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 アジア映画の基本 3  石坂健治

 9月はアジアフォーカス福岡映画祭−釜山国際映画祭−東京国際映画祭と映画祭のハシゴをしているうちに終わろうとしている。その福岡にインド映画か1本出品されていた。マニー・ラトナム監督『ボンペイ』(写真)という娯楽映画で、歌と踊りの140分なのだが、面白かったのは、ヒンズー教の男とイスラム教の女の宗教を越えた恋愛に、両家の確執が絡んだりする点。このテーマが前半では二人の父親同士言い争いなどを中心に家庭内でコミカルに展開されるのだが、後半に入るや否や、現実にボンペイで起こった宗教対立と暴動が描かれる。ところが、ここか微妙なのだが、そうした暴動の描写たるや、実に“エンターテインメント”しているのである。火の海の地獄が広がり、家族が散り散りになってしまう箇所が、クレーン撮影を多用した流麗なキャメラワークとリズミカルなカットの短い連鎖によって見事に構築されている。どうしたって、暴動の何たるかを杜会派的に検証しているようには見えず、こうしたシビアな場面できえ、撮ることの快楽の方がひしひしと圧倒的に伝わってくるのである。マジメはエンターテインメントに含まれ、その一部となる。インド娯楽映画の奥義をひと言であらわせばそういうことになるだろう。
 さて、1993年の統計で812本の映画を生産しているインドは多言語国家である。従って全国に流通する「インド映画」というのは存在せず、各地方ごとのコトバを使った様々な映画の集積か812本というわけなのだ(表を参照)。映画製作の三大中心地はボンベイ、マドラス、カルカッタだが、前2者がいわば量産の都なのに対し、カルカッタは質で勝負といった趣が強い。上に述べた映画『ボンベイ』もボンベイ産の娯楽映画だが、ここはインド全国に最も普及しているヒンディー語映画の中心地であり、インドのハリウッドという意味で「ボリウッド」と呼ばれている。美男美女のスターたちか銀幕に映え、悲劇的な場面の真っ只中でいきなりアクロバディックなミュージカル・シーンか始まる。歌声は専門の吹替え歌手(プレイバック・シンガー)が担当し、実は彼(彼女)らは俳優にもましてインドではスーパースターなのだ。街角のカセット店には封切り前の映画の挿入歌集が並び、それをおぼえてから映画館へ行く。言い換えれば、観客はおぼえた歌を画面と一緒に唱和するために映画館へ行くのだ。街中のいたるところでロケ撮影が行われ、人々は映画の主題歌を歌いながらデモ行進をする。映画館の中も外も思い切りハイ・テンションの世界。ボンベイに勝る映画の都は存在しないだろう。
 しかし天の邪鬼がいるのも世の常。こうした強力な地元の映画産業に背を向けて、ひとりこつこつとインディペンデントな製作を貫く映画作家もいる。ひところインド映画の代名詞のようだった故サナタジット・レイは、タゴールなど多くの文学者を輩出しているベンガル地方に生まれたが、地元カルカッタの映画界とは全く無縁のところからそのキャリアを出発させている。広告代理店に勤めながら、日曜日にキャメラを回して撮り上げたのが『大地のうた』で、これがヨーロッパで評判になって一気に「クロサワに次ぐアジアの巨匠」になってしまった。これなど、昨日までぴあフィルムフェスティバルめざしていたのが、一夜明サてカンヌやヴェネチに登場したようなものである。南インドのケーララ州も教育水準の高い州として知られ、『魔法使いのおじいさん』で有名な故アラヴィンダンや『ねずみとり』のアドゥール・ゴーパーラクリシュナンといった名匠たちは、やはりトリヴァンドラムの映画産業とは一線を画したインディペンデント作家である。かれらの映画に共通するのは、歌や踊りの娯楽の要素を取り除いて、映画の骨格(研ぎ澄ました映像とわずかな音)だけで勝負しようとする志だ。体制が強いところに生まれる反体制はこれまた筋金入りなのである。

インド映画の主な内訳
映画の種類製作の拠点都市1993年の製作本数
ヒンディー語映画
タミル語映画
テルグー語映画
マラヤーラム映画
ベンガル語映画
(その他)
ボンベイ
マドラス
ハイデラバード
トリヴァンドラム
カルカッタ

183
168
148
71
57
(185)