TopMenu


吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

オリンパス35
 今年4月に一斉に発売された354万画素デジタルカメラはあまり評判がよくなかったが、夏になって発売されたフジのファインピックスS1プロは画質の良さに驚かされた。10月発売のキヤノンEOS・D30は受光素子にCCDではなくCMOSをつかっているが前評判がよく予約殺到だそうだ。来年はコンタックスとペンタックスで600万画素CCDの高級デジタルカメラを出すそうだから、ニコンのD1とならんでプロ用デジタルカメラが出そろうことになる。

 10月20日、オリンパスからカメデアE−10が発売された。これはプロ用などとは言わず、パーソナルユースの高級機を目指しているようだ。こちらはまだ現物にお目にかかっていないが当然2500Lよりはよいだろう。2500Lのよいところは記録メディアにコンパクトフラッシュとスマートメディアの両方が切り替えて使えることだ。これはE−10にも引き継がれていてアマチュアカメラマンの心理をくすぐるようなところがある。

 オリンパスカメラには昭和20年代のオリンパス35、昭和30年代のオリンパスペン、そのあとの小型一眼レフカメラと一貫してパーソナルユースのカメラを目指しているようである。そこでというわけではないが、はじめて使ったオリンパスカメラのことをもう一度思い出して書いてみようと思う。

 はじめて使ったカメラはバルダックスであった。50年前のことである。昭和20年代、アマチュアカメラマンは120フィルムつまりブローニーフィルムを使っている人が圧倒的に多かった。昭和20年代から30年代半ばまでじつにたくさんの二眼レフカメラが発売されていた。

 一般にアマチュア写真界の二眼レフブームは昭和25年に発売されたリコーフレックスから約10年つづいたといわれているのだが、あの当時の自分の周囲を振り返ってみると、たしかに二眼レフカメラやスプリングカメラを使ってはいたが、ニコンSやキヤノンIVsbなど35ミリカメラへの関心はそうとうに高く、なんとか35ミリカメラを買って使いたいとみんなが思っていた。

 私が最初に買った35ミリカメラはアサヒフレックスである。昭和27年にこのカメラが発売されてすぐ買った。しかしこのカメラをつかう前に、じつは35ミリカメラをかなりの期間すでに使用していた。

 オリンパス35である。このカメラは姉が持っていた。姉は私より数年前に学校を卒業して会社勤めをしていたのだが、すこし写真に興味をもって、持ち運びに便利な一番小さいカメラということでボーナス時に購入したらしい。

 そのころは女性で写真を撮る者などほとんどいなかった時代だから、最初のうちは得意になって、旅行のときや勤め先までもっていって写真を撮っていたようだ。しかし間もなく写真に飽きてしまったのか、このカメラを持ち歩かなくなっていた。

 姉がこのカメラを持ち歩かなくなった理由の一つはマガジンへのフィルム装填の面倒くささがあったと思う、記憶があやふやなのだが、オリンパス35を買ったときにフィルムマガジンを一緒に買わせられたようだ、あるいはマガジンが1個だけカメラに付属していたのかもしれない。

 マガジンといっても今はあまりつかわないから何のことかわからないかも知れないが、35ミリフィルムは今のようにパトローネ入りを使う習慣がなかった。長捲きのフィルムを自分でマガジンに詰めて使った。パトローネ入りのフィルムも確かにあったが値段が高く、しかもパトローネはフィルムに傷がつくといわれて敬遠した。

 姉はこのマガジンにフィルムを入れるのが面倒で、写真店に現像を頼みにいったとき空になったマガジンにフィルムをつめてもらうという方法をとっていたようだ。おそらく一度も自分でフィルムをマガジンに詰めたことはなかったと思う。今、写真をやることの手軽さに比べてみると当時は想像を絶する面倒なものがあった。

 そんなことで、あまり写真を撮らなくなった姉に“ちょっと貸してよ”みたいなことでオリンパス35を借りてつかうことになった。はじめは遠慮しながらだったが、姉が写真に興味を失った気配を見て、このカメラを自分のもののような顔をして使うことになった。

