1995/10/15 No.17 NEWS LETTER for Photo Lover

ワークショップ“写真的体験”開講


 Renaissant主催、築地仁ワークショップ「写真的体験」が、10月7日(土)東京・恵比寿の東京都写真美術館アトリエを皮切りに来年9月に至る1年間の会期のスタートを切った。
 受講メンバーは20代から50代までの男女あわせて18名。
 翌週の14日第2回目は恵比寿ガーデン・プレイスを舞台に築地さんと共同の撮影会に始まり、喫茶店の雑談会、三田の機械工業会館での講義、終わっての飲み会へ、各自持参の作品を見る、カメラを持った時の癖を見る、石膏像のライティング撮影、スナップなどを通じて築地講師は受講者個人の写真的生活の細部を的確に指摘し、熱のこもった対応をしている。受講者も講師の指摘に鋭く反応するなど、個性みなぎるワークショップらしいエネルギッシュな雰囲気で、これからのスケジュール進行に期待がもたれる。
 受講者
 玉木純夫、紅谷元康、山本裕之、篠原一平、樋田和憲、小山幸彦、堀川弘幸、横田とよ子、小野直美、小林純子、澤田直人、久保正男、木下陽子、松葉理、郡田恵美子、田中亜紀、土器典美、広瀬久起、宮本ヒロユキ。


Gallery

セシル・ビートン/ヘルムート・ニュートン ヴォーグ誌上に創り出した虚構の王国  谷  博

 僕の好きな二人の写真家のコレクションが、時を同じくして東京で観ることができる。両方とも提供してくれているG.I.P.の倉持悟郎さんにまず感謝の言葉を捧げよう。
 写真家の一人はセシル・ビートンであり、もう一人はヘルムート・ニュートンだ。
 ヘルムート・ニュートンは80年代以降日本でもよく知られているが、セシル・ビートンは劇場や映画の世界のアーティスト・ディレクターとして名高いが、彼の写真作品をまとめて観る機会はこれまでなかった。共通していえることは、二人ともファッション誌ヴォーグ(Vougue)を舞台に独自な世界を創り上げていった写真家であることだ。ビートンは1930、40年代の、そしてニュートンは1960年代から70年代へかけてであるが、彼等の世界は、たとえば貴族趣味、上流社会、ファンタジー、エレガンスに、退廃、虚構などという言葉がつけ加えて語られることでも共通している。
 ビートンで最も印象的な作品は、1941年の英国ヴォーグ誌に使われ廃虚の中に立った後ろ姿のモデルだった。1941年といえば、1939年に始まった第二次世界大戦の真っ盛り、中でも“Battle of Britain”という、英国にとって最も過酷な闘いでロンドンは連日連夜ドイツ空軍の爆撃を受けていた時期である。殺戮と破壊の跡も生々しい瓦礫の中に、貴婦人が散策を楽しんでいるような雰囲気で、何事もなかったようにモデルを立たせる、その強健な精神に僕は圧倒されたものである。
 映画、グラフジャーナリズムという、視覚に訴える媒体が大衆に浸透しつつあった当時の表現は、社会そのもの、そして労働者大衆の生に目を向ける、社会主義的リアリズムに圧倒的に傾いていた。1920年代に始まるその風潮のなかで、貴族階級の流れをうけた上流社会の日常の香味を、嫌味たっぷり、ケバケバしく隅々に配置し、俗物的と非難を浴びた彼の表現の裏返し、それが廃虚とファッションの写真であり、それは当時のセンセーショナルな報道写真への批評でもあったか、と僕は感じたのである。
 ヘルムート・ニュートンで極め付きの作品は、1981年ヴォーグ・フランス誌に出た、着衣と同じポジション、同じポーズでモデルを全裸で撮影し対比させた写真である。ヘアーを風にそよがせ、堂々と街頭を闊歩する風情の超一流モデルたちの姿は衝撃的だった。晴れの席で取り澄ました女の人達を、頭の中で裸にして一人顔を真っ赤にした少年の頃が思い当たる。大人の眼になって見ても、生々しい肉体と衣裳の皮肉をここまで突きつけられ、ドキッとしない男はいないだろう。
 虚構とは、存在することの許されないもう一つの現実を、引きずり出しぶちまけることなのか。
 英国生まれのセシル・ビートン、ベルリン生まれのヘルムート・ニュートン。二人の創り出す美の底には、なにか僕らとは質の違った血が流れているのを感じるのである。
 
