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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

 デジタルカメラを見にいってきた。キヤノンの『EOS・DCS-1』である。目下、35ミリタイプのデジタルカメラでは一番高いカメラだ。CCD(画像素子)がずいぶん大きくなってきた。35ミリフィルムの24ミリx36ミリほどの面積はないが、このごろ、流行してきたAPSカメラのフィルムの面積とほぼおなじだ。デモンストレーションの説明によるとこれだけのCCDを作るのは大変に難しく、千個つくって一個しか製品として合格しないのだそうである。そういうわけでこの600万画素の画質の良さを誇るこのデジタルカメラは360万円という立派な値段がついている。
 画像も立派なもので、35ミリフィルムで撮影した写真ををフィルムスキャナーで画像処理をするのとかわりかないくらいしっかりしている。記録にハードディスクを使うので連続撮影ができないことと、電池があまりもたないところが泣き所か。デモではAC電源をつかうことをすすめていた。
 デジタルカメラが流行しそうだ。普及型カメラの質が少しづつよくなってきたからだ。キヤノンが普及型のカメラ、57万画素の『パワーショット600』を売り出すと、オリンパスも同じ価格で81万画素のカメラを発売する。いよいよ低価格で質のよいデジタルカメラがつかえるようになってきた。
 デジタルカメラのことを話題とするのが目的ではない、カメラの値段のことを書こうと思う。ニコンFが五代目になった。10月から発売きれる『ニコン・F5』が評判である。シャッタースピードなどの表示がアナログのダイアル表示からデジタル表示になったのがニコンらしくないとか、いろいろ取りざたされているが、新型だから『F4』にくらべて機能的に優れているのは当然だろう。性能もそうたが、評判になっているのは値段である。カメラボディだけで32万5千円の定価がついている。F4の最上級モデルE型が26万2千円だったから、30パーセントちかい値上がりである。私の周囲のニコン党も、高いなーとため息をついている。たしかに高くはなったが、他のものに比べるとどうだろうか。
 『スピグラ』というカメラがある。正式名は『スピード・グラフィック』戦後の昭和20年代から昭和30年後半まで新聞写真の取材で活躍した人気カメラである。なぜそんなに人気があったかというと、一つは敗戦国日本にやってさたアメリカのカメラマンたちがつかっていたカメラが光り輝いて見えた。反米思想から開放されて、アメリカ文化へのあこがれみたいなものが一気に盛り上がっていた。しかしそれだけでスピグラがもてはやされるわけがない。このカメラはそれまでのハンドカメラにくらべて画期的な性能をもっていた。
 すこし詳しく説明すると、使用フィルムは4x5版(10センチx12センチ)の大型カメラ、木製のボディで蛇腹がついている。
 レンズはシャッターつきの127ミリか135ミリのレンズがついていた。
 大型なのにカラートのレンジファインダー(距離計)がついていた。
 レンズシャッターとはべつに1000分の1秒がきれるフォーカルプレーンシャッターがついていた。
 ファインダーは光学式とフレームファインダーの両方がつかえた。
 なんと言ってもスピグラの評判がよかった最大の理由はボディの脇にしっかりと固定されるフラッシュガンだ。まだストロボ(スピードライト)はつかわれない時代であったが、夜間撮影などで、これだけ確実な発光装置はほかになかった。
 一見、大きくて重いように見えるが、ずしりという感じではなく、片手で振り回すことが出来た。エクター127ミリ・F4.7が鮮鋭度かよいと評判のレンズであったから、新聞社のカメラマンがこれをつかいたがるのは当然であった。
 敗戦で貧乏国になった日本は外貨が自由にならなかった。どの新聞社もこのカメラを手に入れるのに苦労をした。私が朝日新聞社の出版写真部に入ったのが昭和29年(1964年)で、入社してしばらくすると、ぼろぼろのスピグラを渡されて、これで仕事をするように言われた。じつに見事にボロで、たくさんカメラマンがあつまる取材現場などでみまわしてもこれ以上使い込んだカメラはほかに見あたらなかった。しかし使っていると愛着がわいてきたし、いい写真が写ってくれたのですごく大事なカメラになった。
 そのころ自前で新品のスヒグラを買った同僚がいた。28万円である。新聞社のカメラマンで自分でスピグラを買う人間はいなかったから評判になると同時に、自分がつかっているカメラの値段が高価なのにおどろいた。月給が一万円の時代である。
 物価の変遷表を見ると公務員の初任給、昭和29年9200円となっている。まだ月給1万円にとどいていなかった。物価の基準になるかどうかわからないが、コーヒー一杯、昭和30年は50円くらいであった。あまり値上がりのしていない私鉄の運賃が現在、昭和30年の13倍くらいになっているそうだから、それに比べてみるとカメラの価格はそれほど上がっていないことになる。
 カメラの値段のことが話題になると、かならずのように、戦前、ライカ、コンタックス一台で家が一軒買えたという話になるのだが、ほかのものが安かったのか、カメラが高すぎたのか、ちよっとわからないところがある。こう考えて見ると、E0S・DCS-1の360万円は当時に比べるものがないから単純に言えないが、ニコンF5の32万円はそれほどのことではないのかも知れない。