TopMenu


吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

ニコンF
 F5はニコンFの5代目である。F型の原型であるニコンFがはじめたて発売されてから39年たっている。現在、私の手もとに2台のニコンFがある。発売直後に買ったFはメキシコで盗まれた。今持っているのは2台とも昭和39年に買ったもので、今でも愛用している。愛用と言っても普段撮影につかうのはF4で、F型は写真学校で学生に一眼レフの機構を教えるのにつかっている。裏蓋がはずれてシャッター膜の動きが見やすいこと、ペンタプリズムもピントグラスもはずせるのでミラーのうごきを見るのに便利なこと、ミラーを上げるとガランドウの空間ができる。

 カメラはレンズの焦点を合わせるためにレンズとフィルムの間に真っ暗な空間が必要であること、カメラの語源はカメラ・オブスキューラつまり暗い部屋からきていて、この空間がどうしても必要だなどと説明するのに大型カメラをのぞけばニコンFほどわかりやすいカメラはない。もちろん1年に2、3回はフィルムを入れて撮影している。シャッターの調子は良いし写真はしっかりと写る。ずいぶんと酷使したと思うのだが、いまだに健在である。30年もたったカメラでなんの心配もしないで写真を写せるカメラはニコンFくらいのものだ。

 昭和46年にニコンFにかわって二代目のF2が発売されたが、ニコンFは製造が続けられ昭和49年まで発売されていた。これは報道関係をはじめ初代Fへの要望が多かったからだ。新しく出たF2は世代交代の必要を感じさせる魅力がなかった。結局一眼レフの主力機種は昭和55年にニコンF3が発売されるまでニコンF型であったと思う。これは私個人がそうであったが、私のいた朝日出版写真部もF2を採用しなかった。それほどニコンFは報道関係を中心にプロのカメラマン・写真家たちに愛され使われた。

 ニコンF以前、新聞社のカメラマンが報道用に使っていたカメラは東京オリンピック前まで、ほとんど大型カメラのスピードグラフィック通称「スピグラ」がメインであった。小型カメラに換えようという動きが、それ以前からないわけでは無かったが、レンジファインダー式のキャノンやニコンS型では役者に不足であったようで、どの新聞社もサブカメラには小型カメラをつかうことはあっても主役はスピグラであった。

 しかしニコンFがでてきて事情が変わってきた。ニコンFが発売されて3年ほどたつと、このカメラの能力と堅牢さが話題になってこれをニュース写真の取材につかって見ようと言う動きが出てきた。私は出版写真部にいたから当時の新聞の写真部のその辺の事情には詳しくないが、朝日の新聞写真部の仲間や、取材先などで会う他の社の写真部員などから、そういう動きが伝わってきた。ニュースの取材現場に他の社のカメラマンが最初にニコンFをもってきたのは毎日新聞の写真部員が一番早かったように思う。

 同期の毎日新聞のカメラマンが私がニコンFを使っているのを見て、社からニコンFを使って見ろ言われているのだが、Fの具合はどうかと尋ねられた記憶がある。これが多分ニコンFを使いはじめて1、2年のころだった。毎日新聞がスピグラに換えてニコンFを全面的に使い始めたのが昭和37年の終わりころからである。

 日本光学は望遠レンズの新製品を次々発表していた。東京オリンピックが近づいていた。一般に新聞社が小型カメラにかわったのは東京オリンピックからといわれているが、きっかけはその前年のプレオリンピックであった。実際に競技場での取材の割り振りをしてみると、どの競技場でもニコンFとその望遠レンズを使わざるをえないことになったからだ。新聞社がいままでつかっていた機材に替えて、新しい機種に変わるのは普通ならばもっと時間がかかったに違いないのだが、あのときは否応なしという感じだったと思う。

 私たち雑誌の仕事をしていたカメラマンは、ニコンF以前から35ミリ一眼レフの良さをミランダなどですでに経験していたから、ニコンFのすばらしさは故障のない堅牢さくらいで、その性能には特別驚くことはなかった。しかし大型のスピグラを愛用していた新聞社のカメラマンは、ピント合わせの楽なことで驚いた。それと望遠レンズを使用してみてファインダーの完璧にちかい精度にびっくりした。だから東京オリンピックのあと一気に大型カメラから35ミリ一眼レフカメラへの交替が進んだ。と言っても、40年代なかばころでもスピグラはフラッシュ専用カメラとしとして使われていたし、年輩のカメラマンのなかには、35ミリフィルムと大型カメラの鮮鋭度を比較して、大判のフィルムでなければ駄目だと言う信念の持ち主もいた。

 ニコンFに替わって写真の取り方が変わってきた。いま35ミリカメラをつかう人はアマチュアでもフレーミングに対する考え方はしっかりしていて、引き伸ばしのときフィルムをトリミングする人は少なくなってきた。
 トリミングというのはペットショップで犬をシャンプーしたあと、ハサミをつかって毛をカットすることだ。これは若い女性の仕事になっている。彼女たちをトリマーと言っているが資格の免許が必要のようだ。毛をカットし整えるのがトリミングだ。

 写真のトリミングは暗室で引き伸ばしのとき行う。画面を整え、不必要な部分をカットする意味だ。昔はこれがごく当たり前のことだった。スピグラで人物のスナップするとき、はじめに教えられたのは5メートルにピントを合わせて置いて撮る方法だった。スピグラには127ミリのレンズが着いていた。フィルムのサイズは4×5判で12センチ×10センチほどあるから、画角は35ミリカメラに換算すると35ミリレンズとおなじくらいで広角になる。このカメラで人物を5メートルの距離で撮影すると人物はフィルムの真ん中に小さく写る。これがあたりまえで、フィルムを引き伸ばし機にかけて周りをカットして引き伸ばしをした。当時のカメラはファインダーがいい加減であったからとても画面一杯に写真を撮ることなど難しかった。これも理由の一つだったと思う。

 しかし35ミリカメラで仕事をしている者は、トリミングをするとフィルムの粒状生が悪くなるので、自然にこれを嫌うようになる。これは一眼レフ時代以前からそうであった。さらに写真の撮り方でフレーミングの一回性のようなことが言われるようになった。これは空間を切り取る行為は撮影のときに1回だけやると言う意味だ。撮影の時、フィルムの画面一杯にフレーミングして写真を撮ることがだんだん当たり前になってきたのだ。これはカラーフィルムになって余計その必要がでてきた。

 一眼レフカメラにはファインダーの視野率が100パーセントに近いものがたくさんある。フィルムに実際に写るのと同じ映像がファインダーの中にはっきりと見える。これで写真の撮り方がかわっていった。しかしこれは一眼レフカメラの長所でもあったが欠点にもなってきた。
 来月から一眼レフカメラの長所と、一方どうにもならない欠点について書いていくことにする。