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デジタルの可能性


鶴田義久氏は、ご自身でデジタルカメラの制作まで手がけられている。そのこだわりのデジタル論を熱く語っていただいた。

編集部(以下編):現状はいかがですか。
鶴田義久(以下鶴):初めからデジタルカメラを使う場合と、フィルムをスキャンする場合と、ケースバイケースですね。CCDは、シャッタースピードが1/8秒より長いと追従しないという問題もありますし、機材に縛られて撮影するのはつまらないでしょう。ハーフサイズカメラから大型カメラまで、自分のイメージを再現するのに適したフォーマットを選びます。デジタルカメラもその選択肢の中のひとつです。デジタルカメラだとキャリブレーションの問題が大きく、現状では、撮影は銀塩に多少ぶがあるんじゃないかと思っています。
編:キャリブレーションの問題は多く聞かれますね。
鶴:電源の問題もありますね。僕はオープンで撮影することが半分以上あるわけですが、僕が作ったデジタルカメラ用電源以外は、屋外での電源供給の問題を解決できていないんじゃないかなぁ。
編:タチハラ写真機製作所と共同開発して、IPPFにも展示してあったカメラのことですね。
鶴:そうです。35mm用や6x7用など、どんなレンズでも使えるというのが特徴です。イメージャー(CCDユニット)は、コダックのDCS465を使っているのですが、フィルムバックを交換することによって、銀塩でも撮れるし、デジタルでも撮れるという、ハイブリットカメラです。
 乱暴な言い方をあえてすれば、CCDに露光するということは、厚みゼロのフィルムを使用していると考えられます。それに対する理想のレンズというものも考える必要があります。
編:CCDは、フィルムよりも面積が小さいわけですから、より解像力のあるレンズが必要とも言われていますよね。
鶴:良像基準という問題が大きいですね。それを考えた時、当然35mmフィルム用に設計されたレンズの方が良像基準が厳しいわけですから、露光面が小さいデジタルカメラには有利です。レンズの性能はそれだけで決まるわけではありませんので、これが、ということは言えませんが。
 ライカのレンズはライカの味だし、コンタックスのレンズならコンタックスの写りをする。僕の作ったデジカメは、どのレンズでも一眼レフカメラ用ならばすべて装着できるようになっています。暗箱の精度も高いですし、4x5のような実像式なので、ピントは正確です。フィルムでは、それ自身の持つ厚みのために不可能だった水の表面だけにピントを持ってくるということも、フィルムの厚みがないCCDによるデジタルカメラならば可能になります。
編:デジタルを始められたきっかけをお聞かせ下さい。
鶴:フォトショップの2.5を見たときに、これはいけるな、と思いました。作品に使える、というよりも、これは、というひらめきがありました。それで、ここまでのめり込んでいったのですが。
編:それ以前にもコンピュータの経験があったのでしょうか。
鶴:15年くらい前にコマフォト誌上で合成の素材と構成という特集をやったことがあります。その時はオペレーションは全てオペレータ任せでした。オペレータにイメージを伝えることが出来なくて苦労しました。言語が違う、と感じるくらいでした。
 やはり、間に人を入れると難しいですね。イメージの自己完結ができない。
編:入稿に関することはいかがでしょう。
鶴:僕は、データ入稿よりも、ピクトロの反射原稿で入稿した方がいいと思っています。画面で見ているのはRGBの透過原稿ですから、それを反射原稿である印刷で再現しようとすると、CMYKに変換することが必要になってきます。いくら画面でCMYKに変換したといっても、結局見ているのはCRTで、RGBなのですから、完璧なキャリブレーションは不可能でしょう。イメージの完結、ということを考えると、自分自身で完璧な反射原稿を作って入稿した方がいい。うちは、CRTからピクトロまで、完璧なキャリブレーションがとれています。あとは、印刷の能力、印刷オペレータの能力で、完璧な再現を試みてもらった方がいいでしょう。特色を使うという判断も、印刷担当者が下せばよいわけですし。
