フォトエッセイ

聖 地 巡 礼

山形晴美


第5回 浅間山に抱かれて

 Nちゃんの母親は癌で死んだ。二年後、妻の後を追うようにして父親が脳出血で亡くなりNちゃんはひとりになった。父母の死去に伴い、父方の長兄である伯父が家庭裁判所へ後見人の申請を行ない本人の後見を行なってきたが、彼女が成人に達した為養育の義務はなくなった。しかし、伯父夫婦は本人の状況を鑑みて身の回りの面倒をみ、資産の管理を行なっている。彼女は重度の障害を持ち、施設のべッドの上に在る。
 十月の秋晴れのある日、群馬県倉賀野にある伯父夫婦の家を施設の職員に付き添われ訪れるということを聞き、同行させてもらうことになった。倉賀野は高崎のひとつ手前の駅で普通列車しか止まらない。そのためか、静かでのんびりとしたのどかな町だった。人気の無い駅を出ると、陽射しがまぶしかった。一カ月前に、ひと月過ごした山を下りたばかりの私は何か懐かしい気持ちになった。陽射しも風の匂いも時間の流れも都会とはまったく違う。そしてなによりも音がない。
 高齢になった伯父さんが、Nちゃんの仕草を愛しげに見つめていた。本人は分かっているのか分からないでいるのか、手をさかんに動かしながら自分の世界の中にいる。お父さん似だという顔はよく見ると、この伯父さんにもよく似ていた。「この娘が一族の苦しみを全部引き受けてくれたのだから大切にしなくてはいけないわね。と主人といつも話しているんですよ」と、寡黙な伯父さんに変わって伯母さんが言う。Nちゃんの昼御飯を作っている伯母さんの後ろ姿を見ながら、同じ状況の中で、こんなことが言え、こんな風に愛情を注ぐことが出来るだろうか、とふと思った。伯父さん伯母さんをそう思わせ、私をもそう思わせているのはNちゃんである。成人した障害者をもつ家族の多くは「この子たちがいろいろなことを教えてくれる」と言う。
 Nちゃんを介して幸福な気分になれた一日だった。
 窓からは、浅間山のすっきりとした美しい姿が見えた。