セシルビートン写真展 10.17(火)〜10.22(日) 東京・日本橋三越本店7階
ヘルムートニュートン写真展 10.18(水)〜11.5(日) 東京・新宿小田急美術館(新宿店本館11階)


ふるさとの肖像

藤 田 寛 展  福島県東白川郡棚倉町 宇中山本より
平成7年10月24日(火)〜29日(日) 午前11:00〜午後7:00(最終日は5:00まで)
アートスペース リビーナ  地下鉄表参道駅A3出口0分 表参道ビル4F 港区北青山3-5-2503 03(3401)2242

 ある日、ある小さな村へ、都会の雑踏から息つきたい気持ちで、カメラを片手に訪れて、何を撮るとも決めずに、野良仕事をしている爺さんに声をかけた。愛想のよい爺さんの話しは尽きず、暑かった太陽がいつの間にか奇麗なタ日に変わっていました。なんとなく何処にでもある光景ですが、実は、この村は藤田寛さんの父親の生まれ故郷であり、この爺さんとは親戚関係だったのです。
 誘われるまま家を訪れると、爺さんは家にある古い鎧を出して身につけて見せてくれたのですが、先ほどの野良仕事をしていた人物とは思えないぐらい、凛々しい姿に、多分放心状態で見とれていたのでしょう、「写真を撮らないのか」の声で一瞬我に戻り、手にしていたカメラでシャツターを無心で押し続けたそうです。
 その時の作品が日本広告写真家協会展、会員の部の金賞を授賞したのをきっかけに、次の年から折に触れ村へ出かけて、お爺さんの息子達の家族達、またその親戚の人達と撮影を続けてきた作品です。
 心のどこかに潜んでいた父親の故郷への思いから、彼は村の至る所、そして人々の心の中に父親の影を見、子どもの頃聞いた、父親の生い立ちの記憶を甦らせ、「父親」を通して、日本人を語れる心境になったそうです。 それ以来、仕事の合間に村へ通うこと20年。 いつか消えてしまうかと思った村が、恵まれた環境のなか、生き続けています。  写真家  福永一興 記


Essay

『作家の生活』 金村 修

7月X日  12時40分から1時まで、高円寺で撮影。キャバレーの裏口から撮影していると、ホステスのお姉ちゃんが、ゾロゾロ入ってくる。ホーッ、最近のホステスっていうのは、ずい分とキレイになったもんだ。中には整形手術でもうけたような、目鼻立ちのととのった女もいる。それに洋服も結構ぢみで高そうな服ばかりだ。俺が17の時、成増のキャバレーでバンドの仕事をしていた時、ホステスっていうのは、みんなケバイ服を着てシャブ中みたいに目の下真っ黒か、やたらブクブク太っているかのどっちぐらいかだったもんなあ。
 ホステスっていうのは、よく男に殴られたとか言って、顔中アザだらけにしてたり(ホステスって顔が商売道具なのにな)、夜中にヒモ連中が金をセビリにやって来るから、女が財布から一万円札だして渡そうとすると、男が一万円札じゃなくて、財布を全部取って行っちゃうとか、とにかくロクな男がいなかった。今のホ ステスなんて、まるでどっかの会社のOLみたいだ。とか何とか思っていたら、怖そうな客引きの兄さんが、こちらをジッとにらんでいるじゃないか。ただちに退散。
 しかしキャバレー街っていうのは、何でどこいっても同じ消毒液の匂いしかしないんだ、誰かが性器と肛門は隣り合わせとかいってたけど、消毒液とオシボリとアルコール、疲れてやる気がない時はアンフェタミン、そういうことは十年前と変わらないんだろうな。
7月X日 8時40分起床、9時20分から撮影、12時40分から1時10分まで撮影、3時30分から5時10分まで撮影。死にそう。一日中、東京を撮影していると、体の内臓にまで街じゅうの匂いがしみ込んできそうだ。昔、日野啓三が東京には匂いがないと言っていたが、たぶんこの男には“鼻”というものが顔にくっついていないのだろう。撮影に文学的な余地なんてないのさ。空に落ちるとか、なんとか紫っていうマンガ家が何か書いていたが、空が飛ぶほど世の中甘くないぜ、空の青さにつぶされそうだ。9時から2時まで酒を飲んで寝る。
7月X日  フィルム現像8本全部失敗。現像液じゃなく、最初に定着液をいれてしまい、すべてス抜け。先行きが暗い。
7月X日 フィルム現像50℃でやりネガ真っ黒。ますます先行きが暗い。
7月X日  フィルム現像24本成功。しかしおもしろいネガまるでなし。 どうなる写真展。
7月X日  毎日同じことの繰り返しに、こういうのをルーティン・ワークって言うんだなとか、山川健一的なダサい言葉か頭に浮かぴそうになる。ところで俺は“ワールド・ミュージック”とかいう言葉が嫌いだ。あんなもん聞いて喜んでいる連中っていうのは、動物園でゴリラを見て喜んでいる連中と同じ頭の構造だ。動物がそんなに偉いか。同一的な共同体のアイデンティティに身をすり寄らしているだけじゃないか。今日も撮影をする。
7月X日 文句を言っているヒマがあったら、ともかく撮影する。
7月X日 TVでロックバンドを見ていたら。どこの連中もFからGとか、BbからCとかの平行コード移行のオンパレードだ。こいつらテンション・コードとかSus4とか知らないのかい。Bbのブルース・スケールそのまんまで、アドリブプレイばっかりやっているんじゃねぇよ。ユニゾンで怒鳴り合うのがコーラスって言うのかい。少しは、ビーチボーイズでも聴いてみたらどうだい。和声学をかじってみろとは言わないが、最近どうして、こうもユニゾンばかりなんだ。ボーカルが音をつかめないのか、まあ、もうロックになんて未来はない。未来の音楽は「音波測定者j(サティ)のもんだ。エイフェックス・ツインやスズキスキーの方が絶対に未来より先をいっている。
7月X日  ユタ・カワサキのテープを高円寺のパリペキンで買う。すごい。ソウルは消滅した。
7月X日  深夜京王多摩川で乱闘。相手の顔に思いっきりカメラをたたきつける。
 マキナ6×7おしゃか。


