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写真集へのこだわり

 「写真はランニングポイント、走る点というか、持続しないと意味ないと考えているわけです。写真を始めたときから僕の興味というのは東京というか、都会というか、都市ですね。「都市」をずっといろんな形で撮っているわけですよね。ある時は人間そのものにいって「東京人」ということにもなるし、それからまさに「都市へ」という、都市を都市化していくっていうかな「風景論」ってよく言われた時期がありましたね。都市を撮り継いできたわけです。」
 と自分の写真について語る高梨豊さんはこれまで、写真集をいくつか出しているが、1975年に出した「都市へ」(イザラ書房)が最初で、デザイナー杉浦康平氏の装丁は当時話題を呼んだ。
 「デカくて重いとか、値段が高い、住宅事情を考えていないなど。金井美恵子は『自己顕示欲の象徴みたいで、そういう男だったのか』なんて酷いこと言ったんだよね。大きなバックルがついているとか。あれは一つの函の写真集の中に二つ写真集の群れがあるんです。東京人というノートの形式で写真集の函の底に切り込んで、その函の反対側に『都市へ』が収まっている」という構造のものだった。漆黒のクロス張りの函の左側の切り込みに黒い表紙のノート「東京人」が埋め込まれ、右側に同じクロス張りの写真集「都市へ」が、その表紙にはステンレスの鏡が埋め込まれている。 「置いて見ると全部写るでしょ、部屋なら部屋が、外に持ち出せば空が、そうするとこれだけ厚みがある写真集の実体がなくなっちゃう。透明な書物というか、そういうことにした方が高梨君の考えに近いんじゃないの、と康平さんに言われたんです」「それはいいですね」と依頼したのだが、本来オールステンレスのデザインだったのが、工作が出来なくて円い鏡になってしまったのだという。
 もう一つ高梨豊写真集「東京人1978-1982」(1983年、書肆山田)がある。「写真展が見せるものだとすると、写真集は読ませるものじゃないかな。これはね都市を読み解くという意識で作っていて、写真展もやりましたが、それは会場をある方向からぐるっと見せるというやり方で、これは三面同時に見られるようにしたんですね。それが、普通の写真集だと見る順番きまっちゃうでしょ。これはある程度組み替えられるんですね。それが都市そのものの構造だと思うんですよね。一つの見方だけじゃなくて、いろんなものが交錯した視線があったり、思考があったりというのが、都市そのものだと思うんです。そういうものを写真集として具体的な形として可能な範囲でですよ、やったわけ。だから本当はこのために100点写真とったけど、その構造にするためには点数減っちゃったんです。それはよしとして、見るというか読み解くためにはこの写真集にはただの説明ではなし、オマージュでもない文章がある。哲学者の長谷川宏、詩人の藤井貞和、劇作家のRoger Pulvas、画家の中西夏之の四人がそれぞれの立場から僕の写真について書いた文章が入っている」
 それだけではなく、この写真集をニースに住むフランスの文学者ミッシェル・ビュトール氏のところにフランス文学の清水徹さんが持っていって、この写真と都市、都市人間、書物というテーマで話をしてもらった記録の付録があり、写真集「東京人」を購入した人が読書カードを出版元へ送ると、ビュトール氏のメッセージの入った付録が送りつけられて、この中へ組み入れて写真集が完成する、という手の込んだ仕掛けになっている。
 これだけの時間の質というものは、ただ見るだけの展覧会と違うというのだ。
 高梨さんの出した写真集の中でこの二つだけが自費出版だった。
 「写真集と写真展あるいは雑誌の違いというのかな、それは違う時間ですよね。見る時間、写真展は一過性のものですが、写真集は手元に置けますし、写真が持続でランニングポイントだというそのランニングの軌跡のチェックポイントと考えている。物として欲しいわけですよ。だけどあまり見ませんけどね。造っちゃうと。そういう意味では、次に興味が行くというのか、出来たものにあんまり興味ない。だからこの写真集も、出すのに大変だったんですよ。」
 高梨さんのランニングポイントは常に遠くへ走り続けているのだ。(谷)