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長谷正人
千葉大学文学部社会学・映像文化論


[27]快感原則の彼岸としてのリュミエール映画

 日本においてリュミエール映画が最初に輸入・公開された明治30年(1897)ころ、しばしばその上映形態が「タスキ」と呼ばれる奇妙な方式を取っていたことは良く知られているだろう。つまりそこでは、リュミエール兄弟のさまざまな短い(一分弱ほどの)フィルムが一本ずつ、その先端と後端をつなげて輪の形にして、連続的に繰り返して上映されたのである。タスキをかけるような形にしたフィルムを特殊な器具にかけて上映したために、「タスキ」と呼ばれるようになったらしい。実際に加太こうじ氏の父親はこの「タスキ」による上映を見た経験があったそうで、その話によれば、たとえばフランスの観兵式を記録した作品がこの方法で映写されると、観客たちは、歩兵が数人歩いてきて銃を射って去って行くという一連の動作が機械的な正確さで何度も何度も繰り返されるのを見ることになるので、なかには「さすがはフランスの兵隊だ、何回でてきても、きちんと同じように射つ」などと感心する者さえいたと言う(「視覚の文化論一一絵解きから劇画まで」南博他編『芸双書8 えとく一一紙芝居・のぞきからくり・写し絵の世界』白水社、1982年所収)。
 同じ動作が繰り返し操り返し反復されるのを見ていた起源の映画観客たち一一実に興味深いエピソードである。しかしむろん、このような上映形態が取られたのは、同じ動作を繰り返し反復させることに対する何らかの審美的なこだわりがあったからというよりも、むしろリュミエール作品がそれぞれ一分弱という短いものだっだうえに上映用フィルムの本数が少なかったため、時間的に間延びさせる必要があったという興行者側の理由からだっただろうと思われる。しかも先のように、当時の観客たち(の一部)はそれが繰り返しの上映であることにさえ気づいていなかったというのだから、確かにこの上映形態にあまりに荷重な審美的意味を担わせるのは危険かもしれない。それは歴史の偶然が生んだ映画史初期の逸脱的な一挿話にすぎないと多くの人々は言うだろう。にもかかわらず私にはどうしても、この「タスキ」という上映形態がリュミエール映画という「起源の映画」における重要な側面を見事に照射しているように思えてならないのだ。つまり、リュミエール映画がそもそも持っている「単調な反復」という特徴を、「タスキ」は正確に反映(反復?)した上映形態であり、上映者も観客もそれに無意識的には気づいていて、そこに快楽さえ感じていたのではないか。そう思えてしまうのである。しかし、それではリュミエール映画における「単調な反復」とは何なのだろうか。それについて説明しなくではなるまい・・・。
 たとえば『海水浴』という作品は、確かに「単調な反復」から成り立っている。海岸から海に向かって向けられたキャメラの捉えた映像の中で、何人かの子供たちが、海に向かって突き出た縦長い飛び込み板の上を向こうに走って飛び込んでは、泳いで手前の浜に戻ってきてまた飛び込み台に上って飛び込もうとするのだから、なるほどここには、まるで「タスキ」上映されたかのように子供たちが海と浜の間の往復を繰り返している光景が見られるだろう。むろんその背景で、海の波自体もまた寄せては返すという反復連動を繰り返していることも忘れてはなるまい。だからリュミエール映画の一部には確かに、「単調な反復」を写しだしたものがあるのだ。しかし他方で、他の多くの代表的なリュミエール作品は、こうした単調な反復連動と言うよりは、むしろ一回性の出来事が不可逆的に起きて終わるだけの映画が多いのも事実である。たとえば『列車の到着』なら、列車が遠くから突進してきて駅に到着したらそれでお終いだし、『工場の出口』なら、工場の門から大勢の労働者が溢れるように出てきて去って行った所で終わる。そこで列車が再び走り出したり、労働者たちが帰って来たりすることは決してない。にもかかわらず、リュミエールのこうした一回性の「出来事」を捉えた映画においても、私はそこに「単調な反復」をどこかで感じ取ってしまう。まるでそれが繰り返し反復される出来事のただの一回にすぎないような奇妙な感覚に襲われてしまうのである。どうしてだろうか。
 なぜならそれらの映画が、「出来事」が終わってしまった後の凡庸な光景を、必要以上に丁寧に長く描いているからである。たとえば『列車の到着』なら、列車が突進して来て停止するという有名な光景(最初の観客たちが恐怖のあまり逃げまどったという)の後で、なぜか乗客の乗り降りや出迎えといったどうでもよい平凡な光景が奇妙なまでに長く描かれているだろう。もし世評どおりにこの映画の見せ場が、列車の突進の追力にあるのだとすれば、後にアメリカやイギリスにおいて作られた模倣映画がそうしてみせたように、列車が突進したところでフィルムを終わらせた方が、はるかに効果的なはずなのに。それは『工場の出口』でも同じである。門が開かれて、一群の労働者たちが一斉に門がら出てきて左右に素早く去って行くという印象的な出実事が捉えられた後、ここでもなぜがもう一度最後に門が閉じられるという凡庸な光景が写しだされてしまうのである。