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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

キヤノンA−1
 キヤノンAE−1とA−1をつかい始めてからカメラのオート機構を利用するようになった。オートシステムと言ってもAF(オートフォーカス)ではない。AE(自動露出)である。

 それまでTTLによる露出測定はニコマートをつかってやっていた。だいたいニコマートをつかい始めた理由がレンズを通って入ってきた光を正確に計測するためであったから、ズームレンズを使う目的で選んだキヤノンでも、これに内蔵されているTTL露出計を使用するのは当然のことであった。

 ニコマートはTTL露出を計るためにつかったが、これで計った露出はマニュアルでカメラに設定してつかった。ニコマートを使い始めたころは、まだAE(オート・エクスポジュアー)つまりオート露出で写真を撮ろうという考え方はあまりなかった。

 しかしメーカーは露出のやさしさ正確さということで盛んに宣伝をはじめていた。現在はカメラをマニュアル設定でつかうという考え方がおかしいと思えるほど、オート化がすすんでしまっている。マニュアルで撮影するという意味を知らない人が多い。

 2年ほど前から、写真学校のほかにデザイン学校で写真概論という授業を引き受けている。写真が目的でなくデザインを目指す人たちに教えていて、写真のことで逆に目を開かせられる思いをすることがたくさんある。

 デザイン学校では大教室で一度に100人ほどの学生に教えるので、出席は学生が提出する出席カードを集めてとるのだが、このカードに授業の感想やら質問を書いてもらうことにしている。ときどきは写真についてのアンケートを書いてもらうことがある。

 学生数は全部で300人ほどになるが、いろいろなことをアンケートしてみると、デザインを目指している人を通して今の若者の考えがわかって面白い。もちろん写真についての質問なのだが、いままで写真を撮ったことのない学生も何人もいるし、今の若者像全体よりはすこし写真に関心があると言ったところだろうか。

 たとえばいままでに、どんなカメラを使って写真を撮ったことがあるのかを聞いてみると、一番多いのはコンパクトカメラで、それに迫るのは使い捨てカメラ、つまりレンズ付きフィルムである。一眼レフカメラを使ったことのある人は10パーセントもいない。

 機構のことだが、カメラにシャッターという仕掛けが着いていることを知っている人は50パーセントほどいるが、それでは絞りというものを知っているかと質問してみると、こういうものがあることを知っている人は10パーセントもいない。多分シャッターボタンはいやでも目にはいるが、絞りは目に触れないからだろう。

 当然のように、ほとんどが露出という言葉を聞いたことがないし、この意味は知らない。だから露出つまりフィルムにレンズを通して入ってくる光をあてることが絞りとシャッターを操作して行われることは知らない。カメラはAF・AEが当たり前なのだからそんなことを知っているわけがないのである。

 ところがこの若者たちが写真に無縁かというと、じつは写真を撮るこがすきなのである。アサヒカメラの新年号の写真時評を見ていたら若い女の子のガングロで有名になった雑誌エッグのことにふれて、最近の若者たちの写真との関わり合いについて、次のように書いてあった。

 写真はみるものでなくなった。撮ったり撮られたりする写真ということとで、写真のカラオケ化と言っているのだが、カラオケのすごさは、何か歌ったら、その場で自分の結果をみられることだ。時間差がない。

 プリクラからはじまった写真の楽しみかたは、デジタルカメラでますます時間差がなくなってカラオケ化がすすんだ。ポラロイドの流行だってそうだし、写真は何かを撮って、それを楽しんだり、気分が良くなったり、そういうものになってきた。

 カメラが高価で手に入りにくい時代には、それをもったからには下らないものは写さないで、写すに値するものを考え選んで写した。それが芸術志向に走ることになった。
 まあー、こんなことが書いてあるのですが、デザイン学校の学生を見ていると確かにそうだ思うところがある。

 カメラの機能がどうのということは全く問題にならない。シャッターがどうの絞りがどうのなどということは関係がないわけです。それでいて写真の効用はデザインを専攻しているのですから十分知っている。

 彼らに絞りのことを話したとき、絞りは光の量を制御する道具だと言っても、どうしようもないので、焦点が合ったところと合わないところの違いから、アウトフォーカスの部分を増やすあるいは減らすための道具としての絞り機構を教えていくことになる。

 つまり被写界深度のことである。絞りを操作して焦点が合っているように見える部分を増やしたり減らしたりすることだ。彼らは絞りを操作出来るカメラを持っていないのだが、写真家はプロもアマチュアもそれを使いこなさないと写真表現に支障をきたすのだ。と教える。

 絞りの変化による表現の違いは、アマチュアカメラマンたちもほとんどがよく知っているようである。私が関係のある全日本写真連盟に所属するアマチュア写真家たちにいろいろなクラブの会合や月例会に出席したときにカメラのオート機構についてよく聞いてみる。

 最近はオートフォーカスについては50パーセント以上の人が使っているようだ。AEについては、なにからなにまでカメラまかせのプログラムシャッターを使用している人は少なくて、ほとんどが絞り優先のオートを使っているとこたえる。

 オートは便利だから使ってみていいと思えるものは、積極的につかうという合理的な心構えのようである。絞り優先のオートはいろいろ経験しての使い方だし、指導をしている先輩や先生がたもそう教えているようである。

 キヤノンAE−1は今手元にないので忘れてしまったのだが、キヤノンA−1にはプログラムシャッターはついていない。AVとTVの両機構がつていて、レンズの絞りをオートのAにあわせ、シャッターダイヤルの目盛りをAVにしたときはダイヤルに絞りの数値が現れ、これを動かすことで絞り値を替えると、あとは計測した光量に応じてシャッターが自動的に切り替わる仕組みになっている。

 TVのときはダイヤルのシャッタースピードを替えると、それに合わせて絞り値が替わる仕組みだ。

 いま考えるとなんでもないことだが、このカメラを手に入れたときは、珍しいのと本当にシャッタースピードや絞りが自動的に替わってくれるのか不安で、カラーフィルムを入れて何回もテストをした覚えがある。

 はじめはおそるおそる使ってみていたが、この露出が思いがけないくらい正確なのがわかってくると、これは便利だと言うことで、だんだんオートを使うことが多くなっていった。このカメラではシャッタースピード優先のオートも使ってみたが、自分が撮る写真の内容が、どうも絞り優先オートをつかうことのほうが多く、このカメラとこのレンズではほとんどAV機構を使用した。

 私にとってカメラのオート機構の初経験はこのカメラからということになる。A−1のオートのダイアルは見やすかったし、大変いわかりやすかった。