オリンパスというメーカーはカメラの小型化がうまい。オリンパス35もそうだが、そのあとのオリンパス35ペンも独創的であった。ペンfがこれに続いて。さらに、ペンとまったく同じ大きさで35ミリフィルム・フルサイズの撮影が出来るオリンパス−XAをつくるなどコンパクトカメラが一般化する以前に進めた小型化の発想はすばらしかった。
一眼レフブームのあとコンパクトカメラが出てくるのだが、オリンパス35はそれより遙か以前のものなのにコンパクトカメラの発想で作られていたと思う。姉が昭和20年代にオリンパス35を買ったのもこんな小型カメラがほかになかったからだと思う。今、見るとどう見ても無骨で美しいデザインなどとは言えない。でも小さく当時としてはシャレていたのだろう。ほかにそんな小さいカメラがなかった。
このカメラを使いはじめたとき、友人たちはこのカメラは“ピントが深いから使いやすいよ”と教えてくれた。そのころはそれがどういうことなのか、まったくわからなかった。当時の写真実技書を見てもピントが深いと言う意味を被写界深度などと言う言葉で説明しているものはなかったし。そんな言葉は知らなかった。
ピントが深いという意味はなんとなくピントが合う範囲が広いのだろうと感じでわかったような気がしていた。被写界深度についてはご存じのことと思うが、ある1点にピント(焦点)を合わせたときレンズの絞りを絞ってゆくとピントが合ったように見える範囲が次第に広がってくる。
具体的に言うと標準レンズ50ミリ・F1.4で3メートルにピントを合わせたとき、F1.4の開放絞りでは前後あわせて30センチほどピントが合ったように見える範囲がある。この絞りをF11まで絞ると2メートル15センチから5メートルまでの範囲が被写界深度の中に入ることになる。ピントが合って見える範囲は前後に3メートル近くある。街でスナップで人物を撮影するときは、これを利用する。
標準レンズで3メートルと言う距離は大変重要で、画面をタテ位置にすると普通の大人が立って全身が画面に入る距離なのである。写真学校ではタテ画面で人物全身を頭のてっぺんから足の先まで切らずに画面一杯に撮る練習をする。これはモデルをつかっての撮影ではない。
オートフォーカス機構は使わないからピント(焦点)をどうするかが問題になるが、このとき3メートルにピントをあらかじめセットして置いて撮影する。あらかじめピントをセットすることを「置きピン」という人たちもいるが、これはあまり好きな言葉ではない。
はじめはこんなことでピントが合っているのか心配になるが、撮影したフィルムを現像して見ると意外にしっかり写っているので、うれしくなり、これが自信になっていくのだ。この実習を2,3回やるとピントをあらかじめセットしておいて撮ることが易しいことだとわかってくる。
これはもちろん被写界深度の応用なのだが、同時に撮影するものへの距離感がわかってくる。オートフォーカス機構のついているカメラでないと動いている人物など写せないと思っていた学生たちが、なんだこんな易しいことだったのかということになって、被写界深度の浅くなる夕方などレンズの絞り開放にちかい状態でもピントが合うようになる。
被写界深度はレンズの焦点距離が短くなれば深くなってくる。厳密にいうと対称までの距離が同じであればということになる。教えている学生たちもそうだが、アマチュアのクラブの人たちに、よく50ミリレンズを薦めるものだから、先生はいつも35ミリレンズを使っているが50ミリレンズとどちらを多く使うのかと質問を受ける。
雑誌の仕事をしてきて、荒っぽい事件の現場や、ドキュメント的な撮影が多かったことを考えてみると、どうも35ミリレンズが多かったような気がする。とくに朝日に入ってはじめのころは、大型カメラもつかわうように指導さられたが、小型カメラのライカD3、キヤノン4sb、ニコンSをつかうときは、どのカメラでも常用レンズは35ミリであった。
たしかに50ミリレンズの良さを発見するのは、仕事をはじめて10年以上経ってからであった。35ミリレンズで撮った枚数が圧倒的多かったと思う。ライカとキヤノンを使っていて、考えてみるとレンジファインダーできっちりと距離を合わせて撮影するのは1メートル近辺の至近距離だけで、あとはほとんど目測で撮影していた。
ライカ、キヤノンのレンズには距離会わせ用のレバーがついていた。50ミリレンズではあまりやらなかったけれど、広角35ミリではカメラを構えてレバーの位置で距離をあわせていた。手探りで会わせていたということになるのだろうが、手探りなどという危なっかしい感じは少しもなかった。
レバーの位置が真下にくれば2メートル、2メートルより短い距離はレンジファインダーをつかう。後はインフニティー(無限)と2メートルの間をちょっとした手加減で3メートル、5メートルと調節して会わせた。
35ミリ広角レンズで2メートルという距離は、標準50ミリレンズの3メートルとほぼ同じで、タテ画面で人物全身がちょうど画面一杯に入る距離、ヨコ画面だと人物半身、立ち話をしている人物群像を撮る距離である。
キヤノンでもライカでもあの当時のカメラのレンジファインダーによるは距離合わせはは、合わせにくく、慣れていても難しかった。それでも不便だと感じなかったのは、レバーによる目測撮影が簡単であったからだ。
それから何十年も経って『決定的瞬間』のアンリ・カルティエ・ブレッソンが来日したとき、彼のライカを見たらレンズに自分で作ったレバーを作りつけ、これを立てて使っているのを見て、同じ撮り方をしているんだなーと驚いた。
さてオリンパス35ワイドのことである。発売されたのは昭和32年であった。ライカやキヤノン、それにニッカを使っていたから必要に迫られたわけではなかったが、過去のオリンパス35愛用者にとって興味があったのはレンズが35ミリになったことであった。オリンパス35には40ミリレンズがついていた。
わずか5ミリの差というが、35ミリレンズに慣れてしまうとこの5ミリの差がどうもカバー出来ない。そんなことで朝日出版写真部にはいってからはオリンパス35を使うことがなかった。しかしオリンパスに35ミリが着いたのなら買って見ようかという気持ちであったと思う。
そんな気持ちで買ったカメラであったが、使ってみるとこれがなかなか具合が良い。ファインダーにアルバダ式のフレームが組み込まれていて大変に見やすい。シャッタースピードも500分の1がついているから十分であったし、距離は目測で距離計は組み込まれていないが2メートルと5メートルのところにクリックがついていて距離が固定しこれが大変に使いやすかった。
巻き上げもレバーが着いていたし、フィルムの巻き戻しもレバーがついている。大したこともないだろう。まー買っておこうかと思って買ったカメラがこれほど使いよいとは考えなかった。それから10年間くらいの間、このカメラは常時携帯カメラとして、いつでも鞄の中に入れて持ち歩くことになる。
朝日新聞社に出勤するときは革のケースに入れてこれを鞄に入れて持ち歩いた。先日出てきたこのカメラはケースの角がすり減っていた。ストラップもボロボロである。しかしケースのなかのカメラにはほとんど傷がついていない。
持ち歩くだけでシャッターを押す機会は少なかったかも知れない。そのあとこのカメラの役割はオリンパスXAが引き継いでくれることになる。