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インタビュー


写真界の巨匠に、写真を学ぶ若い人がお話を聞くコーナーです。第1回は、鳥取砂丘を舞台に独自の写真感を展開され、世界的にも有名な植田正治先生です。

編集部(以下編):では自己紹介からお願いします。
羽田博子さん(以下羽):緊張しちゃってるんですけれど。日本写真芸術専門学校に通っています、羽田博子です。よろしくお願いします。
平島由紀子さん(以下平):同じく、平島由紀子です。
植田正治先生(以下植):緊張しなくて良いんだよ。
羽:すみません。去年、JPS主催で「記録・創造する眼」という写真展を見に行きまして、正直に言うとその時初めて先生の写真を見たんでが、とても印象に残っています。戦後に撮られた写真だと思いますが、フィルム代とか大変だったのではないですか?
植:いや、そうでもなかったですよ。少し蓄えもあったし、当時進駐軍のPXからフィルムは買えましたから、ネオパンじゃなくてアンスコだとか、アメリカ系のフィルムなら手に入りました。
平:鳥取砂丘って、どういう所なんですか?
植:今いらっしゃいますと、死ぬほど暑いですよ。
(一同笑)
羽:東京の暑さよりもですか?
植:砂の照り返しがありますからね。今は海水浴場や美術館が出来ましたから良いですが、当時は何にもないですから飲み物なんて買えませんしね。砂丘の真ん中で写真を撮っていて雨に降られると、一番端にある祠まで走ったものですよ。
平:やはり、広いんですか。
植:広いですよ。砂丘の真ん中は窪んでいるのですが、そこにいると砂丘しか見えません。どっちに帰ったらいいのか分からなくなるくらいですよ。
羽:いつか行ってみたいですね。
植:涼しくなったらいらっしゃい。うちの前はもう砂浜でしてね、砂丘はすぐ近くなんです。わざわざ砂丘に行って写真を撮るといった感じではなくてね、自転車でいったものですよ。

平:話は変わりますが、先生が写真を始められたのは戦前だとお伺いしていますが、当時は今と違って簡単に写真を始められるような状況ではなかったと思います。そのなかで、写真を始められたきっかけを教えて下さい。
植:当時旧制中学の同級生が写真をやっていましてね、それがきっかけですね。興味を持ち始めたのは、暗室作業が面白かったからですね。
羽:当時はどういったカメラを使っていらしたんですか?
植:ベスト判のカメラでしたね。ベストコダックといって、カメラの普及に役立った有名なカメラですよ。あと、国産のパーレットというものですね。当時のお金で、ベストコダックが20円。パーレットが15円くらいでしたかね。
羽:当時のお金で20円というとすごい金額ですね。
植:もう、なかなか大変な金額でしたよ。
平:影響を受けた写真家の方はいっらしゃらないんですか?
植:いや、いませんね。まだ金持ちしかカメラを持っていない時代でしたから、営業写真館の養成所や、オリエンタル写真協会ぐらいしかありませんでしたからね。当時はカメラ屋のウインドーを覗き歩き来ましたよ。
平:やはりなかなか買えなかったんですか?
植:ええ、欲しかったけれどね。
平:では、初めてカメラを手にされたときは、うれしかったでしょうね。
植:はい。押入を暗室にして現像をやっていたら、おやじに見つかって叱られましてね。写真道楽何かするなと言うんですよ。当時写真は金持ちの道楽でしたから。
羽:でも、写真は続けられたんですね。
植:いや、ある時おやじが豹変したんですよ。ここまで好きならしょうがないとね。それで、カメラを買ってくれたんです。
羽:暗室作業の技術は、どうやって教わったんですか?
植:当時アルスカメラというカメラ雑誌に、暗室作業についての連載がありましてね。それを見て勉強しました。
平:先生が写真を始められた頃、女性の写真家はいたんですか?
植:いや、いませんでしたね。当時カメラを持っているのは金持ちかその息子でしたから。まだ普及していませんでしたね。当時私の同級生がコダックのカメラが最高だと言っていてね、F7.7のレンズを自慢するんですよ。当時僕は美術学校に行きたくて入学案内を取り寄せたらおやじにおこられましてね。頼むから美術学校に行かないでくれ、行かないでくれたら好きなものをなんでも買ってやると言われまして、ツァイスのカメラを買って貰ったんですよ。レンズはテッサーのF4.5でしてね、自慢している奴に見せたら「負けた」といわれましたよ。当時のベスト判のカメラというのは、随分いい加減でしてね、カーリングがひどいから平面性が悪くてピントが合わないんですよ。真ん中だけ使えば何とかピントが来ましたね。
羽:カメラ以外に興味があったことはなかったんですか。
植:当時はカメラ一辺倒。カメラ眺めて楽しんでいましたよ。
平:今はカメラ以外にも興味がありますか。
植:山ほどありますよ。
羽:カメラは、今何をお持ちですか?
植:ハッセルがあってペンタックスの645があって、35mm判はペンタックスのMZ-5ですね。あと、金庫にF3が眠っている。
羽:それは使われないんですか。
植:重いから。
(一同笑い)

