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10月13日 中之島3日目

 7時起床。天候は雲多目なれど晴。青空が美しい。暑いけど。
 見たいと希望をずっと出していた資料館が14時から開くことに。
 急いで9時に御岳(979m)山頂を目指して出発。ひたすら登る、登る、日陰が少なくて倒れそう。軽くするために水の量を減らしたのは大失敗だった。とかく今回の旅は水に泣かされた。
 標高750m付近にはTVの中継施設があり、そこまではコンクリート舗装の道が続いている。そこから上は徒歩。
 TV中継施設の日陰に逃げ込んで昼食にしたのだが、食べ終わったら12時を過ぎていた。もう14時に資料館というのは絶望的。
 そこで軽登山靴と長パンに履き替え、荷物を極力減らして(水も200ccくらいしか残っていなかったので持参せず)、山頂を徒歩とほ目指す。
 かなりバテバテ状態で、1時間以上もかかってしまった。
 山頂からの眺めは、噴火口と集落。天気はいいんだけど、ガスがかかって遠くが見通せないことも。
 山頂では、福岡の女性バックパッカーに会い、話をした。旬の話題は台風の影響によって船がどうなるか、ということ。
 山頂から自転車を置いた所まで一緒に下り、彼女は徒歩なのでサヨウナラ。私はまたいつもの短パン、サンダル姿に着替える。
 私の短パンは西表島のペンション星の砂で買ったものなのだが、バックパッカーはそのマンタのマークに気付いており、どうやら彼女がそこでバイトしている時にも私はそこを訪れていたらしい。世の中狭い。
 また、彼女の話では、トカラ列島の他の島々で、コルセットをした自転車乗り(私の事だ)の話を聞きました、とのこと。うーむ、噂は広まるのね。
 自転車をスタートさせた時にすでに14時になっていた。
 今度は延々下り。握力勝負である。すぐにバックパッカーを追い越す。
 地図によると、集落まで下りないで、左にそれる道を行けば、多少遠回りになるものの、山を下り切らないで資料館へ行けそうだった。集落まで下りると、また標高200m以上登らなければならない。
 が、これが失敗だった。
 脇道は未舗装路で、ほとんど登りだった。だんだん草が多くなってくる。
 20分くらい行った所で、下りる道との分岐へ出た。地図にはないけど、と、行ってみると、道はすぐにすごいガレ場になり、自転車を押して下っても危険な程だった。10分くらい苦労して下ると、いきなり道は終わっていた。突き当たりは砂防ダムで、どうやら作業用の道が放置されていたらしい。
 かなり怒る。
 目茶苦茶苦労して自転車を押し上げる。
 ヒロウコンパイ、ビール出せ! である。
 悪い事はさらにつづく。
 分岐点へ戻った後、さらに未舗装路進むことにしたのだが、だんだん荒れてきて、遂には全く進めなくなってしまった。
 ああ、青空、照り付ける太陽。
 草がおい茂っている上に道が荒れているので、長パンと軽登山靴に履き替え、草原に突っ込む感じで山を駆け下る。
 ぜぇぜぇ。
 コンクリート舗装された道へ戻り、またまたバックパッカーを追い越す。
 登った道と同じ道で集落へ行き、登山届を出した役場へ。
 道の話をすると(特に、何の案内もなく放置された作業用道路に腹を立てていた)、「この島では、舗装されていない道を行っちゃイカンのです。聞きませんでした?」と怒られた。んなこと言ってもさぁ、島内のあちこちにある看板にはちゃんと道が書いてあるじゃんやう。
「道の事をちゃんと言わなアカンと、私は言っとるんですが」
 だそうである。
 資料館のことをきくと、2回も放送をかけた、と、また文句を言われた。あんたたちが見たいというから開けたのに、と言うくらいなら、少しはこっちの都合も考えて開けて欲しいものである。昨日や一昨日だったら助かったのに。
 しかし、まだ開けていると思う、とのことだったので、商店で、ポカリスエット250ml缶を肴に、350ml缶ビールで水分を取り、我ながらタフだよなぁ、と、自画自賛しつつ1時間くらいかけて資料館へ。着いたら17時近くになっていて、まずはトイレで水をガブ飲み。
 結論から言ってしまうと、資料館はよかったです。館長さんが1時間以上も丁寧に説明して下さいましたし、貴重なVTR資料もそろっていました。頑張って来た甲斐がありました。
 資料館を出ると、もう陽は沈んでいましたが、かすかに焼けていました。
 海も穏やかで、台風の接近が信じられません。
 夜は素晴らしい星空で、それを見、キャンパーが手に入れてきた魚をつまみに(40cmくらいあり、頼まれて、私が刺身と味噌汁を作りました)、最高の気分でした。
 また、突然電話回線を借りることが出来、若干のデータを送信しました。すぐ電池切れになってしまったのが残念です。
 船は、鹿児島を出港したとの情報は得られましたが、宝島には泊らず、折り返すとのことでした。しかも、その次の船の欠航も決まっていました。
 したがって、翌朝乗って悪石島に行っても、数時間で上りの船が来てしまうことになります。しかも、上りの船が接岸出来る保証はありません。そうなれば、20日過ぎまで島に滞在しなければならず、その後のスケジュールが大幅に支障をきたします。
 さて、どうなりますやら。
 とはいえ、0時近くまで酒盛りしていたのですが。

御岳山頂で会った福岡の女性バックパッカーに撮ってもらいました