1995/6/30 No.12 NEWS LETTER for Photo Lover

Another way of telling

「もうひとつの語り方」John Berger 小林 美香

 この本ではまず最初に、バージャーの共同制作者であるジャン・モーアが、写真家としての自らの経験をその時々で撮影された写真と共に述べている。次に、彼が撮影した5枚の写真を、小学生の女の子から、ダンスの先生、銀行員といった様々な人9人に見せ、どういう場面の写真だと思うかと、それぞれの反応を聞き、最後にモーア自身が撮影したシチュエーションを述べる。ここでは写真の曖昧さを、読者である私達の経験に引きつけて具体的に提示している。それを引き継ぐ形で、バージャーは写真の曖昧さと、それが言葉と結びつくことによって独断的な意味合いを持たされるという公的に使われる写真の実状を述べている。この本のタイトルでもあるAnother way of telling(もうひとつの語り方)とは、写真がシークエンスとなって一つの表現手段として(キャプションなどの)言葉に依らず何かを伝えることができるその方法であり、私達が写真を含めて外観(appearance)を知覚するプロセスや仕組みを解きあかす中で、Another way of tellingがどのようにすれば可能になるか、を述べている。この本が最初に出版された1982年の2年前にロラン・バルトの遺作『明るい部屋』(l980)が発表されている。バージャーはバルトにある意味で呼応し、また彼の方向性を打ち出していると言えるだろう。終わりの方では、150枚の写真によって(言葉を用いずに)、「農村の一人のお婆さんが自分の人生を振り返っている」ことを表現している。これはルポルタージユ(写真家が撮影したことの報告)でもなく、映画のスチール写真(作られた物語にあわせた映像)でもない、そのお婆さんについての、見る者の想像力に働きかけてくるシークエンスになっている。バージャーは言う。「否定されうる写真など存在しない。すべての写真は事実の状態を示すものである。検証されるべきなのは、どのようにして、写真が事実に意味を与えることができ、そして与えることができないかなのだ」。彼は、写真史や美的関心の対象になる写真という枠組みを越えて、「私達が写真を見るということ」についてより広い視野を示しでいる。つまり、この本はジョン・バージャーとジャン・モーアの写真と言葉による、写真の「もうひとつの語り方」なのだ。この本がアメリカで再版されたのもごく最近のことらしい。日本語訳の出版が望まれる、というよりもできれば翻訳してみたい本である。

書名 Another way of telling
著者 John Berger(美術評論家、小説家、脚本家)Jean Mohr(写真家)
出版社 Vintage International(A Division of Random House,Inc.New York) 1995
 最初はPantheon Books,New Yorkから1982年にハードカバーで出版されている。 ジョンバージャーは、『見るということ』(飯沢耕太郎監修、笠原美智子訳/白水社)、『イメージ Ways of seeing』(伊藤俊治訳 PARCO出版)等の著作で知られており、その中で美術評論の世界にとどまらない柔軟なものの見方を示している。


work shop 開催予告

築地 仁「写 真 的 体 験」
講 師  築地 仁(つきじひとし)
期 間  1995年10月〜96年9月 1年間18回(95年10、11月は毎週土曜日開催 12月以降は毎月第2土曜日開催)
時 間 18:30〜20:30
会 場 東京都写真美術館(アトリエ予定)
募集定員 15名
受講料  5万4千円
応募締切 9月25日 応募方法 ファクス、葉書で
問い合せ 有)リングス Renaissant事務局
主 催  Renaissant(ルネッサン) 

撮る・見る・考える
 写真にとってこの三つの要素は等価である。例えば、「見る・撮る・考える」「考える・撮る・見る」と言葉を置き換えても、写真行為の中で循環する精神の経路なのである。とはいっても写真を成り立たせている第一のものは「見ること」であり、それはカメラを手にした時だけに求められるものではない。撮るとき、撮る人が普段何を見ており、何を見ていないかがすべてあからさまになってしまうからである。
写真技術の正確な知識
 感じた通りのイメージを正確に表現し、他人に伝える。貴方のものの見方を的確に引き出すものが技術だ。露光、事物に反射する光の微妙な囁きを感じ、フレームに溢れ出させる。そしてプリント仕上げはもう一つの大切な表現技術である。磨き抜かれた独特のトーンを持つ築地仁のプリントを盗め!