平:やはり、鳥取で撮られた作品が多いですが、なにかこだわりのようなものがありますか?
植:とくにありませんね。うちのすぐ前が砂浜ですし、自然とそうなりました。
羽:海外で撮影されたりはしなかったんですか?
植:随分行きましたよ。ヨーロッパに8回、中国に3回、ハワイに3回、アメリカは3回くらいかな。ほとんどはニコンの宣伝写真を撮りに行ったんですよ。その関係で、西海岸はほとんどまわったかな。
羽:特に印象に残っているところはありますか?
植:ヨーロッパはもう一度行きたいね。いかれるかどうか。
羽:いや行けますよ。
植:こんなに暑くなっちゃうと弱気になってしまいます。
羽:暑いのは苦手ですか?
植:ええ、苦手です。
平:そう言われてみると、砂丘の写真はみんな長袖のような気もしますね。(笑)

羽:はじめからプロになろうと思っていたのですか?
植:いや、当時は営業写真の人と、アマチュアしかいなかったんですよ。ですから、ぼくは営業写真館を経営する傍ら、アマチュアとして写真を撮って、雑誌の定例コンテストに応募したりしていました。
編:当時の写真雑誌というと?
植:アサヒカメラ、アルスカメラ、そして後に写真サロンが創刊されましてね、それぞれ投稿していました。アルスカメラに初めて掲載されたのが「浜の少年」というものですね。それから「舟」という作品がアサヒカメラの一等になりました。当時アサヒカメラはA賞B賞に別れていましてね、それぞれ大型写真の部と小型写真の部だったんです。僕が「舟」A賞一等になったとき、B賞一等は土門拳さんですよ。昭和8年かな。山手線、当時省線と言ったんだけれど、その中に乗っている人を撮ったものでしたね。
平:すごい時代ですね。土門さんとは仲がよろしかったんですか?
植:ええ。土門さんは良く鳥取に来ましたからね。砂丘で撮影していましたよ。
編:土門さんが撮られているところを先生がお撮りになっている写真も有名ですね。
植:ああ、あれはお互い撮りっこをしようという企画でね。アルスカメラの企画でしたね。随分古い話ですけれどね。良い友達がいましたし、お金も随分使いましたし面白い時代でした。

平:最近の若い写真家をどう思われますか?
植:刺激を受けますね。老いても写真を撮らなくてはなと思いますよ。
編:最近の傾向としてこういった若い女性が写真を撮るようになってきていますが、どう思われますか?
植:良いと思いますよ。女性はなかなか繊細でよい写真を撮りますね。
羽:今まで写真を撮られてきて、全てに共通したテーマのようなものはありますか?
植:いや、ないですね。ほめられると、どうしてもそっちばかり撮りますから、傾向みたいなものは出来上がってきますね。
平:植田先生の写真を見ていると、映画がお好きだったのではと思ったのですがいかがですか?
植:僕が子供の頃は、映画館にはいることは御法度でしたからね、マントかぶって隠れて見に行きましたよ。当時は何でも見ましたね。でも、映画に影響されたという事はあまりないかな。

