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長谷正人
早稲田大学文学部教授


[38]『南の島に雪が降る』、あるいは戦時中のヴァーチャル・リアリティ

 俳優の故・加東大介氏が、第二次大戦中に陸軍衛生兵として滞在したニューギニア・マノクワリ前線基地において奇妙な体験をしたことは、広く知られているだろう(例えば、小林よしのり『戦争論』幻冬舎、の冒頭にも紹介されている)。補給路も断たれて本国から完全に孤立させられ、自給自足で作ったさつま芋と玉蜀黍を数少ない食料にしながら、栄養失調や悪性マラリアや米軍の爆撃で徐々に兵士を亡くしていくだけの絶望的な状況に陥ったマノクワリの日本軍は1944年10月、死を待つしかない兵士七千人の絶望感を少しでも緩和し、士気を鼓舞するという目的で、加東を中心とした「演芸分隊」を特別編成した。オーディションによって集められた各分隊の芸達者や裏方たちは、はじめは集会所のような粗末な仮舞台で歌謡曲、浪曲、手品、落語などを演芸大会風にやるだけだったのだが(むろんそれでも大受けだった)、やがて加東はこうした素人たちに役者としての訓練を施して、それなりの「劇団」にまで育て上げて行った。そして元大工の兵士たちが丁寧に建立した正式の劇場「マノクワリ歌舞伎座」( 花道まで付いていて300人が観覧できる)で、『瞼の母』、『関の弥太っぺ』、『父帰る』、『暖流』といった本格的な戯曲を、様々な工夫を凝らして作った舞台装置や衣装や鬘を使って、45年4月頃から終戦後日本へ帰還する46年5月まで一年以上も毎日休みなく上演しつづけたのだ。戦後15年以上たった1961年、加東がこの体験を『文藝春秋』誌上に手記として発表するとたちまち大評判となり、即座にNHKでドラマ化、東宝でも映画化されて( 久松静児監督作品) いずれも加東自身が自演することになった。現在でも、この手記に加筆したものが『南の島に雪が降る』(ちくま文庫)として読むことができるし、映画もビデオで見ることができる。私はあるきっかけでそれらの作品に触れて、実話としても作品としても、とても感動したのだった。
 とくに私がここで注目したいのは、まさにこの随筆や映画のタイトルにもなった、彼らが劇中に降らせたという「雪」をめぐるエピソードである。『関の弥太っぺ』の上演(映画では『瞼の母』に改変されているが)が近づいたある日、加東は上官から今度の芝居にぜひ「雪」を降らせるように依頼される。何しろマノクワリは一年中真夏で、日本のような四季の季節感のない熱帯ジャングルだ。そういう何の変化もない単調な気候のなかを何年も暮らしてきために兵士たちはますますいらついて、喧嘩ばかりしてしまう状況になっていたので、上官は、現実には決して経験できない「冬」の季節感を彼らに味あわせてやって欲しいと言うのである。加東たちはいろいろ考えたあげく、舞台一面にパラシュートを何枚も敷き、舞台上の木や茅葺き屋根には病院の脱脂綿を敷きつめ、そこに細かく三角に切った紙をスノコから大量に降らせることにした。すると苦労の甲斐あって、実際の上演時には、大詰めの場面の幕が開いて一面銀世界の舞台を一目見た瞬間に兵士たちは、一斉に「雪だアッ」という叫び声をあげて大喜びしたという。中でも東北地方の部隊が観劇したときには、彼らはあまりの感激に声も出ないほどだったそうだ。「三百人近い兵隊が、一人の例外もなく、両手で顔をおおって泣いていた。肩をぶるぶるふるわせながら、ジッと静かに泣いていた。」(前掲書、195頁)しかもそのうちの数名は、その日の芝居の終了後、舞台装置をその雪の場面のままにしてもらうように加東に依頼した。そして翌朝、栄養失調で瀕死状態の兵士二人をタンカで運んできて、この偽の雪を今生の思い出とばかりに見せることまでしたのである。加東はその奇妙な光景を次のように描写している(同、198頁)。

 二人とも、重症の栄養失調患者に独特の、黄色い顔である。それが、タンカに寝かされたまま、手を横に伸ばして、きのう散らした紙の雪を、ソ−ッといじっていた。もう力の入らない指先で、つまんでは放し、放してはつまみ、それをノロノロしたスローモーションでくりかえしているのだ。もう表情は失われていた。
