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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

二眼レフカメラ
 ローライフレックスは写真を始めたときから一番欲しかったカメラだった。しかし、縁がなかったと言うことなのだろう結局一度も買うことができなかった。経済的に余裕ができてカメラが自由に買える時代には、二眼レフ時代は過ぎてしまって一眼レフがブームになっていた。昭和29年、朝日新聞出版写真部に入社するまで、普通のサラリーマン生活をしていた。写真雑誌を熱心に読み、ボロカメラで写真を撮り、しっかりアマチュアカメラマンをやっていた。学校を卒業して勤めるようになったとき、ローライを買おうと決心をした。そのために毎月の給料から貯金をした。まだ親元から勤め先にかよっていたので生活費がかからなかった。1ヶ月のサラリーが1万円もならないころの話である。

 このごろは二眼レフカメラと言っても知らない人が多いのだが、昭和20年代後半アマチュア写真の世界では、35ミリカメラはまだあまりつかわれていなくて、ブローニーフィルムを使用するカメラが圧倒的につかわれていた。スプリングカメラから二眼レフカメラにうつって多分二眼レフの全盛期のなっていた。
 二眼レフで最高級機と言えばローライフレックスであった。二眼レフカメラは戦後流行のものと思っていたら、昭和10年という不景気の時代に、ローライフレックスは16万台売ったと書いている記事を見つけた。ローライは戦前からアマチュアカメラマンの羨望の的であったのだ。ローライは戦後しばらくしてMX型が発売されていて、F3.5 レンズがついていた。まだF2.8レンズつきは出ていない時期であった。国産二眼レフカメラもが次から次ぎと発売されていた。プロの写真家もローライをつかっていたし、海外から取材に日本にやってくるカメラマンたちにもローライをつかっている人たちが多かったように思う。ライカをつかっている人もいたのだろうが、ローライはいいぞと思いこんでいたのでライカは眼に入らなかったのかも知れない。

 ローライが欲しかった。ローライフレックス・オートマットはとても値段が高くて手が出なかった、最近の中古カメラの市場では、35ミリカメラの人気は高いが、二眼レフカメラは人気がないそうだ。ローライフレックス・オートマットf2.8が10万円から20万円の間で買える。そのころの値段をはっきり記憶していないのだが、昭和30年代はじめ、10万円以上していたたと思う。いまのライカの人気よりも高かったのかも知れない。しかしなんと言っても高かった。それでローライコードを買おうと思っていたのだ。
 ローライコードはローライ・オートマットの普及品として発売された。フレックスは1929年・昭和4年に発売されている。コードは昭和7年発売だ。オートマットにはテッサーレンズが付いていたが、コードにははじめトリオターF3.5 75ミリレンズがついていた。カメラ仲間たちの話では、機能的にはコードで十分だが、レンズがテッサーに比べると落ちるという評判だった。ところがカメラ雑誌に新しいローライコードのべたほめ記事がのった。昭和25年に発売されたコードはトリオターの新レンズがついていて、このレンズがテッサーよりも素晴らしい描写をすると言うのだ。これを読んでローライを買おう病にかかってしまった。オートマットはとても手がとどかないと諦めていたのだが、コードならばすこしがんばれば何とかなりそうだ。たしかこんなことでカメラ貯金をはじめたと思う。

 ローライコードを買おうと思って、写真機店にたのんだがすぐ手に入らなかった。カメラ店の親父さんが、なんと言ったってコードよりはオートマットですよみたいなこと言ったので、ためらってしまったところもある。まだ自由に輸入カメラが買える時代ではなかった。その時期に発売されたばかりのアサヒフレックスに気をうばわれてしまう、日本ではじめての35ミリ一眼レフカメラだ。このことは以前書いたとうりだ。自分は単なるカメラ愛好家、カメラ蒐集家とはちがって、いい写真を撮るために新しい性能を求めているのだと、いいわけを考えているのだが、どうも新しいものに目をうばわれてしまう癖があるようだ。新しい形式のカメラが発売されると血が騒ぐと言う性癖はこのあたりから始まったようでいまだになおらない。ローライを買うつもりで貯めていたお金でアサヒフレックスを買ってしまった。アサヒフレックスは新しかったが、機能的には開発途中のカメラであった。半年ほどつかって手放してしまう。

 どうしても二眼レフカメラをつかいたくなって国産カメラを買った。ローライコードも少し無理をすれば買えたのだが、そのへんが縁がなかったということなのかもしれない。どのカメラを買おうかと迷った。二眼レフはじつにたくさんの種類のカメラが発売されていた。戦後、昭和30年までの10年間に日本国内で発売された二眼レフカメラは160種以上あるそうだから迷うのも無理はない。

 リコーフレックスが昭和25年発売になった。革のケースがついて、はじめ7千3百円で売り出された。誰もが二眼レフカメラを欲しいと思っているときで想像外の安さであった、若いサラリーマンの一月分の給料で買えるというので人気が集中した、なかなか手に入らなかった。すぐ定価が改訂され8千3百円になった。それでも買えず三越のカメラ売場に行列ができたとか、闇値で1万円以上なら買えるとかいろいろ評判がたった。闇値と言ってもなんのことかわからない人が多いだろうから説明するとプレミァムがついたと言うことである。リコーフレックスの値段がはっきりしているのは先日写真仲間が集まったとき、話がリコーフレックスのことになった、一人やたらと当時のカメラの値段を記憶している男がいて、この値段のことはその男の話の受け売りである。
 でもリコーフレックスには食指が動かなかった。これは写真の友人たちが、あれは3枚玉で描写があまいとか、ボディがブリキ板みたいなものですぐ曲がって焦点が狂ってくるとか、いろいろなことを言うのを聞いていたからだ。実際にはどうかと言うと、このカメラで写した写真はかなり素晴らしいものでピントの性能も十分なものであった。カメラ雑誌「写真サロン」の月例に、女性でリコーフレックスをつかって素晴らしい作品をつぎつぎと発表する写真家が現れたりして話題になっていた。

 いろいろ迷ったすえにエルモフレックスを買った。エルモフレックスを選んだ理由は、カメラを製造しているエルモ社が二眼レフカメラの先発メーカーであったこと、戦前から8ミリムービーカメラメーカーとして有名であったこと、デザインは地味であったがなんとなく信頼がおけそうな感じがしたことなどであった。オリンパスのズイコーレンズがついていたこと、シャッターにセイコー・ラビットという当時一番の有名品がつかわれていたことも選んだ理由の一つであったかもしれない。買った価格は覚えていないのだが3万円くらいだったと思う。