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佐伯格五郎
(JCIIフオトサロン・キユレーター・日本カメラ博物館運営員)



第3回
ライカは新しい写真表現を生み出した



 ライカがいかに優れた機能を持っていても、それを使いこなすには、いろいろと問題があった。まず当時のカメラ事情を考えてみると、カメラは大型で、ネガ面積はキャビネとか手札、また小さくても6×9センチ、アトム(6×4.5センチ)といった、少なくとも35ミリ判よりは大きいのである。したがってファインダーを見ることやピントグラスを実際にみて、画面を構成する手法が普通であったがライカではファインダーは逆ガリレオ式で覗くと小さく被写体がみえる。つまり当時の大型カメラになれていた人にとって、およそこの範囲は写るということは判っても、対象の動きや表情などは十分に確認できなかったのである。また 135ミリレンズを付けると、さらにファインダーは小さくなってしまうのである。
 しかしこうした難点はあっても、この機動性といい、速射性といい、ずば抜けていたので日本でも人気が高かった。
 日本にフォト・ルポルタージュの思想を持ち込んだ名取洋之助が、日本工房を設立したとき、そのメンバーだった木村伊兵衛が、ライカによって写した文化人のポートレートを文芸家写真展覧会として東京銀座の紀伊国屋書店2階で開き、その活写ぶりが大評判になった。
 また日本におけるライカの輸入元であった株式会社シュミットでは、その担当者であった井上鐘(あつむ)が、ライカ使いの名手と言われたパール・ヴォルフの作品集「ライカ写真」「ライカ傑作写真集」「ライカ写真の完成」の3部作を番町書房から出版(1941〜1942年、いずれも定価8円)ライカの普及に努めている。これらの写真集は右ページに大きく作品、左ページに細かい注意とねらい、データが詳細に掲載されている。いわばこれらの本によって、ライカの使い方をマスターできるように工夫されているのである。
 ところが古い方ならよくご存知の真継不二夫が著した「海軍兵学校」(1943年、定価7円50銭)を見る機会が、つい最近あった。この写真集の写真解説を見ると、なんとライカDIII、DIIIaの2台、そしてレンズはエルマー35ミリ、50ミリ、90ミリ、ヘクトール135ミリとライカの交換レンズを駆使しての作画である。各ページの作品は絞りから露出、フィルターの使用の有無、フラッシュの使用、使用フィルムと現像時間まで解説されているのである。そして出版社はもちろん番町書房、そういえば本のクロスも、パール・ヴォルフの写真集と同じイメージなので、当時の第二次世界大戦で物資の乏しい日本ではの感が改めて伝わってきた。あの写真どころではない時代のなかで、ライカの模範作例でありながら、内容は真継不二夫の代表的な作品として国策にあったものになっているのには一驚した。
 ※カットは真継不二夫の「海軍兵学校」です。