TopMenu



長谷正人
千葉大学文学部社会学・映像文化論


[34]映画のメディア化、気散じの戦略そしてイーストウッド

 蓮實重彦はここ10年程の間、1930年代における「映画のイデオロギー的再編」の問題について、さまざまな角度から繰り返して論じてきた。その論旨はこうだ(以下では、その中でも最も本格的な論考と思われる「署名の変貌一ソ連映画史再読のための一つの視角」『レンフィルム祭一一映画の共和国ヘ』(レンフィルム祭カタログ)1992年、20-26頁を参照する)。1920年代におけるサイレント映画の成熟期においては、エイゼンシュテイン、フリッツ・ラング、アベル・ガンス、伊藤大輔といった世界中の巨匠たちが、視覚的効果を際立たせるような大胆な映像的実験(めまぐるしい編集、複雑な移動撮影、きわだった光と影のコントラスト、大胆なキャメラアングル、極端なクローズアップによる細部の誇張、非日常的な装置等)を互いに競うように行い、そのことで視覚的芸術としての映画を高度な水準へと導いていた。ところがトーキーのテクノロジーが映画に導入された1920年代末から30年代中期にかけて、そうした視覚的効果に関する見事なまでの芸報術的達成は、世界中の映画からあっと言う間に消失してしまう。トーキー映画においては、「映像」(視覚的効果)に代わって、「物語」(役者のセリフと顔)が映画の中心となったからだ。つまりそこでは「映像」は、観客が「物語をごく自然に納得す」ることを邪魔しないように、透明化しなければならなくなったのである。
 ところで蓮實は、この映画の歴史的変容を単にサイレントからトーキーヘの技術的変化がもたらしたもの、あるいは単なる映像中心主義から物語中心主義への美学的な変化として捉えているわけではない。むしろそれはもっと「政治的な」問題として、つまり「ある種のイデオロギー的な要請に基づく映画の再編成の問題」として捉えられるべきなのだと言う。実際ソ連ではまさに30年代中期に、エイゼンシュテインやヴェルトフらが20年代に視覚的効果を利用して製作していた実験的な前衛映画作品が批判され、代わって「社会主義的リアリズム」と呼ばれるような民衆に分かりやすい物語映画がスターリン政権によって盛んに推奨され、作られるようになっていた。それはたとえば、赤軍パルチザンの隊長チャパーエフとか革命的労働者マクシムといった社会主義ソ連にとっての英雄的な人物像が主人公に据えられ、彼らの革命的闘いが「物語」として民衆に分かりやすく語られるような作品である。従って、際立った視覚的な効果は、そうした政治的メッセージを観客が読み取るための妨げになってしまうからこそ排除されなければならなかった。つまりここで観客たちに要請されているのは、映画そのものの不透明な輝きを感じるという具体的な体験ではなく、映画を通して革命的英雄のイメージを観念的に広く共有することにつきる。こうしてソ連では映画が、ある思想を群衆(マス)に向かって分かりやすく普及するための「メディア」(マスメディア)としで利用されるようになったのである。
 これが蓮實の言う「映画のイデオロギー的再編」の問題である。ただしこのような「メディアとしての映画」という政治的問題は、決してスターリン政権下のソ連のように全体主義的政府が映画をプロパガンダの道具として意識的に利用した場合に眼られるものではない。アメリカにおいてであれ、他のヨーロッパ諸国においてであれ、あるいは日本においてであれ、映画が大衆消費社会における「イメージの反復的な流通と反復」と結びつきながら自らの産業的基盤を確立した社会においてならどこでも、この「映画のイデオロギー化」の問題は必ず生じたのである。たとえばフランスであれば、シュールレアリズム運動への共感から前衛的なサイレント映画作品を作っていたはずのルネ・クレールが、30年代になってもっと大衆的に分かりやすい物語映画の『巴里の屋根の下』を撮るようになったことを思い出せばよいし、日本の時代劇であれば、20年代末の伊藤大輔による目にも止まらぬモンタージュの左翼映画(傾向映画)が30年代になって全く作られなくなり、代わって山中貞雄らの透明な物語映画に覇権を譲ったことを挙げられるだろう。ただこうした資本主義社会のイデオロギー的映画においては、革命的英雄の代わりにもっと小市民的な人物イメージが中心に据えられただけのことだ。
 こうして私達は、蓮實重彦のこのような主張を、1930年代以降に成立したハリウッド製の古典的物語映画への政治的批判として読むことができるだろう。つまり、自らを観念的な物語を伝達するための透明な「メディア」の地位にまで貶めてしまったハリウッドの娯楽映画は、ソ連の生真面目な社会主義リアリズム作品と実は全く同じように(つまり資本主義リアリズム作品!?として)「政治的に」批判されなければならないということである。しかし、そうだろうか。ことはそれほど単純なのだろうか。私には、そうは思えない。私は、この単純な二分法的図式(革命的前衛芸術としてのサイレント/大衆向けイデオロギー伝達メディアとしてのトーキー)に、どうしても直観的な疑問を持ってしまうのである。たとえば私は、ハワード・ホークスや山中やマキノ雅弘の透明で分かりやすい「資本主義リアリズム」の物語映画をどうしても愛さずにはいられない。それは政治的には反動的な趣味なのだろうか。私はそうは思わない。私はどうしても、視覚的効果の激しいエイゼンシュテインや伊藤大輔の革命的で煽動的な映画を見ること以上に、ホークスやマキノが作る小市民的でおとなしい映像の物語映画を見ることの方が、見ることの「革命性」においてはより重要だと思えてならないのである。なぜだろうか。少し回り道して考えてみよう。