Topics& Comics

無限の拡がりを生んだ“ひとつぼ”のレトリック  谷 博
富永剛総展『TURN TO CLEAR VISION』


 ギンザ・ガーディアン・ガーデンは東京・銀座八丁目、中央通りから一筋日比谷よりの金春通りに面したギャラリーである。1993年5月渋谷から移ってきた。間口約5メートル奥行き10メートル足らずの二層の空間(1、2階)をフルに利用して、若者に発表の場を提供するプログラムを、クリエイティブスタッフの下に種々進めている。
 その対象は演劇・パフォーマンスから、音楽、アート、写真、映像と範囲は広く、銀座の高級料理屋やクラブのひしめく界隈に、一際粋けた空間を現出している。それはオープニングの夕べ、会場からはみ出した若者たちが、缶ビール片手に銀座一高価なレンガを敷いた金春通りをパーティー会場にしてしまうからだ。これは細長く、狭いガーディアン・ガーデンの展示空間が偶然生んだ銀座の新風景でもある。
 さて今年は、ガーディアン・ガーデンの恒例『3.3mひとつぼ展』も5回目を迎えて、今年の写真グランプリを受賞した富永剛総氏の『TURN TO CLEAR VISION』展が6月19日から7月7日まで1階のスペースで開かれている。公開審査の難関を通り抜けたこの作品は、35ミリコンタクトサイズの作品1500点である。写されているものは、極く日常的なスナップの断片である。と説明されて、その説明を信じるか、嘘だと思ったらガーディアン・ガーデンの壁面に散りばめられた1500の断片を一つ一つ確かめなければならないことになる。
 一つ一つの作品(35ミリコンタクトを5ミリ程度の発泡スチロールの薄板に貼ったもの)を眺めていくと、街頭スナップから女性の写真、室内、ヌードっぽいものを含め、実に様々なショットなのだが、35ミリの小さなサイズを感じさせない独特な調子がある。元々35ミリコンタクトの仕上がりだから、調子の善し悪しの問題ではないのだが、このサイズは見る人の想像力を不思議にかきたてる何かがあって、かつて荒木経惟が雑誌non noやan,anの全ページにヌードのコンタクトを貼って、私的写真集として配布していたことを思い出させられた。と見てくると、この写真展示は公開審査に対する一種のアイロニーにも思えてくる。なぜって、審査員の皆さんは、この作品1500点を原寸のまましっかり見たのか、という疑問がわく。まあ、そんなことはどうでも良いことでただ公開審査に観衆として加わらなかったことを残念に思ったりもするが、一方ではそこで審査員のお歴々が、どんな方便でこのトリックにハメられていったのか、そんな面倒に掛かり合わなくて良かったという気もしてくるのだ。
 あの狭苦しいガーディアン・ガーデンがこんなに広く感じられたことはなかった。一筋引かれた水平線から天空の果てへ誘う数多煌めく窓々が、天井近くに私たちの視線を捉えて放さなかった。
 富永剛総君とガーディアン・ガーデンの皆さん、ホンモノの『ひとつぼ展』成功、おめでとう。


アシスタント日記  高橋 明彦

 4コマ漫画(gif:18K)


Look at me!

ダイアン・アーバス 1923. 3 〜 1971. 7【12】
愛を求め、世界を吟味し、写真に生きた写真家ダイアン・アーバスの言葉で綴る物語
構成 橋本有希子

鬱状態におちいりがちな気持ちを励まし、精一杯努力してジェーンと親しくなろうとしている。ジェーンとおそろいの肩紐のない水着を着て一緒に泳ぎに行ったり、二人でアレックスの隣に寝転んで話をしようとしたり。しかし実際のところ、お互いに嫉妬しあっている。これまでは、私が沈んでいるとき、アレックスが必ず元気づけてくれたが、今では、彼を当てにできない。そんなときはジェーンになりたい。アレックスに手が届かないと思うと、ますます彼が欲しくなる。それほどの気持ちがあるとは思わなかった。チークは「時が解決してくれる」と言って慰めてくれる。

肖像画一特にゴヤの絵を研究。不気味な巨人やせむしのこびと、悪霊たちに惹かれる。学んだり、考えたりしたことを取捨選択し、独特の厳しい様式として定着させていくのだ。

◆秋
以前と同じ生活の始まり。
マディソン・スクエアガーデンで、ファッション写真を撮影し、セントラルパークで大学の制服を撮り、カリブ海では水着を撮った。
最近は時折一人でGLAM0UR誌の仕事を引き受ける。夫婦の寝室の特集に取り組み、撮影のために、あちこちの洗面所をすみずみまで嗅ぎ回った。洗面所をのぞくのは、その人の伝記を読むようなものだ。シャワー室に花壇があったり、トイレットに古雑誌を積み上げている家もある。セッケン、クリーム類、泡立て洗剤、睡眠剤、ビタミン剤、マニキュア液、座薬、ペッサリー、コンドーム、オーデコロン、打ち身の薬などがキャビネットに詰め込まれてある。編集者のポートレートを撮ることもある。
大学特集号の販売会議を兼ねた昼食会では、テーブルの間を走り回り、カメラのシャッターから指を離さず学生の写真を撮りまくった。時間があればこんな仕事も引き受けるが、アランの助手をするのが好き。

