ミリフルサイズはもったいない。半裁で十分という考えになる。

 当時はカラー写真はまだ普及していなかった。アマチュアカメラマンはコンテストでもなければ普通はキャビネ判伸ばしが普通であったから、たしかに半裁で十分である。デジタルカメラのカメデアE−10で64MBの記憶媒体で高画質のSHQでは20枚ほどしか撮影できないが、低画質のSQモードならば190枚撮れるよという感じに似ている。

 だれもがこのカメラで仕事をしようと思わなかったから、これはメモカメラとして使うことになる。昭和30年代後半であった、雑誌の仕事で文芸評論家の中島健蔵のお宅に伺ったことがある。いまでは若い人で中島健蔵の名前を知る人は少ないが、当時は著作も多く日本の文芸界を代表し著名であった。アサヒカメラで写真評などを書かれたこともあった。

 そのときは、たしか書評欄に掲載する顔写真を撮るような簡単な取材であった。以前から面識があったのでたしか一人で出かけたと思う。私の撮影がすむと、まちかねたように中島さんは自分のカメラをとりだしてきて、ちょっと失礼とかいいながら私の写真を大変手際よく撮影しはじめた。

 取材に行って写真を撮ることはあっても、写真を撮られることはない。こちらが理由を聞く前に、中島さんは「僕はここのところ、ずっと会った人全部の写真を撮ることにしているんだ。これを見てください」とスクラップブック数冊を見せてくれた。「ここのところ僕はこれが日記代わりでね」と言われる。

 この撮影のカメラがオリンパスペンであった。スクラップブックにはオリンパスペンで撮った写真をきれいにコンタクトプリントしてぴっちりと貼ってあり、余白に日付と相手の簡単な名前と撮影場所が書き込んである。

 これには驚きました。写真の記録性を大変にうまく使っている。対称を人物と決めているから、目的がはっきりしている。写っているのは中島邸を訪ねてきた人だけではない。中島さんが出かけた先々でしっかりと撮っている。出版記念パーティなどでは会場で中島さんが会われた人は片っ端から撮影対象だ。

 ライカ判半裁をコンタクトでは写真が小さすぎるのではと思うが、比較的近接撮影が多いのでコンタクトプリントで十分見られる。中島さんは「前からこれをやろうと思っていたがいいカメラがなかった。ペンが発売されて使ってみると自分の目的にぴったり。ただF3.5・30分の1秒のシャッターでは露出不足になるが、写真のことをやってくれる知り合いが、現像のとき加減してくれる」 まー、こんな話だったのだが、このスクラップブックに貼った写真のすばらしさには敬服しました。

 「先生このアルバムはどこかで発表されますか、もしなければ社に帰って編集長に話します」と言ったら、「すぐにではないが、某社の編集者から話があってね」と断られてしまった。とにかく感心しました。この人がオリンパスペンを一番うまく使った人だと思う。

 プロの写真家でオリンパスペン一台を大坂釜が崎に隠して持ち込み、ここの住民たちのルポをやって評判になった人がいたりしたが、この人などは例外でほとんどのカメラマンはこのカメラをお遊びに使っていた。

 休日などに持ち歩いていて友人や、親戚の人にほめられてについプレゼントしてしまい。その後、何台このカメラを買ったか思い出せないくらいだ。