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 ipm.jモノガタリ その3(全3回)


あきらけい
(ipm.j主宰者)

NTTドコモがipm.jを支えていた

 リニューアルipm.jの企画として、インタラクティブフォトリポートを計画していた。
 そんなある日、アウトドア雑誌の記事が目に付いた。
「NTT移動通信網株式会社が衛星携帯電話サービスを開始」
 すぐに電話をかけた。
 富士山からフォトリポートを配信したいので貸して下さい。
 あっさり断られた。購入が前提でなければ貸してはもらえない。50万円もした。買えるわけがない。私は当時、アステルのPHSしか持っていなかった。
 ところが翌日、ドコモの方から電話がかかってきた。
「貸すのはいいですが、条件があります。富士山に、ネット中継用の無人カメラを取り付けてきて下さい」
 以来、NTTドコモとは3年以上仕事をし、インターネット生中継番組を百数十本作ることとなった。
 その売上が、後に、本物のギャラリーである「agoo gallery」を新宿御苑に開設する資金にもなったし、資金援助無き後のipm.jを支えていた。
 ipm.jを支えていたのは、それだけではない。
 富士フイルムは、2004年末まで、毎月アクトプラネットへ仕事を出すことによる支援を続けた。

 1996年は、インターネットフォトコンペティションという大きなイベントも企画した。
 企業をはじめ、多くの方々の支援をいただき、今でも本当に感謝している。
 いったい、それが何で、どんな意味があるのか、当時はなかなか理解してもらえなかった。
 ipm.jは、転機を迎える。
 営業やイベントを通じて親しくさせていただいた出版社のインプレス内に、引っ越すことになった。
 翌1997年春、OCNエコノミーというサービスが始まるまで、ipm.jはインプレス内に置かれた。

OCNエコノミーの衝撃

 1997年の春頃だったと思う。
 NTTの128K専用線サービス、OCNエコノミーが、新宿四谷局でも使えるようになった。
 それは、衝撃的な出来事だった。
 月額38,000円で専用線がやってくる。しかも、固定IP8個付きで。
 すぐに申し込んだ。
 新宿の事務所は、NTT四谷局から200mくらいしか離れていなかった。
 うちにきた担当者は、エリア内で2件目の契約だと言っていた。
 正直な方で、最初から「私はさっぱりわかりません」、と白状していた。「勉強させて下さい」、とのことだった。
 結局、ルーターの設定(98,000円で、今のようにブラウザから設定、なんてことは不可能)や、OCN金沢との連絡等、全部私がやった。
 サーバーは中古のiMacを使った。当初はWeb共有、後に、OS X serverを入れた。
 アクトプラネットはapnドメインを取得し、ipm.jは、その下へ引っ越した。
 当時、私はISDNの64K接続だったので、専用線128Kの早さは衝撃的だった。
 経費は安くなかったが、NTTドコモが殺人的スケジュールで仕事を依頼していただけていたお陰で賄えていた。

終息に向けて

 ちょと寂しい書き方かな。
 1997年のインターネットフォトコンペティションを終えると、正直、熱は冷めて行った。
 NTTドコモと続けているネット生中継が面白かった、というのもある。
 1997には、写真とメディアというイベントも企画したが、プロテュースしておきながら、何か違うかも、という思いがわいた。
 しっくりこない谷編集長との契約も解消した。
 それでも、1998年には、本物のギャラリーをオープンさせた。
 直後に、私が椎間板ヘルニアの手術で入院。
 色々あって、あっさりと4ヶ月、10人の作家を紹介して、リアルギャラリーは閉館。
 これで、蓄えは尽きましたね。
 そうそう、OCNエコノミーは、それよりやや安いODNのサービスがはじまった時に、変更していた。
 連載の終わった「映像のオントロギー」が出版されたが、これについて、ipm.jとは何の契約もないため、金銭的やりとりは一切なかった。(ipm.jの各連載には原稿料が払われていた時期もあった。2年間くらいだろうか)
 その何年後かは忘れたが、so-netがADSLサービスを開始する際に、専用線は解約。
 apnドメインは、ホスティングサービスを利用して、外に出した。
 さらに何年かして、so-netは、ヤフーBBに替えた。
 ipm.jを誰か引き継いでくれないかなぁ、といい続けてはやン年、といった感じだ。

独自ドメイン取得とその後

 2002年の10月だったと思うが、容量が足りなくなったのを気に、ipmドメインを取得し、apnドメイン下から、ipm.jを独立させた。
 2003年10に、アクトプラネットの新宿事務所は板橋区の成増へ引っ越した。
 それ以前(2003年4月に住所変更)に、私が新島へ移住してしまっており、写真家との関わりが少なくなってしまっている。
 今後、ipm.jはどのようにしていくのが良いのか、アイディアは全く浮かばないが、細々と続けて行くつもりではいる。
 やめるのは簡単なのだから。

(了)

年表(というか覚書)
1995年6月1日 Team66としてリムネット内にWebSite公開。数ヶ月でInternet Photo Magazone Japanと改称。
1996年3月 立ち退きにより、拠点を杉並区松ノ木から新宿5丁目に移す
1996年4月 有限会社アクトプラネット設立
1996年6月 元アサヒカメラ編集長の谷博氏を編集長に迎える。
連載を多く持ち、原稿料を支払うようになる。(2年後まで)
アクトプラネットはNTTドコモとの取引を始める。
Internet Photo Competition 1996開催。入賞作品は5月31日より6月6日まで富士フォトサロン東京にて展示。(富士フイルム、三浦印刷、インターネットマガジン、ネットランチ、アクトプラネットが協賛)
1996年夏 リムネットから、インプレスサーバー内へ引越し
1997年春 イベント「写真とメディア」開催。4月19日に、銀座でパネルディスカッションを開催。
1997年 Internet Photo Competition 1997開催。入賞作品は5月30日より6月5日まで富士フォトサロン東京にて展示。(富士フイルム、三浦印刷、インターネットマガジン、アクトプラネットが協賛)
1997年秋 OCNエコノミーサービス開始に伴い、アクトプラネットは独自ドメインを取得しサーバー運用を開始。ipm.jもその下へ入る。
1998年 OCNエコノミーからODNエンタープライズへ変更
1998年4月10日 新宿御苑に「agoo gallery」開館
1998年5月26日〜6月30日 椎間板ヘルニア手術のため入院
1998年7月30日 「agoo gallery」閉館
2000年頃? 独自サーバーを廃止し、ホスティングサービス内へ移す。
2002年10月 独自ドメインipm.jpを取得し、apnドメインから離れる
2005年6月 10周年を迎える