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 長く広告写真や女性ポートレイトの世界で活躍され、最近も和紙などに乳剤を塗って写真をプリントされた作品を発表されたりとご活躍の藤井秀樹先生。40年近くにわたる先生の「写真人生」を熱く語っていただきます。

編集部:今回は赤坂スタジオから事務所を移転された頃のお話からお願いします。
藤井秀樹先生:赤坂スタジオに3年間いまして、それから三銀ビルに移転しました。その時となりの部屋にいたのが、日本広告写真家協会会長の西宮正明さんでした。彼は都立小石川高校出身、僕は都立白鴎高校出身で、高校生の写真コンテストで顔を合わせたこともありましたね。
 マックスファクターの仕事は事務所を移転してからも8年間続けていたのですが、そのころにはニューヨークからモデルを呼ぼうということになりました。当時あこがれていたバザーやボーグなどの雑誌を見ながら、宇野さんと向こうのモデルは良いねといつも言っていたんですよ。当時日本にアメリカのトップモデルを呼ぶなんてとんでもないことでしたからね、初めてと言っても良かったんじゃないかな。我々の意向を聞いたディレクターがアメリカに飛びまして、モデルを選んでくるわけです。最初に来たモデルはひどい酔っぱらいでしてね、大喧嘩しましたよ。当時向こうのモデルは日本なんて国を良く知りませんでしたからね。東京は北京と一緒になっているし、日本は中国の一部だと思われている。とにかくむこうはこちらを馬鹿にしてきていましたから、大喧嘩になるわけです。色々な指示も通訳通していると大変ですしね、しかたなくそれで英語を覚えてしまいました。撮影が終わると横浜に中華街に飯を食いに行こうということになって、185cmもあるような大きなモデルと一緒に出かけるわけです。皮の細いパンツにシルバーフォックスのコートを羽織ってね、かっこいいんだけど、なぜかヤクザに絡まれたりもしてね、大変でしたよ。
 そのころジョアジョアというヘアースタイルを伊藤五郎さんが生み出したんですよ。当時の美容界を一世風靡しましてね。彼と僕は3年くらい一緒に仕事をしたかな。彼も僕もニューヨークに一度行ってみたいとよく話していましたよ。僕としては、向こうのカメラマンがどういうライティングをするのか、どうやってモデルに指示を出すのかと大変興味がありましてね、向こうから来るモデルから色々聞き出すわけです。どういうカメラを使っているのか、どういうストロボを使うのかと。当時日本のストロボというとメーカーはカコ1社で、チャージに8秒かかったんです。ところが向こうのバルカーというストロボはすぐにチャージが済んで、パッパと撮っているらしい。それで、ニューヨークに行きましてね、アービング・ペンのスタジオで働いていた日系人のカズ井上さんを紹介してもらってスタジオに見学に行ったら、とても大きなストロボを使って、F64なんていう絞りで写真を撮っている。これでは太刀打ちできないと思いましてね、どうしてもバルカーの大きなストロボを買って帰ろうと決心したんです。それで買いに行ったら、日本人で初めての客だといわれまして、バルカーの日本でのエージェント権を一緒にやるよと言われたのですが、僕はカメラマンだからと断ったんですよ。今になって思えば、あの時貰っておけば大金持ちだったんですけれどね(笑)買って日本に帰ってから「藤井さんは一灯できれいに撮る」と良く言われましたが、なにしろ一灯しか買ってこなかったものだから、いかにそれで綺麗に撮るか考えざるを得なかったんですよ(笑)そのあと僕が何か雑誌で、アメリカではこういうストロボを使っていると書いたら、猫も杓子もバルカーという状態になったんです。それまではほとんどをタングステンで撮影していましたからね、トレーシングペーパーが燃えてしまったりして大変だったんですよ。
 今その頃の写真を見ていると、大変階調が綺麗で驚かされます。当時の感材は大変優れていたのだなと思い知らされますね。最近の印画紙やフィルムは銀の量が少ないようで、どうも調子が違ってきている。産業廃棄物の問題など色々あるんでしょうけれど、銀の量を維持した良い印画紙やフィルムを今でも出していて欲しいものですね。あのころは、薬品の処方もみな自分のものを持っていて、温黒調や冷黒調にしてみたり、号数を薬品で変えたりとしていたんですよ。僕もその頃の知識を今でもフジイグラフィーなどに活かしているんです。
 そうやってダイアン・ニューマンなどの外人モデルを使うようになっていき、海外ロケも行うようになりました。初めての海外ロケはハワイ、次はタヒチでしたね。ニューヨークでオーディションをやっていたのですが、最初は日本人カメラマンでということで全然集まらなかったのに、一流モデルを使って撮影している内に口コミで私の写真のことが伝わりましてね、私に写真を撮られると一流に慣れるというジンクスが出来たようで、優れたモデルがたくさん集まるようになったんですよ。最近スーパーモデルとか言われていますが、僕から見れば30年前からそういう世界にいましたからね、何をいまさらという感じです。最近の外人モデルを見ていても、当時の方がずっと綺麗でしたね。昔のモデルはとても謙虚でつつましやかで、見ているだけで感動させるような美しさがありましたよ。
編集部:どうもお忙しいところありがとうございました。