編:プリントがあれば、この色を出せ、と言えますからね。
鶴:プリント上でイメージの完結が出来ている、ということが重要です。デジタルを導入することによって、それが可能になったと言えるでしょう。ピクトロはRGBですが、それをCMYKの印刷物にする。特色を使う。そういう研究は、印刷サイドがやればいいことです。ただ、印刷会社がデジタルパブリッシングのための撮影というものをやってきていますから、将来写真家も淘汰されていくかも知れませんね。
編:フォトショップは、MACでお使いですよね。
鶴:あれしかないですからね。写真家が作ったソフトではないけれど、鉄下駄みたいなもので、あわせるしかない。
 銀塩でも撮影でき、デジタルでもやれる。これだったら、銀塩の方がいい、など、写真家として判断することが重要ですね。情報量、コンパクトさなど、フィルムも見直す必要があるでしょう。
編:銀塩とデジタルの使い分けに基準があるのでしょうか。
鶴:フィルムの厚みをゼロにしたいときや、現像する時間がないくらいすぐに写真が必要な時は、デジタルカメラで撮影します。今見たい! という気持ちが働いた時もデジタルカメラです。現像に出して何時間も待っていたら、今見たい、今イメージを膨らませたい、という欲求が満たされませんから。
 それから、デジタルの方が環境に優しいのではないか、ということもあります。機械を製造する行程で公害が全く出ないわけではないけれど、現像、停止、定着等の廃液は出ないですからね。うちには暗室がないのですが、それも、環境に対する配慮からです。廃液を集めてラボに処理を頼んでも、いい顔はしません。廃液が出そうな処理は、モノクロも含めて、ラボ処理にしています。自家現像をして、そのまま家庭排水に廃液を流している人って、結構いるでしょう? 僕は、将来に渡っても旨い酒が飲みたいので、そういうことはしません。
編:耳が痛いです。写真のない発展途上国に、廃液の出る銀塩写真を持ち込むのはやめよう、と唱えている人もいますよね。デジタルカメラ文化のみを広めようという。
鶴:しかし、本当にどちらがいいのか判らないですが。電気を作る、CCDを作る、ICを作る。それらが起こす環境破壊の方が深刻かも知れません。まぁ、自分の信じる方法をとるしかないのですが。しかし、写真を撮るという欲求は抑えられませんから、自分のよりよいと考える方法をとるしかありません。デジタルでも、銀塩と同じレベルでできると思ってやっています。後退してしまっては、つまらないでしょう。
 それとデジタルにおける映像の可能性は無限大なのに対して、人間のイマジネーションの限界を感じる位ですよ。ま、体力を含めたイマジネーションの話になりますがね。
 さらに言えば、デジタルというメディアは、映像なり音楽なりの信号を神経細胞レベルにダイレクトに刺激という形でインプットする。文字や感情に訴えるメディアを超えている。  デジタルによる感覚の変容を自覚しつつ写真を指向するということになる。
編:デジタルのままでの発表はお考えでしょうか。
鶴:著作権の問題が大きいです。それと、キャリブレーションの問題。うちのハードは、CRTからピクトロまでキャリブレーションを完璧にとっていますが、例えばCD-ROMにした場合、ユーザー側というか、見る側のCRTの色やCRTの置かれている環境をコントロールはできません。ただ、昔の、ビートルズのレコーディングを例に出すと、彼らは、最も安いプレーヤで聞いても楽しめるように録音したそうです。写真も、フルカラーで見るだけでなく、たとえ256色でも、16色でも良さが伝わるような作品を発表してみたいです。
編:但し書きに、1670万色以上で見ることを推奨するのではなくて、それでもいいけれど、256色でも感動できるぞ、って書いてあったらカッコイイですね。
 今日は、貴重なお話しをありがとうございました。

Photo by Yoshihisa Tsuruta. Reported by AkiraK.