 たとえば中村秀之は、その優れたベンヤミン論において(「飛び散った瓦礫のなかを一一『複製技術時代の芸術作品』再考」、内田隆三編『情報社会の文化2 イメージのなかの社会』東京大学出版、1998年、183-225ページ)、ベンヤミンの論文「複製技術時代の芸術作品」を蓮實重彦の「映画のイデオロギー的再編」の問題と鮮やかに重ね合わせてみせながら、メディア化した映画への抵抗の戦略について論じている。従って私たちも、この論考を参考にして考えることにしよう。中村によれば、ベンヤミンのこの論文は、まさに蓮實の言う「映画のイデオロギー的再編」化という危機的状況の只中で(1935年)、そうした映画の反動的潮流に個々の観客が抵抗するために書かれ、そうした低杭のための視覚的技法として、サイレント期の「気散じ」的鑑賞の様態を、それを忘れかけている観客に向かって提示していたというのだ。中村によれば、ここで「気散じ」と言うのは、映画が観客に与える「ショックにたいして、防衛的に身を閉ざすことなく、その作用を積極的に受けとめ、それによる寸断を引き受ける」(203頁)ことだと言う。つまり(蓮實的に言うならば)、映像の向こう側にある抽象的な「物語」の意味を観念的に読み取ろうとする(トーキー映画の観客の)姿勢ではなく、視覚的効果に対して身体感覚的に反応しようとする(サイレント映画的な)鑑賞方法だと言えるだろう。ベンヤミンはこのサイレント映画的な「気散じ」の技法を、「メディア」化しつつあるトーキー映画に対しても応用することを提案しているわけだ。もし観客が、トーキー映画が捏造する抽象的なメッセージ(イデオロギー)など読み解く以前に、画面上の微妙な視覚的効果を繊細に感じ取ってしまえば、たとえ物語映画であっても「メディア」として効率良く作動してしまうのを妨げることができるのではないかというわけだ。
 これが中村がベンヤミン論文がら読み解いた、革命的な映画鑑賞の実践方法である。ここまでなら私はまったく賛成である。しかし中村がこうした主張に続けて、こうした「新たな『見る』ことへの『練習に最適な』映画」としてゴダールやストローブ=ユイレの映画をあげて以下のように称賛するとき、私は奇妙な当惑を感じ、何とも落ちつかない気分になってしまう(217頁)。

 「ゴダール、古典的映画の脱構築。ストローブ=ユイレ、古典的映画の能動的忘却。一一こうした(すでにそれ自体がアレゴリー的である)映画を観て、それについて語るという実践を、多様な状況に分散的に配置してゆくこと、それはイメージと言説の相互断片化によって、情報化社会などとも呼ばれもするこの社会の、「メディア」や「コミュニケーション」のヘゲモニーに抵抗することに他ならない」

