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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

バルダックス つづき
 夏の暑い間はどこにもでかけず、ひたすら読書に耽っていたといえば聞こえがよいが、半分居眠りで怠惰な時間を過ごしていた。夏休みが終わり学校がはじまり忙しくなってきてから、やっとエンジンがかかりほうぼうへでかけるようになった。先日、銀座で写真展を見たついでに中古カメラ店をのぞいたらバルダックスが並んでいた。

 懐かしいという思いがあるし、ちょうどこの欄でバルダックスのことを書いているときでもあったから買おうと思った。値段も持ち歩いている財布と相談して工面しなければと言うほどの金額でもなかった。半分手が出かかったが思いとどまった。

 日頃、主義としてカメラ蒐集家になることだけは止めようと思っているし、撮りもしないカメラを集めるのは無意味だと学生たちにも普段から言っているからだ。落ち着いて考えてみたら買っても、このカメラは使わないだろうと言うことに気がついたからだ。

 バルダックスを買ったとしても、フイルム巻き上げは自動ストップ機構はついていないから、背面の赤窓でフィルムの裏紙の番号を見て巻き上げなければいけない。上手にやれば光線かぶりは防げるのだが、うっかりしていると赤窓から光線かぶりを起こしてしまう。買ったとしても結局撮影するのは1、2本だけであとは思い出の楽しみだけである。

 店員さんにたのんでショーケースからカメラを出して見せてもらっていたら、いろいろなことが思い出されてきた。バルダックスの折りたたんである蛇腹を伸ばしていると、このスプリングが強くてパチンといって蛇腹が伸びた。50年前のこのカメラの感覚がよみがえってきた。

 バルダックスはスプリングカメラである。スプリングカメラと言っても今は何のことを言っているのかわからない人が多分、大部分だろう。スプリングは春の意味ではない。バネのことである。

 このスプリング=バネの力でカメラのレンズ部分を支える。つまりレンズと蛇腹、これとフイルムを保持する部分を固定することになる。スプリングカメラは1929年のドイツ、ツアイス・イコンのイコンタが始まりと言う人もいるが、折りたたみ式のカメラで前板を金属のタスキで保持する形式は1900年代にはすでにたくさんあった。これをスプリングで伸ばすように工夫したカメラの始まりはどれなのかわからない。

 セミ判(6×4.5)のスプリングカメラは1932年のセミイコンタが始まりであった。国産でも翌年の1933年にはセミミノルタ1型が発表されているし、その翌年には小西六のベビーパールが発売された。バルダックスも最初の発売が1934年だからセミ判が世界的に流行しはじめた時期だったのだろう。

 当時のカメラの値段はよくわからないのだが、昭和9年に小西六から発売されたベビーパールは32円だったという記録がある。普通のサラリーマンの月給が50円から60円の時代だ。バルダックスがいくらで売られていたかわからないが、多分ベビーパールと同じくらいだったと思われる。

 バルダックスはレンズの焦点距離は75ミリだった。レンズの鏡胴を伸ばしたままだと大変にかさばるのだが、蛇腹がついていて、レンズ鏡胴にあたる部分を折りたたむことができた。しまいこんでしまうとタテ11センチ、ヨコ8センチ、厚さは4センチもないからポケットに入れて持ち運びができた。

 蛇腹は金属製のタスキで保持されている。蛇腹を伸ばすときはタスキについているスプリングの力で伸ばすことになる。これがスプリングカメラの名称の由来なのだろう。蛇腹の折りたたみをのばすとき、勢いよくのばすとフィルムが浮いてしまうから注意をするように言われた。はじめは何のことかわからなかったが、DP店のおじさんが自分のスプリングカメラを持ち出してきてフイルムが浮くという現象を説明してくれた。

 フイルム面をいかに平らにすることが必要か、つまり平面度を保持すること、これがしっかりしていないと優秀な性能のレンズを使っても焦点が合わないことをこのカメラで知った。

 あの時代は「写真の撮り方」とか「現像と引き伸ばしの実際」など、実技指導書も出版されていたが、もっぱら古本屋で実技書を買ってきて読んで写真の勉強をしたのだが、実際に教わったのは友人たちと、それにDP屋のおじさんが先生の役目をしてくれた。ゴルフもそうだが写真も当時から教えたがりの人がたくさんいたようだ。

 DP屋のおじさんは、フイルムの現像を自分ではじめるまえは、とにかく写真を写すとそこに行くわけだから、いやでも顔を合わせる。下北沢にあった写真屋のこのおじさんはそれほどの年齢ではなかったと思うのだが、結構なんでも知っていて、いろいろなことを教えてくれた。

 はじめのころは、DP屋にはフィルムの現像と密着(コンタクトプリント)だけを頼んでいたのだが、バルダックスでフィルムを10本くらい撮ったとき、このおじさんがなにかやたらと誉めてくれて1枚だけサービスでキャビネ判に引き伸ばしをしてくれた。考えてみるとやっと焦点(ピント)が合うようになったのだろう。これは友人を撮った写真であったが、大変にうれしかった。

 と同時に、いままで密着プリントで満足していたのが、キャビネ判に伸ばされた写真を見て写真は引き伸ばしをしなければ駄目だと思いこむきっかけになってしまった。引き伸ばしをするのには、まずフィルム現像の方法を覚えなければいけない。

 これが現像をはじめようという動機の一つであったが、もう一つ理由があった。写真をはじめたことは親父には言わなかった。言ったところでカメラを買ってもらえるあてはなかったから黙っていたのだが、母親の写真を撮ってこれが割とうまく写っていた。このことを親父に言ったようだ。

 親父は俳句が道楽で、仲間たちと句会をやっていた。何月かに一回、句会が家でひらかれていた。その句会で親父が息子は写真をやっていると話をしたらしい。この句会の同人のなかに昔、写真をやっていた人がいた。どう話が伝わったかこの人が声をかけてくれて、よかったら昔使った引き伸ばし機を上げるよといってくれた。

 この引き伸ばし機をもらってしまったのである。ほこりだらけで、大分ガタがきていたがコンデンサーとレンズをきれいに拭いてスイッチを入れてみるとどうやら焦点が合うようである。現像してあるフィルムをガラスに挟んで入れるとピントが合った。

 こうなると引き伸ばしをやってみたくてたまらない。すでに自分で現像も引き伸ばしも自宅でやっていた友人に相談をしてみると、そんなことはいつでもできるよ、しかし写真の段階としてまずフィルムの現像をやらなければだめだ。それができたら密着プリントだいきなり引き伸ばしなどとんでもない。それより、なによりも写真がもっとうまくならなければだめだと言われる。

 引き伸ばしのために必要なものを買うお金がなかったこともあって、すぐはじめることはやめる。なにしろまだ自分のカメラがなかったのだ。バルダックスは借り物なのである。そんな経緯があって、フィルムの現像だけは比較的に早い時期から自分でやるようになった。

 バルダックスは写真を始めるきっかけになったカメラである。このカメラのことを思い出すと敗戦後の混乱と何を目的に生きようかと迷っていた時代がよみがえってくるようで大変に懐かしい。