フォトルポ

北欧フォト紀行4

トナカイの死

中野 正貴



 昨年(1995年)8月のある日、フィンランド・ラップランドのイナリへ向かう途中、鈍い音と共にバスが急停車した。すると、乗り合わせていた地元の学生たちが一目散にバスの外へ飛び出して行った。しばらくして、彼らが窓越しに何やら興奮した様子で手招いているのに気づいた。あとについていくと、そこには1頭の若いトナカイが横たわっていた。我々の乗っていたバスに激突した勢いで、反対車線の道路脇まで飛ばされてしまったのだ。生まれて初めて見るそのトナカイはすでに仮死状態にあった。それは想像していたよりも痩せていて、弱々しく見えた。
 もっとも、トナカイにとっては夏こそが最も辛く厳しい季節なのである。極北の自然の中で生きる彼らは本来、冬を生き抜くために生まれてきたような動物であるからだ。ところが、すでに北極圏内にあるラップランド北部のツンドラ地帯といえども、真夏には時折気温が20度近くまで上昇することがある。冬のための頑丈な毛皮を纏ったトナカイが、食欲を失いバテぎみの状態になるのも無理はない。さらにこれに加え、気温の上昇によるツンドラ蚊の発生にも悩まされるはめになる。そこで、トナカイは夏が近づくと、高温、ツンドラ蚊の猛威を避け、海風の吹く北極海海岸へ北上したり、風通しのよい高原地帯へ移動したりする。
 ラップランドの大原野を疾走する郵便バスの旅では、こうしたトナカイの群れに出くわすことが多い。よって今回のような事故が起こることも珍しくないらしい。ひいてしまったトナカイを持ち帰ることは許されず、その場に放置しておかなければならない。さらに、役所への報告も義務づけられている。
 学生の1人、ヒゲ面のマルコスが取り出したナイフによって、若いトナカイの喉はかき切られた。こうして安楽死させるのだと彼は誇らしげに繰り返し語った。そして、トナカイはキラキラ光る苔の厚い絨毯の上で穏やかな死を迎えた。