コンデ・ナストのオフィスをぶらぶらしているうちに、秘書、アートディレクターたちを始め、ほとんどの編集者と知り合いになった。月刊誌の例に漏れず、コンデナストのオフィスは他の世界とは切り離された小さな世界だ。季節に先駆けた世界であり、時事間題や世間を騒がしている問題は無視され、どうでもいいようなことぱかりが扱われる。女性は、アートディレクターであろうと、ファッション・エディターであろうと「ガール」と呼ぱれ、男たちに保護され、甘えている。仕事をするにはそれが一番なのだ。自信の無いときは、笑ってごまかす。ほとんどの女性が母親のお古のハティ・カーネギー・スーツを着て、いつでも白い手袋をはめている。
女性たちは2重生活を送っている。オフィスでは決断を下し、創造的な責任を担っていても、家庭に帰ると夫の言いなりの受動的な存在になる。混乱しないわけがない。生活はもっとプライベートなものであり、人目にさらすものではない。それぞれが結婚生活を守ろうとして、仕事を持つことに密かな後ろめたさを感じ、恐れながら、そのことを口にしようとはしない。それを償うために家庭では他人の2倍も働いている。
◆1951年
グラマー誌『働く妻』特集。 タイトル『あなたのこんなところが好き・・・・8組の幸福な夫婦が、それぞれのユニークな結婚生活を紹介する』
私、ティナ、ケイト・ロイド、ファッショ・エディターのウィニー・キャンベルとそれぞれの夫がインタビューを受けた。
私とアランが寄り添った瞬間をとららえた写真は双子のように似ており、その写真の下には以下のような言葉が入っていた。
アラン……【僕が君を好きなのは】
  つつましく、品があって競争心のないところ。
ダイアン……[私があなたを好きなのは」
  的確な判断ができて、こだわりのない、
  明るい人柄だから。
『ダイアンは13歳のとき初めてアランに出会い、彼の洗練された身のこなしに強い印象を受けた。例えば“彼は手を使わずに電話をかけていた”。アランは彼女がボスの娘だと知った。二人は写真家として一緒に働いており………結婚9年目、ドゥーンという7歳の娘がいる。』

自分の子供時代とは違って、ドゥーンを妹か友達のように扱い、何につけても励まし、手塩にかけて育てようと決心。我が家にはほとんど決まりはない。ドゥーンは家の中では勝手気ままに過ごせばいい。毎日のようにドゥーンをセントラルパークに連れて行き、いろいろなゲームをしている。一時期、ドゥーンは自分の名前が嫌で、ビリーと呼んでほしいと言い張ったことがあった。「ママ、生まれたとき、わたしは男の子だったんでしょう、そうよね?」
時に、ドゥーンの輝くばかりの美しさと激しくて風変わりな気性にたじろぐ。だが、娘の要求はなんでも聞いてやっている。寝室に小さな机と椅子、イーゼルを買い与え、音楽とダンスのレッスンも受けさせている。馬をねだられたときは、父に金を無心した。作文の成績も良い。道化の物真似がうまいことはアランの自慢。アランは、GLAMOURのモデルにドゥーンを起用したこともある。暇な時、アランは私とドゥーンのポートレートを何十枚も撮る。

◆1951年冬 1年の予定でヨーロッパへ出掛けることにした。「ファッションの仕事に疲れたから休息する必要がある」と人にはそう説明しておく。
長い間の習慣で自分の考えや印象をアレックスに話し、意見を求めずにはいられない。
それは悪いことだろうか。
4人がタ食を共にした時、アランはイタリアとスペインとフランスをまわる旅行の入念なプランを披露。そこで、アレックスがタイム誌の仕事として、トレドの町、ヴァンスの礼拝堂を撮ろうと提案。しかも、アレックスとジェーン同行。アレックスは上司に掛け合ってその契約をまとめるといったが、アランはあまり気乗りしていない。細心に練り上げた1年間のヨーロッパ滞在計画の日程を狂わせたくないらしい。正直言ってがっかりだ。
フレデリックス夫妻はそんないきさつも知らずに、送別会を開いてくれた。陽気なパーティーで、ファッションエディターたちも大勢集まった。アレックスとジェーンは姿を見せなかった。私たちは『タイム』の仕事を引き受けるかどうかを巡ってまだ言い争っていた。
アランとは口もきかない状態でアレックスの見送りを受けて出港した。


東京写真展

桑原甲子雄&牛腸茂雄

7月6日(木)-8月8日(火) 開場時間=AM11:00-PM7:00
会期中無休 入場無料

ギャラリー1
新宿区西新宿3-7-1
(新宿パークタワー1F)
TEL 03-5322-6633


論 壇

(反=汎写真論然して/或いは非=批写真論)*序説 崩 清明 (投稿)

