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 長く広告写真や女性ポートレイトの世界で活躍され、最近も和紙などに乳剤を塗って写真をプリントされた作品を発表されたりとご活躍の藤井秀樹先生。40年近くにわたる先生の「写真人生」を熱く語っていただきます。

編集部(以下編):前回は写真を始められたきっかけについて話していただきました。今回は写真界に登場されるまでの、助手時代についてお伺いしたいと思います。

藤井秀樹先生(以下藤):僕の兄が銀座のビルで洋品店をやっていたんですよ。その五六軒先に近代映画社という出版社がありまして、そこの写真部長が秋山庄太郎先生というブルドックみたいなおやじだったんですよ。(笑)当時はスタイリストなんていないもんだから、マフラーとか手袋とかそういうものを兄の洋品店に借りに来ていまして、兄とも親しかった。それで兄が秋山先生に頼んでくれたんです。「庄ちゃん、これ俺の弟なんだけれど、給料はいらないから一人前の写真家にしてやってくれ」と言ってね。それで秋山先生の助手になったんです。日本大学芸術学部写真学科二年の時でしたね。以来四十数年だけど、おやじ(秋山先生)のところでは助手に給料でなかったんだよ。さすがに僕が出すように言って、今は出るようになったけれど。(笑)
 当時事務所は日生劇場の下にあってね、林忠彦・杉山吉良・秋山庄太郎・渡部雄吉・藤川清という五人の先生が狭い部屋にたむろしていてね、そこに詰めることになったんです。一年くらいいたかな。林先生なんか飲んで朝になるとげえげえって吐くものだからその背中をさすったり、藤川先生には「フィルム詰めとけ」といわれて膜面裏返して詰めちゃってぶん殴られたりしましたよ。(笑)その頃の助手っていうのは面白かったね。一人の先生に一人の助手という感じではなくて、みんなに競争でこき使われました。まずは暗室の掃除に事務所の掃除から初めてね、まるでタコ部屋だったけれど、本当に面白かった。
 そうこうしているうちに、秋山先生がスタジオを構えてね。仕事が忙しくなってきてしまったんですよ。それまで大学に行きながら助手をやっていたんだけれど、とても大学に行く暇がない。そのうち行かなくなっちゃいました。(笑)携帯電話なんかないから仕事連絡が事務所にはいると、先生を捜さなけりゃならないんですよ。銀座の良く行くバーを二十軒くらいまわってやっと先生を見つけると、「おう、そうかい」って言ってそのまま帰されちゃう。一杯くらいのませてくれればいいのにねえ。(笑)
 一番思い出に残っているのは、火事の事かな。その日先生が初めてテレビに出るというので色々バタバタしていたんです。その頃おやじ犬を飼っていたんだけれど、もう一人の助手が寒いだろうと思って部屋の中にヒーターをつけて、毛布を掛けてやってたらしいんですよ。それでそのままにして出かけてしまったら、その毛布に火がついて火事になってしまった。それで僕のところに電話があって、あわてて駆けて行ったんです。さいわい火は大したことがなくて近所の人に消し止められていたんだけれど、カメラは水浸しだしカラーフィルムはびしょびしょだし火を出した奴は顔真っ青だし、おやじに知らせるとテレビで緊張してしまって大変だろうから、とりあえず帰ってくるまでに何とか片づけようとカメラ拭いたり部屋片づけたりして、また火を出した助手も首吊りそうなくらい落ち込んでいるから「大丈夫だよ」と、窓の破れた寒い部屋で徹夜で励ましました。(笑)それで翌日おやじが帰ってきたら、「何だ、大したことねえじゃないか」の一言ですよ。こっちはそれからも一升瓶持ってご近所に謝りに行ったりもして大変なのにね。
 近くに俳優座があったから、良く研究生がスタジオまで遊びに来ていました。どらえもんの大山のぶ代とか藤真奈美とかが当時研究生でしたね。おやじは犬を三匹飼っていて、ドックフードなんてない時代だから、ご飯に味噌汁ぶっかけたものを作って犬にあげていたんです。それのことを「秋山おじや」と呼んでいたんだけど、犬にあげた残りをね、研究生と食べるんですよ。(笑)この事何かに書いたらおやじ怒ってたけれど、事実だからね。(笑)そのくらい金がなかったんです。当時おやじは犬3匹に鳥24羽も飼っていたんですけれど、全く面倒を見ないんですよ。鳥は毎日エサと水を挙げないと死んでしまうから、日曜日もなく毎日世話をしていました。もう本当に嫌になったね。(笑)これが私の修業時代ですって何かに書いたら、またおやじ怒ってましたよ。まあ、最近はふたりとも笑ってそんな話が出来るような歳になりましたけれどね。この前おやじと話していたら「おまえとおれは14違うんだが、最近は3つくらいしか違わないな」なんて言われたりしてね。
 そういう助手時代でした。でも、林先生や杉山さんとか、あの時代の先生たちの生き様みたいな物をそばで勉強させて貰ったというのは、今でも良い刺激だったなと思いますよ。