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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

エルマノックス・ザロモン補足(つづき)
 前回、エーリッヒ・ザロモンとエルマノックスカメラのことを書いたら、この連載を読んだ友人、知人の方から間違いの指摘や問い合わせがたくさん届いた。

 エルマノックスカメラについては、「焦点調節でレンズの繰り出しが鏡胴のヘリコイド直進によると書いてあって、添付されている写真を見ると確かにそうだが、自分が見たエルマノックスは蛇腹がついていた。このエルマノックスには確かF1.8レンズがついていたから、初期型のつぎは蛇腹によるピント調節になったのでは」と書いてある。

 これに蛇腹のついたエルマノックスの写真コピーが入っていた。このコピーを見るとなるほど蛇腹がついていて円筒形のレンズヘリコイド部分は見えない。写真のコピーが不鮮明なのでレンズの焦点距離やF値などは読み取れないが、こういう写真があることは蛇腹式のエルマノックスも実際に存在したのだろうから調べてみた。

 ザロモンの使ったエルマノックスはF値がF2なのかF1.8なのかはっきりしない。最初に発売されたときはF2/100ミリレンズ付きであったが、まもなくF1.8/100ミリ付きに改良されて発売されたとなっている。彼の経歴に関連してカメラを購入した時期を考えてみるとF1.8レンズつきとも思われるがほとんどの資料にはザロモンはF2レンズ付きを使ったと書いてある。

 朝日新聞社から1976年に発行された「幕末・明治・大正・昭和・カメラの歩み」にはエルマノックスについて第1次大口径レンズ競争時代の画期的であったF2エルノスター(すぐにF1.8になる)を装着、フラッシュなしの室内撮影や夜間撮影が出来た。ドイツの有名な写真家エーリッヒ・ザロモンが優れた室内スナップを撮り、キャンデットフォトという写真の一分野が確立した。

 ボディは合金ダイキャスト製、黒モロッコ革張り。焦点調節は直進ヘリコイド。シャッターは縦走行フォーカルブレン20分の1〜1000分の1秒・T。ファインダーは折りたたみ式ニュートン。大きさ・横幅10.3×高さ8.3×奥行き9.4センチ、重量1.03キログラム。と書かれている。

 同じく朝日新聞社発行、酒井修一さんの1997年発行の「ライカとその時代」を読んでいたらエルマノックスの話が出てきた。ドレスデンのハイリッヒエルマネン社のエルマノックスは1923年エルノスターF2レンズ付きでデビュー、翌1924年にはF1.8レンズ付きを発売した。鳴り物入りの積極的な宣伝をしながら効果がなく、次の年1925年にはヘリコイド式の製造を打ち切って、蛇腹式のエルマノックスに移行してしまった。ザロモンは1926年にF2レンズ付きを買ったと書いてある。

 これによるとザロモンは製造中止になったカメラをわざわざ買ったことになる。エルマノックスは筆者が使ったことのないカメラだから、確信を持ってこうだと言えない。どうも使ったことのないカメラのことを書くのは難しい。

 写真家ザロモンに関してはその経歴について、諸説があるようで訂正の必要があるのかも知れない。たとえば前回にベルリンの大学を出たと書いたのははミユンヘンの大学卒業が正確のようだ。また大学を出てから総合情報産業のウルシュタイン社に入るまでの期間が大分空いていることへの疑問などについていろいろご指摘をいただいた。

 この疑問、問題点を列記しようと思っていて、たまたま1964年に発行された渡辺勉さんの写真評論集「今日の写真・明日の写真」のなかにザロモンの評伝が3ページほどでていた。これには友人知人のかたのザロモンについてのご指摘と同様のことがたくさん含まれているので、これを合わせて引用させていただく。

 ドクター・エーリッヒ・ザロモンは1886年ベルリンの裕福なピアノ製造業の父親のもとに生まれた。少年時代のことはわからない。動物学に興味を持っていたが、ミユンヘンの大学に入り建築と法律を学んだそのあと法律学を専攻して学位を取った。

 1914年第一次世界大戦が始まる。大学を出てからウルシュタイン社にはいるまでの間の経歴には疑問があることを前回述べたがこの不明の点について、渡辺勉さんのザロモン評伝には大学を出た彼は第一次大戦のとき軍隊に入り従軍中、フランス軍にとらえられ捕虜になり4年間の獄中生活を送ったと書いてある。

 第一次世界大戦が終わったのが1918年11月だから、彼が解放されたときは、33才ということになる。戦後父親のピアノ製造業はインフレ経済で倒産。法律相談を始めたりいろいろなことをやるが成功せず、出版社であるウルシュタイン社のニュース報道には関係のないと思われる宣伝部にはいる。この入社の時期ははっきりしない。

 また宣伝部に何年間いたのか、いつ法曹関係の記者あるいは写真記者に替わったのかは、これもわからない。渡辺評伝では1927年会社の資料を記録するためにビューカメラを買った。それが契機となった数ヶ月語にF2/10レンズ付きエルマノックスを買ったと書いてある。こうなると前記の酒井修一さんの1926年購入説は怪しくなってくる。

 この辺がきわめて曖昧だ。27年に購入したとすれば当然F1.8レンズ付きが発売されていたので、明るいレンズで写真を撮ろうとしていた彼が古いほうのF2レンズ付きを買うことは考えられない。とすると1924年発売されたこのカメラの購入時期は24年か25年ではないだろうか。

 エルマノックスを買った当時、彼はまだ宣伝部にいて写真家として働いていたのではない。彼が法曹記者あるいは写真記者として法廷内の写真を撮ったのは1928年としているが、この点も怪しくなってくる。なぜなら彼が写真集『気付かれない(無防備な)瞬間の有名人たち』を出版したのは1931年となっているからだ。

 筆者は自分の経験からいって、写真をはじめて1年くらいのカメラマンが室内ノーフラッシュという難しい国際会議場や法廷での撮影を一発必中で成功させることは至難のことと思われるからだ。これには記者としての経験がなければ成功しないだろう。

 エルマノックスカメラについては半蔵門の日本カメラ博物館に展示されていることを知らせてくれた友人がいた。早速出かけていったが休館中でこの原稿に間に合わなかった。

写真説明
(1) 後期型の蛇腹式になったエルマノックスカメラ
(2) F2レンズのついている初期型のエルマノックスカメラ