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11月1日 入院一日目

 いやはや、つーわけで、これをタイプしているのは、11/2の17時過ぎだったりします。
 まぁ、色々あったのよ。(笑)

 で、まずは、事故の状況から。
 10月30日の18:25、現場は、うちからわずか200mしか離れていない、靖国道路上。
 簡単にいえば、私のHONDA Dioが、マジェスティという250ccのバイクに追突された、てことです。
 運転者の証言によると、私の存在に気がついたものの、スピードが出すぎており、急ブレーキをかけたらタイヤがロックして転倒。転倒したバイクが路面をすべって行き、私の原チャをはねたらしい。アタシャ、ボーリングのピンかいな。
 私の方は、というと、道路に何もないことを確認して右折。加速しようとアクセルを開けた瞬間に、ドカンとバイクから振り落とされて、腰から路面に落ちました。ダルマ落としを想像するとよろし。
 痛くて動けなかったんだけど、目の前の路上駐車していた車のドアが空き、すぐに救急車を呼んでくれました。
 場所は、厚生年金開館前の新宿行き車線で、ギャラリーも多く、すぐに、ちょうどあった工事用のパイロンを並べてくれて、車の誘導をしてくれました。
 見ていたから、と、私に名刺を渡した方もいらっしゃいましたが、私は痛くて受け取れず、別のギャラリーの方が代わって受け取りました。(結局この名刺は未だに行方不明ですが)
 救急車は、消防署が近いこともあって、すぐに来ました。
 腰が痛くて動けず、どうやってタンカに乗せるか、と、相談していた所へ、脚と手を怪我している人が現れ、何か言ってきました。(痛かったので、よく覚えていないのだ)
 それを見て、そこでようやく、「何かがぶつかったのか?」と、考えるに至りました。
 最初、最近調子が悪かったバイクのエンジンが爆発して振り落とされたと思っていたのです。左右の確認をしていましたから、車両がぶつかってきた、とは考えられなかったのです。(今でも、あのバイクはどこからきたのか? と不思議なのですが)
 タンカで運ばれる途中、道路の先に、私のバイクと、もっと先に、ずっと大きな物体が転がっているのが見えました。(痛かったので、集中して見ていられませんでした)
 救急車に乗せられたところで、ようやく警察が来て、免許を持っていかれてしまいました。
 病院は、'96年に椎間板ヘルニアの手術をした所を希望したのですが、入院は無理とのことで(救急隊員の判断では即入院でした)、別の病院へ。

 とにかく左腰上が痛くて、何枚もレントゲンを撮った。
 ヘルメットがこすれていたので、首の具合も聞かれたのだが、この時は、なんともなかった。
 骨には異常がなさそう、とのことだったので、入院は嫌だ、と進言。
 実は、翌日に、納品が2つあり、遅延させたくなかったのだ。あと2日遅かったら、喜んで入院したのに、と、冗談を言う気力もあった。
 Tシャツにパンツという姿で、誰もいない診察室へほうっておかれてしまった。(彼らにはそんなつもりはなかったかも知れないけど、あとでしてくれると言っていた擦り傷の治療はしてくれなかったし、私が頼んだ「冷やすもの(アイスノンがきた)」だけを置いて、だあれもいなくなってしまった)
 あまり書きたくはないのだが、その他、私の前やった手術の担当医に対して等々、とても印象が悪かった。
 PHSの許可は得てあったので、知人に電話をかけ、迎えにきてもらうことにした。
 迎えの到着までは、一時間くらいだったと思う。
 患部を冷やしたら、少しは楽になった。
 だが、寒くてたまらない。この日は、今年一番の寒さで、診察室とはいえ、玄関につながる一階。こちらはパンツにTシャツである。
 袋に、私の衣類等がまとめて入れられているのを発見したので、なんとか着替え。なんとか、と書くのは簡単だけど、40分くらいかかっての作業だった。
 痛み的には、椎間板ヘルニアの時に近く、慣れた痛みではあったんだけど、筋肉に力が入ると激痛が走った。
 相手にすれば、「出来たら帰りたい」を連発する私を、厄介な客だと判断するのは当然で、無理やり帰る時も、若い見習い風の看護婦がひとり、保証金の5,000円を受け取りにきただけで、見送りもなかった。彼女は、私が勝手に診察室から持ってきた松葉杖一本足して、もう一本持ってきてくれ、「駄目だったら救急車をよんで下さい」とは言ってくれたけどね。