Look at me!

ダイアン・アーバス 1923. 3 〜 1971. 7【17】
愛を求め、世界を吟味し、写真に生きた写真家ダイアン・アーバスの言葉で綴る物語
構成 橋本有希子

午後に暇が出来ると、モデルのアパートに行って話をする。私たちは、何にも煩わされぬ二人だけの世界で、あたりがすっかり暗くなるまで話し込む。彼女とは共通点が多い。どちらもぜいたくな環境に育ち、甘やかされ、放任されてきた。そして今、お互いに芸術家として苦闘している。モデルのマニキュアは剥げ、私のシャツドレスもよれよれ。しかし金持ちの家に生まれたという事実は、暗黙の強み。二人は貴族のように振る舞い、時が経つのを忘れて噂話に興じ、議論を戦わせる。秘密を打ち明け、芸術や哲学を論じる。モデルはひどく神経過敏で、自分は心霊能力を持っていると考えている。そして写真の霊に取り付かれるのを恐れるあまり、夜になると自分の作品をしまい込んで鍵をかける。

リゼットの元で学ぶまで、私は写真を撮るというよりは、ただ憧れていた。リゼットから「楽しみながら写真を撮りなさい」と言われ、そうしたところいろいろなことがわかってきた。リゼットには「女であること…… カメラのメカニックな面が理解出来ないこと………にこだわっている」と指摘された。それまで、キャンバス上の全ての線を自分で描く画家は、写真家以上に完全なかたちでイメージを体験していると信じており、そのことがいつも気持ちに引っ掛かっていた。そんなときにリゼットから教えられたのは、カメラが極めて古いものであることや、フィルムの感光面の銀イオンに吸収された光が映像となって定着するまでの仕組み、さらに、風景を自分の手で描く画家と同じように、写真家も自分が撮る全ての惜景を体験出来るのだということ。リゼットは私のかたくななコンプレックスに揺さぶりをかける。人に賛嘆の念を起こさせる写真は人の心をかき乱す力を持っているとモデルは言う。優れた写真家は往々にして破壊的であり、不合理で、熱に浮かされているとも。