平:東京では写真を撮られなかったんですか?
植:やっとプロの写真家が出来始めた頃に、良く来ましたよ。林忠彦君が初めてプロのようなことを始めたんですが、そのころ僕も仕事をし始めました。秋山庄太郎君が近代映画社で映画女優を撮り初めて、林君と秋山君と良く新橋で一緒にのみましたね。その頃が一番面白かったな。夜行列車に新聞紙をひいて横になって、東京に出て行くんですよ。一番辛かったのは、混んでいて連結器の所に寝たときかな。
(一同笑)
植:当時は東京まで丸一日かかりましたよ。今は飛行機で一本ですから楽ですね。

編:最後に、若い作家に一言お願いします。
植:これから女性の写真家はどんどん出てくるでしょうね。まだまだ先は長いですから頑張って下さい。僕は、若いうちはやりだしたら夢中になってやりましたよ。
羽・平:有り難うございました。


インタビュアーは若い女性の学生さんでしたが、大家を前にして大変緊張されていました。しかし、植田先生の優しい言葉にすこしずつ緊張もほぐれていったようでした。インタビューが終わった後、植田先生は早速カメラを取り出され、インタビュアーをパチリ。インタビュアーもカメラを取り出し、恵比寿ガーデンプレイスを舞台に撮影会となりました。

 今日はとても緊張しました。
 対談という形式は初めてだったので待っている間は特にひどく、ホール内を歩き回ったりしてどうにか自分をおちつかせようとしました。でも、実際会って話をしてみると、次第に落ちついて話が出来るようになりました。なぜなら対談中、時折みせる少年らしい笑顔が失礼ながらもかわいいなと思ってしまっい、大御所であるにも関わらず親近感に似た何かを覚えてしまったからです。
 植田先生の中で一番好きなものはやはり砂丘シリーズです。一度展示会場で見ただけなのに、今にして思えば強烈に印象に残っていたのです。写真の中にうつった家族の姿が何となくやさしく心に伝わってくる感じがするのです。先生の家族に対する思いのようなものが見えた気がして、私はとても好きです。
 私は戦争を知りませんが、その頃からすでにカメラを持っていた先生が、どのようなことに興味をもち、どのような環境の中で撮り続けてきたのかなど、いろんな事が聞けたのはとても面白かったし、自分にも得るものがありました。
 聞きたいことを一瞬にして忘れてしまい戸惑うこともありましたが、自分にとって大変貴重な時間となりました。
 これからの女性が積極的に活動していくことの大切さを、この先写真を撮っていく上で大事にしていきたいと思います。
 今日はこの様な場を設けていただいて、大変ありがたく思います。
 本当にどうもありがとうございました。

日本写真芸術専門学校二年
羽田博子


 とてもとても緊張しました。
 写真美術館のことなど、お聞きしたいことはたくさんあったのに、質問しようと思うとますます緊張してしまって、結局聞けずじまいだったのが残念でした。
 植田先生は、最初から最後までいい人という感じの方で、一つの質問にたくさん答えて下さったのがうれしかったです。
 先生の時計がかっこいいのと、指のきれいさにはつい何度も目がいってしまいました。私の学校の先生にも指がきれいな方がいるので、長年写真を撮っていると、皆、指がきれいになるのだろうかと思いました。
 質問が思っていたよりも全然出来ず、先生の質問をただ聞いていただけになってしまいましたが、こういう機会がないと絶対話が出来ない方と対談できて、本当に良かったです。
 今回この様な企画に参加させて頂くことができてうれしかったです。本当にありがとうございました。

日本写真芸術専門学校二年
平島由紀子

写真はAppleQuickTake100で撮影しています。