何も態々何処ぞの誰に依頼された訳でもあるま〜に「写真の自立性を殊更に守り抜こうという使命感など更々無い」と自らに言聞かせる程の知性の持主が唐突に「現に写真には写真固有の表現があるのであり写真と美術との区別を鮮明にするのは大切な事だと思う」と信仰告白し幾ら「現実的な記述」の「技術評」とはいえ「写真とは、最終表現媒体において銀やプラチナやアラピアゴム等の感光性を利用して形成された画像の事」としてしまうのは如何ともしがたいとか、仰美術だの芸術だのアートだのの定義からして極めて曖昧で其方の業界ですら正面な定義ができないどころかそうした「およそ退屈で紋切り型の議論」「説明せんとする観念的権力への指向」「併合しようとの政治的謀略」(国家権力?!)からの止めども無い逸脱こそが美術だの芸術だのアートだの流れであり況してや写真の定義や「写真と美術との区別を鮮明にする」など不可能どころか反動的不毛ですらあり仮令写真の定義や「写真と美術との区別を鮮明にする」事が首尾良く出来たとしてもまたぞろ現実の作品はそこからの止めども無い逸脱の逃走線を引くだろうとか、オノデラユキの写真展評に過ぎない文章に写真の定義や「写真と美術との区別を鮮明にする」記述があるのは如何なる「現実的且つ実証的且つ客観的」な意図に基いて首を傾げても不自然且つ不可解且つ不必要であるとか、あの高価なダイトランスファーはオリジナルプリントどころか写真ですらなかったのか(ダイトランスファーは謂わば多色刷り版画、全ての印刷物も)、剰え世の中から凡ゆる写真集が消滅してしまい彷徨い歩きながら途方に暮れるしかないのかとか、言いたいのではない。そう、そうではなく「感光性を利用して形成された画像の事」という<写真の定義>が例えばロラン・バルトの<写真の現象学>「それはかつて在った」やジャック・デリダのく写真の脱構築>「白と黒を背景にして、沢山の黒と白の亡霊達が、出没したり、住着いたり、通り過ぎて行ったりする、打捨てられた広大な隠れ家」に比較して些か「無味乾燥」であるにはしても「現実的且つ実証的且つ客観的」「枝術評」だから仕方があるまい。だが、そのく写真の定義>に床面を這い忍寄るサリンの如く猛毒の陥穽を嗅ぎ撮った金糸雀がいたとしたら? 金糸雀はあれもこれも写真だと囀る。 あれはゼロックス(コピー)と呼ばれる。ゼロックスは別名を、電子写真又は静電気写真(露光現像定着ブロセスを持つ)という(所轄通常の写真を液体に塗れた<湿式写真>とするならば<乾式写真>とでも名付けておこう).<写真の定義>に拠ればコピーは正真正銘の写真である。そしてこれとはこれである。所で、眼球は一個の暗い部屋(水晶体のレンズ、虹彩のアパチャー、綱膜のフィルム)である。綱膜のフィルム上には「現実的且つ実証的且つ客観的」序に(生物)科学的に「感光性を利用して形成された画像」が形成されている。それは所謂通常の写真が機械状カメラによる<機械状写真>とするならば<生物(化学)状写真>とでも言うべきものである。しかし人は眼球という生物状カメラの撮影した「最終表現媒体」としてのく生物(化学)状写真>を曾て見た事などあるのだろうか?其れは一体何処に現像定着してあるというのか?世界に満ち溢れているのは<機械状写真>(<湿式写真>及び<乾式写真>)と「写真ではない](平井正義)ばかりだというのに、そうではない。あの金糸雀なら「最終表現媒体」は≪今此≫に在ると囀るだろう。「感光体を利用して形成された画像」(写真)は「それはかつて在った」のでも「亡霊達」なのでもなく≪今此≫に、貴方の眼球の裏面にある。これに戦慄せよ!!!!


編集後記

 編集同人
  谷  博
  鳥原 学
  村上 慎二
  平井 正義
  橋本有希子
  中島恵美子
  佐藤 正夫
  野嵜 雄一
  高橋 明彦

Renaissant第12号をお届けします。写真雑誌の「CAPA」、「日本カメラ」に紹介されたお陰で、日本全国、中国広東省からも送信希望の問い合わせが入りました。なにぶん無料で送信にも限度があります。バックナンバーなどについては右のように決めました。よろしくお願いします。
 この秋から始まる築地仁ワークショップは、1年間、18回にわたって一緒に写真をやろうというプラン。RenaissantはSuper Networkの輪を拡げようとしています。(題字を変えました=tan)

Renaissant 原稿募集
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