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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

ニコンSとキヤノンIVsb その2
 アサヒカメラ最新号を見ると、最近のクラシックカメラの人気のせいか、ライカ型カメラをとりあげ「クラシックカメラの快楽」という特集を掲載している。この特集で取り上げられているカメラは、戦後製造された国産のライカ型カメラだ。クラシックカメラと言うのは、戦前つまり1945年以前のものなのだと、なんとなく考えている私たち世代にとっては、戦後50年経つと、たんなる中古カメラもクラシックカメラとなってしまうのかと考えてしまい、このクラシックの概念の違いが意外で面白い。
 聞いてみると、いま人気があるのは戦後、昭和20年、30年代に製造された国産の35ミリ、レンジファインダーカメラだそうである。ライカ型を、設計者の名前をとってバルナックタイプと言うのが流行のようだ、それに対してツアィスイコンのコンタックスは、設計者がはっきりしないので、コンタックスタイプと言っているようだ。

   若い友人がライカは高くて買えないので、国産のライカ型中古カメラを買おうと思って探しはじめたら、とんでもないライカより高い値段がついているんですよと驚いて報告しにきた。値段が高いのは希少性ということだろうか、ライカ、コンタックスの模倣といわれる35ミリカメラは戦前からあったが、特許の問題があってコピーモデルはつくることはできなかった。戦後になって、特許が少しクリアーされたことと、工業技術の進歩に助けられて、高級35ミリカメラ群が登場した。
 カメラメーカーだって、ニコンがライフの写真家たちに評価されるまで、小型国産カメラが国外で売れるようになることはあまり考えていなかったと思う。それでは国内で売れたかというと、そんなに売れなかった。日本人の写真好き、カメラ好きは事実だが、あのころはどう考えてもカメラの値段が 高かった。去年の暮れに発売されたニコンF5がボディだけで30万円を超えて、高いなーと大騒ぎしたが、ほかの物価と比較してみると大したこととは思えない。現在、大学卒初任給2ヶ月分以内でF5が一台買える。それに比べてみると昭和20年代後半、高級35ミリカメラはいずれも初任給10ヶ月分くらいだった。一台買うのがやっとと言う時代である。それに昭和20年代は二眼レフ全盛期だった。一般的には35ミリカメラよりは二眼レフに人気があり、値段もほどほどだったから、なかなか35ミリ高級カメラには手が届かなかった。いまクラシックだと言って当時の35ミリ高級カメラがたやすく手に入らないのは、実際に製造された品物が少ないためだ。そんなにたくさんお台数が売れていたとは思えない。これが希少価値の理由に違いない。

 前回に書いたが、私たちが35ミリカメラを使ったのには理由があった。それは速写性と機動性である。キヤノンのIVsbとニコンS2、S3を比較してどちらが良いかと言われると返答が難しいが、ある種のスナップ撮影においては、キヤノンをはじめバルナックスタイルのカメラの方が使いやすかったと言える。
 オートフォーカスと言うのはカメラマンに撮っては夢で、本当に完全にピントが自動的に合ってくれたらどんなに良いことかと思っていたし、現在も思っているのだが、そうかといって、これまでスナップ写真撮影でピント合わせに苦労をしたことはあまりない。それはレンズにフォーカスレバーがついているカメラでは、これを利用することで大変に簡単にピントを合わせることができたからだ。
 いまはライカM6を50ミリレンズつきで買って、使おうとしてもついていないのだからわかりにくいが、昔のレンズには焦点調節用のレバーがついていた。このレバーが実際の撮影で大変重要な役割を果たしていたのだ。

 写真学校の基礎実習で街に出て、人物スナップの練習をやる。撮影のことにあまり興味のないかたには申し訳ないが、カメラの機能を撮影の実際から見たほうがわかりやすいのでちょっと辛抱してください。街頭で人物を撮る。カメラを縦位置(縦画面)にしてフィルムの画面いっぱいに、人物を頭のてっぺんから足の先まできっちりと入れて撮る。歩いてくる人間をピントを合わせようとすると難しい。そこでピントを合わせることを止めてしまうのだ。50ミリレンズで画面いっぱいに人物を撮ろうと思うと、画面縦位置でちょうど3メートルになる。それならば始めからレンズの距離目盛りを3メートルにセットしておいて、画面いっぱいに人物がなったときにシャッターを切ればよいことになる。横断歩道を歩いてくる人を撮るときも、ファインダーをのぞいていて画面いっぱいになったときにシャッターを切ればよいのだから簡単だ。この練習をやると難しいと思ったことがあまりにも簡単にできるので写真が楽しくなってきてしまう。
 この方法はレンジファインダーカメラであろうが一眼レフカメラであろうが同じで、一眼レフの場合はレンズの距離目盛りを先に合わせておいて撮影することになる。昔のライカタイプのカメラではこれをレバーの位置でやることになる。カメラを構えてインフ(インフニテー)の位置からクリックをはずし真下の位置にレバーをもってくると2メートルの位置にピントを調節したことになる。このレバーは当然左手の人差し指で動かす。インフのところから2メートルのところまで45度ほどの間で距離を調節することができる。3メートルの位置は真下よりわずかにインフよりのところ、スナップ撮影で大切な5メートルはこの45度の間の中間点だ。指先のわずかな動きで距離を調節することだから、難しそうだがやってみると大変簡単、こんなことで大丈夫かしらと思うほどだ。
 ライカタイプのカメラの良さの一つはこのレバーを使うことにあった。実際にライカを使って撮影するとき、私の場合は35ミリレンズが多かったのだが、2メートルより以遠のものを撮影して、レンジファインダーを使ってピントを合わせることはほとんどなかった。レバーの位置によるきわめていい加減な測距離をやっていた。これは私だけの特殊な方法と言うことではなくライカを使って写真を撮るだれもがやっていたことなのである。

 これは設計者であるバルナックが、そこまでわかっていてレバーの丸ポチをつけたたとは考えられないので、使う方が勝手に使用法を開拓してしまったことになる。かって「決定的瞬間」(THE DECISIVE MOMENT)のアンリ・カルティェ・ブレッソンが来日したとき、私はお目にかかる機会がなかったが、彼の日本での撮影を見てきた同僚は、彼がライカのレンズのレバーを付け替えて大型の棒状のレバーにしているのを見て報告してくれた。これは評判になって日本でも改造して大型のレバーをつけることが流行した。
 キヤノンIVsbを使っていたが、あんなに見にくいファインダーで距離をあわせてみると、この点ではとても及第点は与えられないと思われる。このカメラが評判が良かったのは、あまりレンジファインダーをあにしていなかったということだったのかも知れない。

上の写真は、筆者が現在、愛用しているライカM4、レンズはズミルックス35ミリf1.4がついている。このカナダ・ライツ製のレンズからピント調節レバーの形が変わった。丸ポチの突起型に慣れていたので、はじめは頼りなかったが、この柔らかなレバーは大変具合が良かった。

下の写真は、IIIF時代のレンズの調節レバー。M5と一緒に買った50ミリ・ズミルックスレンズには、焦点調節レバーはなくなっていた。