 見てはいられなかった。
 三角に小さく切った、ただの紙っきれじゃないか。さわったって冷たくはないだろう。手の平のなかで固まりもしなかろう。「紙じゃねえか。紙じゃねえか」わたしはわけのわからないことを叫びながら、宿舎へかけもどった。

 感動的と言うよりも、ほとんどグロテスクに見えてしまうような悲しい光景だろう。たかがパラシュートや「ただの紙っきれ」をまるで本物の雪であるかのように大事そうに触れている瀕死の病人たち。それは現在の私たちから見れば、ほとんど狂っているとしか思えない行為だ。一年も二年にもわたって死に脅えながら無為で単調なジャングル暮らしをしたあげく、いま死の淵に追い詰められている兵士たちからすれば、せめて紙を雪と錯覚しなければとても遣り切れなかったのかもしれない、とでも思うしかない。しかしこのような奇妙な行動をとったのは、決してこの瀕死の兵士たちだけではないのだ。何しろこの劇団の公演で兵士たちに人気があったのはいつも、芝居の中身よりも舞台装置の様々な偽風物だったらしいのだから。たとえば、真っ白な「障子」や偽の「柿」や「桜」といった装置、それに女形の色鮮やかな「着物」などに兵士たちの眼は釘付けになり、客席から上体を乗り出してみつめ、なかには装置にすぎない「柿」を隊への土産に所望する者までいたという。だからマノクワリの兵士たちは誰もが、たとえ瀕死でなくとも、舞台装置の「柿」や「桜」を本物と錯覚しなければとても生きていけないような極限的な精神状態にあったのかもしれない。ちょうど『黄金時代』のチャップリンが、飢餓状態に追い詰められたあまりに相棒の男を食料用の鳥と錯視してしまったのと同じ悲喜劇が、おそらくここにも起きたのだろう・・・。
 だがそうだろうか。本当に彼らはただ狂っていたのだろうか。私は少しばかり違うと思うのだ。確かに彼らは少しばかりエキセントリックであったとは思うが、しかし舞台装置の「雪」を本物の「雪」扱いして感動することは少しも狂った行動ではないと私は思う。実際、この挿話をビデオで見たとき( 久松静児監督のさりげない佳作だと思う) 、私は兵士たちとともに偽の「柿」にすっかり感動してしまったのだ。それまでのジャングルの単調な光景や無彩色の衣装や小屋からなる軍隊生活に眼が慣らされていた一観客にとっても、舞台上に現れたいかにも作り物めいてはいるが色鮮やかな「柿」は、確かに本物の柿以上に魅惑的な外見を持って見えた。だからこの場面で兵士たちが、大袈裟に身を乗り出して「柿だ!柿だ!」と感激しているのを、私は少しも滑稽な光景だとは(あるいは過剰な演出だとは)思えなかったのである。私にとっても、それは確かに感動的な「柿」だったのだから。なぜか。なぜ作り物の「柿」がそれほど魅力的なのか。兵士や私は、偽物の「柿」のどこに感動したのか。
 それはつまり、芝居のための作り物の「柿」や「雪」には、人間的な文化の香りが漂っていたからである。そうした人工的で鮮やかな色や形をした「柿」こそ、私たち日本人が文化的に刷り込まれたイメージとしての「柿」に他ならなかったからだ。想像のなかで作られた人工的な「柿」が現実に出現したからこそ、野生的ジャングル生活のなかで文化的なものに飢えていた兵士たちはそこに人間性と文化を感じ、偽物と分かっていても感激した。「雪」の場合もむろん同じだ。パラシュートや紙切れの人工的な「白さ」の鮮やかさに彼らは(そして私も)感動したのだから。だから逆に実物の雪や柿がそこにあったとしても、そんなものは大して魅力的ではなかったかもしれない。たとえば東北の人々にとって、故郷の実際の豪雪は彼らの日常生活を苦しめる単調な事物にすぎなかったはずだ。あるいは野生の柿など私たちとって、作り物の「柿」ほどは見栄えの良くない自然物にすぎないだろう。つまり兵士たちが見たかったのは、そうした実物の雪や柿ではなかったのだ。野生のジャングルのなかで虫けらのように単調に暮らしていた兵士たちにとっては、作り物の「柿」や「雪」といった「人間」的なものの方がはるかに魅惑的なものだった。
