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長谷正人
千葉大学文学部社会学・映像文化論


[11]催眠術、唯心論、映像

 日本でリュミエール兄弟のシネマトグラフが初めて上映された明冶30年(1897年)、驚くべきことに、早くも映画について論じた書物が発行されている。大東楼主人著『自動写真術』という書物である。リュミエールのシネマトグラフがどのようなメカニズムによって撮影を行い、それを映写しているかを解説し、それがスティル写真とどのように違っているかを簡潔に説明した短い書物なのだが、ここで注目したいのは、その最後に付録として付いている「小説 自動写真」という短編小説である。(付録以外の部分は、塚田嘉信『日本映画史の研究』現代書館、1980年に再録されているのだが、付録の小説を読むためには、国会図書館のマイクロフィッシュ版にあたらなければならない)
 この小説は、次のように何とも興味深い。札幌の火事の実写映画を見たある女性が、夫が札幌に単身赴任していたため、映画の中に自分の夫を見たような気がして心配になり、ついにはその夜、夫が焼死する夢まで見てしまうという奇妙な物語である。小説自体は、翌朝、夫から無事を知らせる速達郵便が届いて夫人が安心する上いう凡庸なオチで終わるのだが、私としてはやはり、映画を見た影響で婦人が「悪夢」を見てしまうという途中のストーリー設定にどうしても心ひかれてしまう。つまりここでは、映画が観客たちの潜在意識に働きかけて影響を与え、夢まで見させてしまう可能性が語られているからである。言わばここでは、映画の「催眠術」的な効果が問題となっていると言って良かろう。むろんこうした「催眠術」的効果は、ずっと後に全体主義のプロパガンダ映画において利用されていくことになるのだが、日本で最初の映画小説がはじめから、映画が観客の潜在意識に働きかける能力に着目していた事実には、やはり驚嘆するしかない。
 しかもさらに驚くべきことには、この書物は数年後(明治33年頃)に『実地応用近世新奇術』という別の本の中にそのまま再録され、ここで「催眠術」(や「X線」)と並ぶ新しい「奇術」の一種として映画は紹介されることになるのだ。だから間違いなく、当時の日本人は「映画」と「催眠術」を結び付けて考えていた。人間の潜在意識に働きかけて彼の行動をコントロールできる「催眠術」的能カを持つようなメディアとして注目していたのである。実際、映画という新しいメディアが導入されつつあった明治30年代当時の日本は、同時に「催眠術」が大流行していた時代でもあった。一柳広孝『 <こっくりさん>と<干里眼>−日本近代と心理学』(講談社メチエ、1994年)がそれを詳細に論じているので読んで頂ければよいのだが、彼によれば、この時代において催眠術は「唯物論」的な科学に対抗する「唯心論」や「心霊主義」を象徴する技法として、次のように論じられていたらしい。

 「催眠術とは、心の多岐にわたる動きを一方向に働かせるための方便にすぎない。そして、催眠術が明らかにするのは、精神の物質=肉体に対する優位である。宇宙とは一つのエネルギーであり、物質とはエネルギーの表象である。エネルギーが本源であり、物質はその後にくる。エネルギーなくして、物質はない。したがって、物質である肉体は、観念というエネルギーによって変化する。」(89頁)

 こうした「物質」に対する「精神」優位の思想が、「唯心諭」である。この世界は、物質を越えた何らかの超越的なエネルギーによって動かされていると考えられるのだ。むろん写真や映画といった最新の機械メディアは、基本的には「唯心論」とは関係なく、「唯物論」的な機械である。映像は、光学的メカニズムと機械的メカニズムによって世界を捉え、再現しているにすぎないのだから。実際、シネマトグラフ輸入当時のいずれの「映画解説」言説も、そのような「唯物論的」機械として、写真機を説明している。そこには神秘など一切ない。にもかかわらず私には、写真と映画にはどこか「唯心論」につながってしまう部分を含んでおり、それが当時、映画の「催眠術」的効果に関する言説として表れていたように思えるのだ。
 事実、映像は必ずどこかで反=唯物論的な性質を孕んでいる。たとえば花の写真は、花という物質が実体としてそこにあるにもかかわらず、その花から放射された光の粒子がカメラの所まで飛んできてその乾板に定着させられだものだと言えよう。つまり映像は、先の唯心論解説文における「エネルギー」のような流動的なもの(光線)を物質が放射していなければ成り立たないのである。花は、物質としての存在とは別にエネルギー(無論、光線なのだが)としても存在しているからこそ、写真によって捉えることができる。この意味では写真や映画は、全く「唯心論」的なものに変貌するだろう。
 こうして私たちは、やはりこの時代に流行していた「念写」についても考え直すことができよう。頭の中に思い描いたものを乾板に定着させる(ことができると信じる)人為的写真としての「念写」は、それほど突拍子もない神秘主義的発想ではないと私は思う。全ての写真は、私たちには見えない光線が被写体からカメラまで進行することによって生じたものだった。従って、もし私たちの脳からカメラに向かって放射される不可視の「線」(エネルギー)がありさえすれば、「念写」はたちまちに科学的に可能になるはずなのだ。だから実際、明治43年に京大生三浦は、超能力者の頭脳から放射している「京大光線」というものを、東大教授の福来もまた同様に「精神線」というものを想定して、それによって「念与」に科学的正当性を与えようとしていた(一柳、前掲書、127頁)こうして当時、「念写」は写真のメカニズムからの類推によって、極めて科学的な態度によって証明されようとしていたのである。ただ残念なことに、その光線の存在が証明されることはなかっただけなのだ。(言い添えておくなら、19世紀の最後の5年間は、レントゲンのX線の発見(1895年)、ベクレルによる放射能の発見(1896年)、ラザフォードによるα線、β線の発見(1899年)、ヴィラールによるγ線の発見(1900年)などが相次ぎ、不可視の「線」の発見に科学者たちは熱狂していたのである)
 逆に言うならば、全ての写真は、被写体としての物質が自分の姿をカメラに向かってある種の「念写」を行ったために成立したのだと考えても良いだろう。ただ違うのは、普通の写真では人為的なコントロールが不可能だということだけである。あらゆる物質は常に自ら四方八方に向かって「念写」(エネルギー光線を放射)することができる超能力者なので、私たちは適当な場所にカメラを置きさえすれば、その放射光線を捉えることができる。つまり人為的なコントロールのない、自然にまかせた「念写」として、全ての写真は存在しているのだ。
 そして最後に私たちは、再び「催眠術」や「夢]と「映画」との関係について考えることにしよう。これらは、言わば「念写」におけるエネルギーの方向が変わったときに成立するものなのである。「念写」が、人間の頭脳からカメラに向かってこのエネルギー(精神線)が進行するものだとするならば、「催眠術」はそれが人間の頭脳から他人の精神へと進行することによって引き起こされるのだし、「映画」(の催眠術的効果)の場合は、映像から人間に向かって進行することによって彼の精神状態を変える(「夢」を見させる)のだと言えよう。いずれにせよ私たちは、こうしだ「唯心論」的発想によって映像を論じようとした明冶期の人々をけっして笑えないと思う。それらは間違いなく、映画や写真を情報伝達メディアや芸術として捉えるような現代の平板な言説よりは遥かに、映像というものの持っている特異な性格を言い当てているのだから。