◆1958年引っ越し。新居は東68丁目にある3階建のメゾネット式のアパート。例によって家具は余り置かない。

娘たちは成長しつつある。エイミーは丸々としてかわいらしく、無口で引っ込み思案のドゥーンはすばらしい美少女で、妹思い。まるで地上に舞降りた天使のよう。

セントラルパークによくエイミーを連れていくが、娘にはおかまいなしに、読書に夢中になっていた。
い ある日、見かねたルネ・フィリップスにたずねられた。「あなたはお嬢さんのことが気にならない?ブランコから落ちたり、ひざを擦りむいたりしないかと………」
別に気にならない。娘は自分で生きる術を身につけ、勇気を培って生きて行くことを学ばなければならない。それは母親が教えられることではない。彼女と主として娘たちに何を望むかということを話題にしたが、私は両立するものなら、独立心と純真さを兼ね備えていてほしい。成長とは、自分の前にある無数の禁止事項を一つ一つ試して行くこと。例えぱ、昔、オーバーシューズ無しで外出しても肺炎にかからないだろうかということを試してみた。平気だとわかったのは素晴らしいことだった。だから子供達がオーバーシューズなしで、外出することについては何も言わない。風邪をひくとは限らないし、そんなことは問題ではない。

アランのために定期的にコンデナストへ売り込みをするが、アランにとって私の協力がない写真の仕事はもはや楽しいものではなく、仕事は家賃を払う手段でしかない。アランは撮影が終わるのを待ち兼ねて、マイム教室へ直行したり、ヴェスパで町中を走り回ったりしている。アランはかねがね友人から舞台のオーディションを受けるようすすめられていた。オフ・ブロードウェイは確かに金にならないが、アランとしては、年齢を考えるとためらっていられないはず。間もなく40歳になろうとしているのだから。

ハワードや両親とも最近あまり会っていない。
ハワードは教師をしているが、授業の合間にペンをとる。小説による名声は高まりつつある。ハワードの小説『フェデリーゴ、あるいは愛の力』は私とアランが身を置くファッションの世界にヒントを得たもので、彼は私たちを通じて知った様々な人々………気まぐれな情事にふける性にとりつかれた何組かのカップル………を赤裸々に描いた。彼は私たちが嘘で固められたほろ苦い生き方をしているのだと想像して いる。兄の多岐にわたる文学的才能と、高まり行く名声に嫉妬を感じる。私も日記をつけており、作家になる夢を捨てきれずにいる。父はラセックスの新しい支店をサヴォイ・プラザ・ホテルに開店。

台所仕事に時間をとられたくなかったので、いつも家族に調理に手間のかからない粗食をあてがうようになった。「またか!チリだけはかんべんしてくれ」とアランが悲鳴を上げる始末だ。

チークのアパートで開かれたディナーパーティーで、ロバート・フランクと初めてまともに話をした。ロバートは無精髭を生やし、だんまりを決め込んでいた。

写真の仕事に打ち込むようになって、ダウンタウンのアーティストたちとのつながりも深まってきた。そして、目覚ましい才能に恵まれながら、今のところ「アンダーグラウンド」で活躍することの多い女性たちにも出会った。メアリー・フランク、アニタ・スケッテル、ロザリン・ドレクスラー、シャーリー・クラーク、パティ・ヒル。彼女たちは疲れを知らず、野心に燃えている。

◆1958年夏
フランク夫妻と避暑へ、多くの写真を撮る。最も忘れ難いのは、昼寝をするためにフランネルの寝間着を着ているエイミーを撮ったスナップ。メアリーとは親友になった。彼女もまた、何よりも夢のイメージを大事にしている。


編集後記

 編集同人
  谷  博
  鳥原 学
  村上 慎二
  平井 正義
  高橋 明彦
  橋本有希子
  小林 美香
  佐藤 正夫
  野嵜 雄一

Renaissant 第17号をお送りします。
 ワークショップ「写真的体験」には定員を上回る18人の参加があり、講師の築地仁さんも意欲十分で、今のところ受講生側が押され気味です。というのも、築地さんは、緒っぱなからカメラを持たせ、それぞれの性格、写す写真の傾向を言い当てる、という迫り方をしています。なにひとつとっても、その人の考えや、その時の感情が現れてしまう。そういう面白さは、「写真」がコミュニケーションの手段として、いろいろな要素を持ち合わせていることにつながるでしょう。これから、ワークショップの回が重なるごとに、それがどう発展していくか楽しみです。(tan)

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