 そこで私はさらに、想像を膨らませたくなってしまう。その「雪」がもし記録映画や写真だったらどうだっただろう、と。もし日本の田舎の光景を撮った記録映像が偶然に島の軍司令部に保存されていて、そこに兵士たちが本物の「柿」や「雪」の光景を見ることができたたとしたら、彼らはやはり感激しただろうか。確かに感激しただろう。そこに間違いなく日本の光景の痕跡が写し出されているのだから、彼らは懐かしがってその映像を何度も見たに違いあるまい。しかしその感激は決して、舞台装置として人工的に作られた鮮やかな「柿」や「雪」に対するほどの感激ではなかったのではないか。なぜなら自然状態そのままにカメラに捉えられた「柿」や「雪」は、まるでジャングルのように野生的で単調で見すぼらしいもののはずだから。つまりカメラが素っ気なく捉えた白黒映像の「柿」は、彼らが心の中にイメージしている豊かな「柿」とは違った、単調な現実にすぎないはずだ。だから「柿」の映像を見る兵士たちこそまさに、その貧しい「柿」を美しいイメージとしての「柿」と思い込まなければならなかったただろう。
 ・・・こうして私たちは、ある常識外れな結論にたどりついてしまった。私たちが生きている現実は、まさに舞台装置のような作り物(夢のような世界)としてできているのであり、逆に「ただの」現実などあまりに単調なので、私たちはいつもそれから眼を背けて生きているのだという結論に。たとえば東北地方の人々は、眼前の単なる厳しい自然条件としての雪世界から眼を背けて、舞台装置のようなイメージとしての「雪」を通して初めて「雪」に魅惑を感じるのであり、私たちも野生の事物としての「柿」を食べるのではなく、いかにも美味しそうな社会的イメージとしての「柿」を食べて満足しているのである。従って剥き出しの野生をそのまま光として定着させてしまう写真や映画の視覚世界は、そういう私たちにとって、普通考えられているような夢の世界であるどころか、現実生活よりもはるかに単調で無為なものにすぎないのだ。だから現代社会はこれまで、そうした単調な映像に人工的に着色したり、立体的に見せたり、触覚的に感じさせたりする技術(ヴァーチャル・リアリティの技術)を開発して、こうした映像の無為な狂気性を少しでも緩和させようと努力してきたのだ。つまり特殊撮影技術からヴァーチャル・リアリティにいたるような人工的映像テクノロジーは、映像生活のジャングル的無為さにあきあきした人々が、夢のように色鮮やかな「舞台装置」を作りだそうとする努力に他ならなかったと言えよう。そう、まさにそれらは、加東大介が紙っきれで作った「雪」の人工的輝きをいっそう洗練させるための技術だったのである。
 ・・・だが、だが、さらに私は夢想してしまう。野生のジャングルや映像世界の単調さは、本当にただ人を苦しめる無為なものにすぎないのだろうかと。野生には野生の魅惑がまた別にあるのではないかと。加東もまた先の書物のなかで、ジャングルの無為な単調さを丁寧に記述しつつも、実はこう書いていたはずだ(35頁)。「いかにも、猛烈な精力で上へ上へと伸びたという感じの高い高い樹が、ビッシリ繁った葉をつけて、屋根をつくっている。その樹々のあいだに・・太くて長いツルが、ななめにもつれ合っているのだ。昼間でもほとんど陽はささない。ただ、どうかした拍子に、一瞬、鋭い光線が一本の矢になって、サァーッとつきささってくることはある。」つまり一見単調にしか見えない野生のジャングルのなかにも、「サァ−ッと」差し込む光のような微細な差異が(あるいは一本一本のつる自体の伸び方の多彩な差異が)無数にひそんでいるのではないか。そうした野生の無限に豊かな世界を、兵士たちは粗雑な文化的視線で見逃していただけではないのか(むろん彼らが強制的に追い詰められている状況を考えれば、それは全く致し方ない当然の事なのだが)。そして、そのような野生の単調な無為さを豊かな世界として生きることができたとき、私たち人間は貧しい文化的・人間的拘束から解き放たれて、生物としての自分の生の豊かさを肯定できるのではないか。そして、その野生の視線のための訓練を施してくれるのが、映像世界ではないのか。私はそう思うのである(2000年7月)。