 オリンパス35のことを書こうと思って、あらためて屋上の物置に探しにいった。3年前、このカメラのことを書いたときにも、じつは物置の方々を探したのだが出てこなかった。ところが今回は別の物入れからオリンパス35が1台でてきた。

 出てきたのはオリンパス35ワイドである。ワイドは昭和32年に発売されている。このカメラを買ったのは、朝日新聞出版写真部に入って3年以上経っていたころで、広角レンズを付けたライカとキヤノンが常用カメラになっていた時代であった。オリンパス35は日常持ち歩いていたので、これの替わりと思って買ったカメラだ。

 考えてみるとオリンパス35はコンパクトカメラなどない時代に、この役目をしていた。ライカ、キヤノンもかなりコンパクトではあったが、レンズをつけると1キログラム近い重量があった、オリンパス35が500グラムほどだから目方は倍ちかかった。また巾が2センチほど小さかったから普通の鞄に入れて持ち歩いても気にならなかった。

 初めて使った姉のオリンパス35はW型で昭和25年に発売されている。W型の2.3年前に35−T型が売り出されている。W型はT型の普及型として発売されたのだろうシャッタースピードが200分の1が最速であった。T型には同じコパルだったが500分の1秒のシャッターがついていた。

 このカメラの特徴はまず焦点距離40ミリのレンズがついいていたことである。24ミリ×36ミリサイズの35ミリ判に対する標準レンズは焦点距離50ミリであるから、40ミリはやはり広角レンズである。何故オリンパスが普及型の35ミリ判カメラに40ミリを選んだのか理由はまったくわからない。

 最近の単焦点のコンパクトカメラにはほとんどが広角35ミリに近いレンズがついている。この理由はいろいろあるのだが、最大の理由は、ほとんどの人がネガカラーフィルムをサービスサイズで引き伸ばしをしてもらう、プリント機械による引き伸ばし、つまり同時プリントではフィルム画面の85パーセントから90パーセントくらいしかプリントされない。

 このことは35ミリレンズで撮って、出来上がる写真のプリントは50ミリレンズで撮影したのと同じくらいいなってしまうから。それに合わせてレンズを広角にしたというのだ。つまり撮影したときのフレーミングはネガカラーフィルムのプリント機械によるトリミングで死んでしまっていることになる。

 オリンパス35が発売になった時代は、ネガ・カラーフィルムなどまだつかわれていない時代だから、そんなことが理由であるはずがない。そのころ読んだカメラ雑誌などに35ミリ判カメラで50ミリの画角が標準というのはおかしい。もう少し焦点距離が短い方がよいなどという説が載っていたから、あるいはそんなことが理由の中にあったのかもしれない。

 オリンパス35のレンズはF3.5で焦点合わせは目測でレンズの前玉だけを回転させることで行われた。写真の仲間たちは、このカメラは前玉回転だからピントが今ひとつなんだよなーなどといって軽蔑し、初心者用カメラとランク付けをしていたが、こちらは写真をはじめて間もなかったから、ピントのアマさなどまったく気にならなかった。

 距離計などはついていないからバルダックスと同じようにピント合わせは目測でやらなければいけない。それでもバルダックスに比べてレンズの焦点距離の短いことと、比較にならないほどシャープであったから、はじめて使ったときにはピントのよさに驚いた。

 このカメラを使い始めてから2年ほどたって、何が原因だったか思い出せないのだが姉と喧嘩をした。多分こちらのほうが生意気なことを言ったのだろう。姉に貸している物を返してと言われて腹立まぎれにカメラや本など全部返した。そうなるとカメラに困った。一番使用頻度が高いカメラだったからだ。

 そんあことがあって、たしか2月ほどしてお袋から借金をしてオリンパス35を買った。値段を覚えていないのだが、たしか1万何千円かだった。