これもまた見ていて、何かせっかく盛り上がった気分が覚まされてしまうような奇妙な感じがするだろう。つまりこれらの作品においてリュミエール兄弟は、「列車の到着」とか「労働者の帰宅」といった出来事を不可逆的で突出した「事件」として、つまりはそれ自体の迫力において描こうとしているのではなさそうだ。そうではなく彼らは、ある「出来事」を、それが静寂状態を破って盛り上がり始める所から、頂点に達してやがて元の静止状態に復帰するまでの、より大きな「律動」的な運動のなかに捉えようとしているのである。まるで脈拍が一回打たれるような「律動」としての「出来事」。だからこそ私はついつい無意識的に、生物の脈拍の律動的運動と同じように、その最後の静止状態から再び同じ「出来事」が始まるような奇妙な予期的錯覚を一瞬覚えてしまうのだ。
 とにかく、捉えた「出来事」をそれ以前の静寂状態にまで復帰させなければすまないリュミエール兄弟の欲望は執拗なまでに強く、他の作品ではより一層に明確になり、異常な程である。たとえば、『雪合戦』がそうだ。これは、画面奥に向かって整然と立ち並んだ並木のその手前で一群の人々が雪合戦を楽しげにやっている渦中に、並木の奥から自転車に乗った一人の男が走って来ると、当然のように人々は一斉にその男めがけて雪つぶてをぶつけ、たまらず男はころんでしまうという喜劇映画だ。しかし普通なら、男がころんだ所でギャグとしては完納しているはずのこの作品で、なぜかその男はもう一度自転車に乗りなおして一目散にもと来た道を戻って行き、それが豆粒になるまで遠ざかる姿が執拗に捉えられている。むろん人々はそんな「出来事」のあった事など忘れたかのように、再び最初のようにふつうに雪合戦をしている。何とも驚くべき、リュミエール兄弟の原状回復への欲望だろう。あるいは『水をかけられた撒水夫』もそうだ。これは、男が水撒きをしているところに少年がやってきてホースを踏み、水が止まったのを訝しく思った男がホースを覗いたところで少年が足を離して男がびしょ濡れになってしまい、怒った男は少年をつかまえて尻叩きの制裁をするという有名な喜劇作品なのだが、これまたこの制裁で映画は終わることなく、なぜかわざわざこの後に再び男が何事もなかったかのように元通り水撒きをする姿が捉えられるのである。それもこの男は、一刻も早い原状が彼に課せられた使命であるかのように、少年を制裁することなどそこそこにして慌てて水撒きを再開するのだ。いずれにせよこれらの映画は一層、リュミエール兄弟が映画における「出来事」を、それが生じては消えていくような一つの「律動」として捉えようとしたことを良く示しているだろう。
 こうしてリュミエール映画においては、波の運動のような「単調な反復」が画面上には直接的に描かれていない一回的「出来事」の映画の場合でも、「単調な反復」を予期させるような一つの「律動」が描かれていることが分かった。水撤きが邪魔される事件のあとで再びそれが元のように開始されるという「律動」、門が開かれて労働者が去って行くと再び元のように門が閉じるという「律動」、こうした、出来事が起きては静寂へと回帰する「律動」がここには確かに存在する。だから私はそこに「反復」を感じ取ってしまうのだ。
 そしてこうなると、私はどうしてもフロイトのあの理論のことを思い出さずにはいられない。「快感原則の彼岸」という論文における「死の欲動」の理論である(中山元訳『自我論集』ちくま学芸文庫、1996年に所収)。フロイトはこの奇妙な論文のなかで、彼自身も半信半疑ながら、「無機的な世界の静止状態に復帰するという、すべての生命体のもっとも普遍的な営み」として「死の欲動」を発見したのだった(197頁)。たとえば人間の性的な営みは、その行為のクライマックスにおける緊張の(生の)快楽を目指して行われるというよりも、精液を放出した後の興奮緩和状態における快感(死の決楽)を目指して行われてしまうだろう。つまり、生物は「死」の快楽としての安楽状態を経験するためにのみ、繰り返し繰り返し「生」の興奮状態を無理やり作りだしているにすぎない。言い換えれば、「生」は必ず「死」を目的としてのみ存在しているということになる。これがフロイトの「死の欲動」仮説である。そうするとリュミエール映画も、列車の走行時の興奮よりもそれが停止した後の静寂の光景を、少年の悪戯をめぐる身振りの可笑しさよりもその後の原状回復の光景をどうしても好んで描いてしまうという意味において、このフロイトの「死の欲動」を見事に集現していると言えるのではないか。そして日本の初期の興行者による「タスキ」上映もまた、たとえば銃を構えて撃つという「生」の高揚状態としての光景に続く一画の静寂状態(死の快楽)を「律動的」に反復するという意味で、やはり「死の欲動」を生産していたのではないか。つまりは、そうした「単調な反復」における「死の快楽」を人々に無意識的に感じさせていたという点においてこそ、リュミエール映画の酌めども尽きせぬ不思議な魅力があるのではないか。私はそう思えてならないのである・・・。