 そうだろうか。なぜ、トーキー映画受容に対する「気散じ」の戦略を提案するときに持ち出される映画が、ゴダールやストローぶ=ユイレのような反=メディア的映画でなければならないのだろう。私にはそれがどうしても理解できない。そうではなく、気散じの技法によって私達が「見る」べき映画とは、そうした前衛的なトーキー映画作品ではなく、「メディア化」されてしまった透明な物語映画(=古典的映画)そのものの方ではないのか。なぜなら中村の言う、情報化社会の「メディア」や「コミュニケーション」のヘゲモニーをつくり出しているのは、まさにこうした凡庸な物語映画の方だからである。だからそうした物語映画をあえて見ながら、その抽象的な意味に囚われることを拒絶することに成功してこそ、観客ははじめて「メディア」のヘゲモニーに抵抗したことになると思うのだ。逆にもし中村の言うように、「気散じ」の技法に相応しいアレゴリカルな映画作品だけを選んで見て、その革命的実践性について語りあうことに私たちが止まってしまうとするならば、それは映画オタクたちが社会の隅っこで自分らの趣味にあった作品だけを見て、「これは革命的だ」などと自閉的に喜びあうことと変わらなくなってしまうだろう。
 つまり私達にとって大事なのは、あくまでごく普通の透明な物語映画に対して「気散じの戦略」を適用し、マス・メディアが流布させる物語映画をめぐる画一的な語りとイメージの反復に対して批判的に介入していくことのはずだろう。たがらゴダールやストローブ=ユイレを見て語りあうことは、むろんラングやガンスを見るのと同様重要なことではあるが(いやそれらはメディアヘの自覚的な抵抗戦略を持った映画なのだから、より一層重要なのであるが)、それはあくまで実践的抵抗のための「練習」の役割しか果たすことはできないはずだ。しかし残念ながら中村の論考には、実際にメディア化されてしまった映画に対してどのように「気散じ」の方法を適用し、情報化社会にどう抵抗するかという観客の側の具体的な実践の提示が不在なのだ。
 では、物語映画に適用された「気散じ」の実践とは具体的にはどのようなものなのだろうか。しかし、ここでも私達は蓮實童彦の力を借りなければならないだろう。なぜか。思い出してみよう。蓮實はそもそも(こうした映画のメディア化について歴史的に論ずる前には)、古典的で透明なハリウッド映画の美学的な養護者として特異な論陣を張っていたのではなかったか。サイレント期の映画作家たちの芸術的個性に溢れた作品などではなく、あるいはフェリーニやタルコフスキーやベルイマンのような現代の芸術的ヨーロッパ映画でもなく、ホークスやバッド・ベチィカーやマキノのように一見凡庸な「透明な映画」の素晴らしさを次々と捩じれた表現で訴え、フリッツ・ラングに関しては、それまで一般的には評価の高かったサイレント期の視覚的効果の強い作品(『メトロポリス』、『M』)よりも、ただ透明に物語を語ったようにしか見えないハリウッド期の平凡な物語映画(『死刑執行人もまた死す』)の見事さを繊細に評価する。それこそ、彼の映画批評が私たちに与えた衝撃だったはずだ。もっともその当時の蓮實は、あたかもそれらが美的な趣味の問題であるかのように語ってしまったために、それが実はマス・メディアのヘゲモニーへの政治的な抵抗戦略であるとは誰も気づかなかったのだ。むしろ高度大衆消費社会のなかでは、それはまるでグルメ文化における美食指南のようにさえ受けとめられてしまった。しかし私見では、透明な娯楽映画を独特のやり方で「見る」こうした蓮實的戦略は、本当は「政治的」な意味でこそ貴重だったのである。
 たとえば蓮實重彦がほとんど最初に私達を驚かせたと言ってよい、あの『エピステーメー』の「映画狂い」という特集号(1978年3/4月号)における、山田宏一との対談をもう一度思い出してみよう(120-153頁)。そこで二人は、ホークスの『ョーク軍曹』やクリント・イーストウッドの『ガントレット』といったハリウッドの透明な物語映画を取り上げながら、それらの作品における「二言構造」について語り合っていたはずだ。たとえば『ガントレット』であれば、表向きはアクション映画であり刑事物でありながら、同時にこの映画は『或る夜の出来事』と似たようなパターンを持った喧嘩友達風のロード・ムービーでありラヴ・ストーリーでもある。ところがこの微妙な「二重構造」を感じ取れない鈍感な観客たちは、例えばこの映画のラスト近く、刑事イーストウッドと彼が護送するソンドラ・ロックの二人が、手作りで武装したバスをゆっくりと進ませる場面で、その周りを取り囲んだ警察官がバスに打ち込む無数の弾丸が一発も彼らに当たらないのは全く理にかなっていない、などと批判する。しかし、この映画がアクション映画であると同時にラヴストーリーであることを身体的に感じ取ってさえいれば、そしてバスに徐々に穿たれて行く無数の弾丸の穴のエロチシズムに視覚的に反応してさえいれば(これこそ、サイレント映画とはまた違った、微妙で繊細な視覚的効果なのだ!)、打ち込まれた無数の弾丸が彼らの愛を祝福する銃弾だと気づかないはずはないだろうと二人は言う。
 つまり一見したところ透明な物語映画の中に、イーストウッドのような繊細な才能によって秘かに埋め込まれている視覚的効果を読み取る鑑賞の技法こそが、「気散じの戦略」なのである。むろんこの戦略によって私たちは、マス・メディアを通して人々に予め共有されている、「イーストウッドはマッチョなガンマンの役者」だとか「彼の新作もアクション映画」だとかいった、イメージのヘゲモニーに抵抗することが可能になるだろう(むろん、イーストウッドが実際はマゾヒスティックな役者であることは、気散じ的観客にとっては自明なことである)。そうした薄められたイメージを抽象的に読み取るのではなく、具体的な「見る」ことの身体感覚的実践において(たとえばバスの走る速度のエロチシズムを感じ取ることによって)、この映画が「ラヴストーリー」でもあるという、もう一つの表層的な意味を感じ取ること。そのことによって、メディアとしての映画の透明な伝播能力を脱臼させ、イーストウッドの隠された反メディア的な才能を際立たせてしまうこと。これこそが、蓮實の提示したハリウッド映画への「気散じの戦略」だと言えよう。むろんそれは、最初からあからさまに反メディア的に作られているゴダール映画をそう見ること以上にはるかに難しいに違いない。
 むろん急いで付け加えておくならば、先の「映画のイデオロギー的再編」を論じた文章の中においても、蓮實はやはりこうした物語映画に対する繊細な感受性の重要性について論じていたのだ。つまり、ルビッチ・タッチと呼ぶときの「タッチ」のような、「作品全体の肌触りの微妙な差」が同じ題材を扱った似たような作品の間にも存在していることがそこでは確かに指摘されているだろう。しかしここでの蓮實は例によって、そうした繊細な感受性による作品の肌触りの読み取りの問題を、才能ある映画作家を見分けるグルメ戦略の問題であるかのように論じてしまった。そのために彼は、より重要な政治的戦略としてその問題を論じることに失敗したと言えよう。本当はそれは、マス・メディアによって全てが観念化されてしまっていく情報化社会に対抗して、現実社会のなまなましい具体性を私たちの生活に取り戻すための政治的な戦いだったはずなのに・・・。