 で、知人の車に乗せられて、四谷署へ。
 免許を取返しに行ったつもりだったんだけど、相手の人も治療を終えてきており(いったんは同じ救急車に乗ったんだけど、二人は運べない、とのことで、別の救急車で別の病院へ行った)、面倒なことを全部済ませてしまうことにした。どう考えても、私が自力で警察へ行けるようになるには、数日の養生が必要だと思ったのだ。(この時点でも入院のつもりは全くなかった)
 相手の人には、「好きで事故するひとはいないし、双方、保険で済ませましょう」と、「トテモイイヒト」として振る舞っていた。
 つーか、警察署にあった車イスで行動していたんだけど、痛いし、腹減ってたし、で、かなりハイな感じ。
 相手は、普通のサラリーマンで、盛んに怪我の心配をしていて、いいひとみたいだった。

 結局、現場検証(私は車を降りずに立ち会い)、事情調書を終え、帰ったら0時を過ぎていた。
 そのまま、呼びつけた仕事仲間に待ってもらい、呻きつつ(トイレへ行くのもひと苦労だったのだ)、納品物の仕上げ。
 結局、半泣きで横になって、寝たのは4時頃だった。

 で、あけて、10/31。
 昼過ぎに起きた。
 つーか、痛くてなかなか起き上がれない。
 首も、肩も痛い。
 凝りゃ駄目だ。な、感じ。
 まともに歩けないので、弁当を買いに行くことすら出来ない。
 入院を真剣に考える、というか、それしかないかな? という感じ。
 呻きつつ、保険の書類を調べる。
 障害保険、生命保険はOK。
 ところが、感じの原チャリの保険が平成13年2月で切れていた。それ以降の証書がないのだ。自動継続になっていて、その年で、35%引きになっていた。
 保険屋に電話して、確認をしてもらう。それ以外の保険も、その人に頼んでいたので、事故の状況も説明した。
 とにかく、明日の朝、現場と事故車を見るとのこと。
 原チャリ保険については、私は打ち切った覚えがない。自賠責だって、同じ保険会社をつかっているくらいなのだ。(自動車やロケ関係の保険も!)
 怒鳴るのもつかれるし、今回は、こちらに過失はないはずなので、問題は先送り。あまり考えたくない。

 先方の保険会社から電話があり、こちらの事情を説明。証書はないものの、こちらの保険の担当者が、話し合いをしてくれる旨を伝えたのだが、あくまで私と、ということで、こちらの保険担当者の連絡先は「必要ありません」と、ばっさり。
 面倒なので、早々に電話を切る。
 椎間板ヘルニアで入院していた病院へ連絡をしたのだが、最後に診てもらってから半年以上たっているので、診察は、初診からとなり、担当は誰になるかわかないという。そもそも、脊椎班は火曜日しか外来は受け付けておらず、入院は、ずっと先でないと無理とのこと。
 しかたなく、運ばれた病院へ電話し、入院を前提に再診の申し込み。翌日、受付で申し込んでくれ、とのことだった。

 一通りを済ませ、一時間以上かかって、入院セットを作る。
 重い物は運べないので、玄関にバックを置き、その中に衣類等を落としていった。

 頑張って、ipm.jの11月号を完成させ、就寝。

 あけて、11/1。
 朝、担当の保険屋さんへ電話して、来てもらうことになった。
 8時半頃、迎えが来て、事故現場へ行き、事故後はじめて自分のバイクを見た。前、両サイドはほとんどダメージないのだが、後輪が、中へ押し込まれてしまっている。よほど、うまくヒットしたらしい。廃車するしかない。先日、駆動系パーツ一式をヤフオクで手に入れたのにぃ。

 保険屋さんとは、病院で受診の申し込みをしてもらったあと、お別れ。予定があったのだそうだ。
 私は、パシャマ姿で、中途半端に座ったまま、荷物の横で30分くらい耐えて待つ。
 やっぱ、救急車だったかなぁ、と、後悔しきり、な頃、ようやく名前を呼ばれ、再診察。
 首のレントゲンと、首のCT。
 あー、折れてますねぇ、2本も。
 てことで、即入院となったのでした。
 背骨の両側にトゲ状に出ている骨が2本折れて離れてしまっているんだけど、付けようがないので、放っておくしかないらしい。幸い、臓器への損傷はなかったので、一週間の入院を言い渡された。
 首は、問題なさそうだ。肩も、軽い打ち身程度。

 病室は、2人部屋。
 早速昼飯。
 朝から何も食べてなかったので、いきなり飯とは有り難い。

 活字が一切なかったので、午後見舞いに来た保険屋さんに、なるべく文字の多い本、てのを持ってきてもらった。(読み放題コーナーがあるそうだ)
 この日は、まだまだ余裕だった。
 椎間板ヘルニアの手術をしてますから、この手の痛みは慣れてますよ、と、薬も辞退するくらいに。
 サーバー会社と電話でアレコレしていたり、メール書いていたり、本を読んだり、で、寝たのは23時頃。

 ところがどっこい、翌朝。。。。。。


昼食なり


ベッドの様子


夕食なり