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佐伯格五郎
(JCIIフオトサロン・キユレーター・日本カメラ博物館運営員)



第6回
ライカM3の特長



 1954年春4月、ドイツ、ケルン市においてフォトキナが開催された。フォトキナはその第1回が1950年だった。1954年には2年毎に開かれるようになった。これは世界的な映像見本市である。この会場で「ライカM3」が発表され、即日発売された。
 従来のライカと最っとも違った点は外観でファインダーを含むカメラ上部の軍艦部が大きくなり、従って全体に大ぶりになったことである。
 カメラのメカニズムも一変して、数々の特色を持っている。先ず、ファインダーは従来の2眼式接眼部(ファインダーと距離計)が1眼式となり、ファインダーと距離計が一体化した。ファインダー倍率は0.91倍、ファインダー内に2重像合致式の距離計、(基線長68.5ミリ)そして採光窓付で50ミリのブライトフレームがパララックス自動補正で表示されている。しかも、レンズを90ミリ、あるいは135ミリに交換すると、自動的にブライトフレームが表示されるようになった。従ってレンズマウントもスクリュー式から4本爪バヨネット式に変更されている(このなかの爪の1本がファイン ダーフレームの自動変更の役目をしている)。1955年ライカM3ボディー番号785,801からファインダーセレクトレバーが付き、自由にフレームを出して見られるようにな った。
 シャッターは従来の2軸式回転ダイヤルから1軸不回転ダイヤルとなり、露出計(メトラワット社製)が装着できる。この露出計はシャッターダイヤルを動かすと絞り値を指針で読み取ることが出来るので、レンズ側の絞り値を指示通りにセットすれば、適正露出となる。1957年、ボディー番号854,001からシャッタースピードは等倍式に 改良されている。
 フィルム巻上げが、従来のノブ式からレバー式となり、2ストロークで巻上げる。1958年ボディー番号919,251から、この2ストローク巻上げは1回巻上げになった。
 フィルム裏蓋が一部開閉するようになり、底蓋開閉とあいまって、フィルム装填が楽になった。フィルム圧板もガラス製となって、平面性が重視されている(このガラス製圧板は静電気が起きやすいので、1975年ボディー番号854,001から金属圧板となった)。
 シンクロ接点が、FP級閃光電球用接点とX接点(ストロボ用)との2接点型となり、カメラ背部に絵マークで表示されている。X接点は1/50秒である。
 しかし、これほどの大改良をしていながら、巻戻しは従来と同じノブ式であった。 これはフィルムの静電気によるスタッチマークが発生することをきらったためであったようだ。