 こうして私達はあらためて、ホークスやマキノを見ることが、決して反動的な趣味なのではなく、マス・イデオロギーへの政治的な抵抗なのだと主張することができるだろう。いや、しかしこれでは実はまだ十分ではないのだ。なぜなら、これでは相変わらずホークスやマキノの映画自体は、私たち観客の側の「気散じ」の抵抗戦略によってはじめて救済されるような凡庸な映画であるにすぎないからだ。それは恐らく間違っている。ホークスやマキノの透明な物語映画は、それ自体において既にメディアやイデオロギーに政治的に抵抗する、優れた政治的映画だと私は思うのだ。それはどのようにか。詳しくは別に論じなおさなければならないのだろうが、とりあえず次のように言うことはできるだろう。たとえば伊藤大輔のようなサイレント映画の巨匠が作る、目にも止まらぬスピードで変転していく世界の物質的イメージは、確かに私たちを興奮させる。しかしそれは、私たちの日常世界が常に幾分かは観念的に(物語として)構成されている現実から目を背けているという意味で、かえって幾分か非政治的ではないだろうか。これに対して山中やマキノの透明な物語映画は、確かに革命的な興奮を私たちに与えない。しかし私たちは日常世界においては現実の観念性(物語)をそのまま受け入れつつ生きざるを得ないとしたら、そうした観念性を引き受けつつもそれに抵抗しようとする山中やマキノの映画の方が、私たちにとってはより政治的に重要な映画だと言えるだろう。つまり私は、物語の醜さを完全に回避した革命などあり得ないと思うのである・・・。