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1月1日 与那国島−石垣島−新城島−西表島

 6時に起きて東崎へ初日の出を見に行った。
 しかし、またしても雨。とほほ。
 午前中は荷物のパッキング等でうだうだ過ごし、11:55の飛行機で与那国島を離れた。
 ジェットは早い。12:20には、もう石垣島の人となっていた。
 空港から離島桟橋までは、旅行者3人で相乗りタクシー。
 桟橋でひとり加え、4人で昼飯にハンバーガーを食べに行った。いつも行っているそば屋が休みなのだ。
 天候は小雨から、お店を出る頃には止んでいた。
 我々は、新城島へ渡る手段を画策していた。
 14:30発の西表島大原行きの船が新城島へ寄るという情報を得、渋る発券係を説得し、ついに新城島へのチケットを手に入れた。1,540円であった。
 渡ったとしても、次の船がいつ寄るかは不明。郵便船を捕まえて西表島の大原に港へ行く手段も考えられるが、それがいつかも判らない。公称では、たった6人の島なのだ。しかも、島民でないと船は呼べない。
 結局、私だけが挑戦することになった。
 で、結果は玉砕である。
 新城島へ上陸したら、その船に乗ってきていた島の公民館長が、帰れを連発。船に戻そうとする。
 私は適当に話をはぐらかし、そのうちに船は岸壁を離れて行った。
 だか、散策を開始して30分、自分の船で島へ来ていた人に詰め寄られ、新年早々くたびれるもめごとも嫌なので、そのおじさんに従うことにした。すなわち、そのおじさんの船により西表島の大原港へ強制送還である。
 滞在中にしたことといえば、写真を30枚ほど撮ったのと、立ち小便くらいなものである。
 西表島への船には、他にも沖縄本島出身者というおじさんが乗っていて、少し話をした。別に不愉快な話ではなかったが、ここに記すことはひかえておく。
 現在、17時。西表島の大原港にいる。
 IPMJを更新しようにも、まさか2000年問題ではないと思うが、サーバーがエラーを返してしまってFTP出来ない。
 さて、どうしたものか。

 結局、南風見田の浜へ行くことにする。
 6km先。アップダウンのある道を、夕焼けを左に見ながらRazorで進んだ。
 今回、スケーターボートとかキックボード(ただしこれは別な製品名だけど)とか呼ばれている足で蹴って進む乗り物を持ってきている。登りは担ぎ、下りはタイヤが付いているので楽ちんに下れる。
 18時に浜に着いた。
 雲が多めながらも、水平線部分からわずかに太陽が顔をのぞかせ、海に沈む夕日を眺めることが出来た。
 南風見田は、「はいみだ」と読む。この島で唯一キャンプが黙認されている所(有料キャンプ場は他にもあるけど)で、ディープなキャンパーが多いことで知られている。
 面白いのが、浜を見渡してもキャンパーの姿は見えず、テントは林の中に立てられている。いったい何人キャンプしているのか不明。住んでしまっている人も多いと聞く。
 何人かのキャンパーを見かけたが、話しかけられることはなかった。こちらからは近づきがたい雰囲気がある。
 浜で、一見して今日到着したキャンパーだと判る若い男が調理をしていたので(彼のテントは林の中だけど)、声をかけた。
 ここにはトイレはなく、水はあるけど川からひいただけらしいので沸かして飲んだ方がいいことを教えられた。私は500ccのミネラルウォーターがあるので、それを利用することにした。
 空は、星が出ているものの、かなり曇りがち。風もある。
 腹が減ったので浜にシートとマットを敷いてパンを食べた。急遽、新城島へ行くことになった時に買ったものだ。この時、お茶500cc、水500cc、パン4個、カップ麺1個を土産物屋で買い求めた。(開いているスーパーまで行く暇がなかったのだ)米は無洗米を1リットルほど持参している。
 食べたら眠くなったので、シュラフカバーにもぐりこみ、防虫網をかぶって眠ることにした。夜露がひどく、ザックカバーは、もうしっとりと濡れていた。(持参している荷物は全てザックにいれ、ザックカバーをかけて寝るのだ。夜露と動物除け)
 19時くらいから寝たのだが、21時過ぎで寒くて起きた。
 もう少しちゃんとした方がいいらしい。
 空には雲が広がり、雨の心配も出てきた。
 ここには屋根付の場所が一カ所あるのだが、その周辺では誰もキャンプをしていなかった。ここのルールかと思ってそこへは行かなかったのだが、ま、いっか、と、その屋根の下へ行くことにした。
 今度はいつもの寝装備(シート、マット、シュラフカバー、シュラフ)で眠った。


今年も朝日は見られませんでした


新城島の岸壁を離れる高速船


新城島にて。今回の旅のスタイル


新城島の元日


南風見田の浜の夕景