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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

失敗の話つづき スプーンを撮る
 新聞社の出版写真部に入って3年ほど経っていた。3年も同じことをやっているわけだから、だれでも自信がついて、どんな仕事でもOK、矢でも鉄砲でもみたいな気持ちになってくる。

 今考えると無茶な話だが休みがなかった。写真が面白くて休むことなど考えなかった。仕事はいくらでもあったし、休みの日も会社に行って仕事があれば引き受けるし、何もないときは自分でほうぼうに写真を撮りに行っていた。

 小さいときから一緒に遊んでいた従兄弟がいた。年は一つ上で仲が良かった。この従兄弟が写真を撮影してくれないかと言ってきた。従兄弟は大学を卒業して外資系の銀行に入社したが、やめて貿易関係の会社をつくって仕事をはじめていた。

 この会社が輸出で扱う商品の見本写真を撮って欲しいと言うことである。商品というのはスプーン、ナイフ、ホークなどの洋食器だ。新潟県燕市の金属洋食器である。聞いてみるとほかに依頼して撮影してもらったが、どうも写真が気に入らない。

 海外の洋食器のカタログや見本写真に比べて著しく見劣りがしてしまう。これでは見本写真にならない。いろいろあたってみたが引き受けてくれるところがない。で、相談だがやってみてくれないだろうかと言うことだった。

 撮ってもらったという写真を見せてもらった。ライテングが悪い。ギラギラ光りすぎてスプーン、ナイフの質感が出ていない。しかもパースペクテーブがつきすぎていて、いかにも下手な写真であった。これはライテングを少し工夫し大型カメラでアオリをつかって撮ればどうと言うことはないだろうと思った。

 忙しい時だったが、この従兄弟に頼まれては断ることは出来ない。スプーンを撮るなど簡単なこと、社から帰った夜の時間に撮りましょうと引き受けた。カラー写真ではないモノクロ撮影である。

 自宅で撮ることにした。父の仕事であるいけばなのため、制作された作品を撮る機会が多く、タングステンのライト(写真電球)とバック用の紙や布幕などがスタジオがわりの部屋に用意してあった。

 仕事ではないので、写真部のカメラを使うわけにはいかない。カメラの修理点検で常駐のように写真部に出入りしている業者に頼んで、アオリの効く4×5の大型カメラを借りた。このカメラの名前はどうしても思い出せない。

 ジナーやリンホフなどはまだ誰も使っていなかったし。広告写真という分野もまだしっかりとはしていなかった時代である。商品撮影のためアオリの効くカメラというと、ほとんどの人が木製の組み立てカメラを使っていた。このとき使ったカメラは金属製であった。

 日を決めて、夜になって撮影をはじめた。従兄弟もやってきた。多分こんなことで大丈夫だろうということでライトにトレぺ(トレーシングペーパー)を掛け光線を和らげて照明をした。

 大型カメラをセットしてピントグラス(フォーカスボード)でのぞき。露出を測り、さて撮ろうと思って、もう一度ルーペでのぞいてみると並べたスプーンの皿の部分にカメラが映っているのに気がついた。

 丹念に見るとカメラだけでなく三脚からライト、部屋のなかまでスプーンのへこんだ曲面にしっかりと映っている。これにはあわてた。改めて考えてみるとスプーンなど、いままで撮ったことがなかった。

 スプーンの撮影など簡単なものと思っていたがとんでもない。鏡のように磨き上げられた凹面には広角レンズで写したようにカメラから撮影者、そして部屋のなかのすみずみまでしっかりと映りこんでいる。

 一枚も写真を撮らずに考え込んでしまった。撮影をはじめないのを見て、従兄弟はどうしたのかと尋ねる。大きな紙を持ってきてスプーンの周囲を囲ってみる。しかし凹面の周囲は白紙で覆われた部分だけきれいに映るが、真ん中の大きな部分がぽっかりと天井を空けカメラがのぞいている。

 何時間がたちわかってきたことは、全面をすっかり覆わなければ、駄目だということだった。家にあった背景用の白い布をレンズの部分だけ空けて、すっぽりと覆った。この布の上からライテングをした。

 これをセットするのに5時間くらいかかった。レンズ部分の黒い穴がどうしても見えるが、これは修整でなんとかなるだろう。これで撮ろうということで撮影した。朝、7時になって一段落し従兄弟は帰った。

 その日、仕事を終わってから、社の暗室で現像をした。フィルムの現像を終わり、気になるものだから引き伸ばしの暗室に入りとりあえず1枚伸ばしてみた。

 どうも気に入らない。黒いレンズの穴があいているのは、フィルムを修整することで何とかなるだろうが、写真に写った白い布のシワが気になってしまう。撮影したフィルムから何枚か引き伸ばししてみたが、いずれも合格点はとれない。

 他人様の撮った写真を、下手な写真と笑っていたがこれでは逆に笑われてしまう。深夜に従兄弟に電話をして申し分けないがもう1回撮りたいと、結果を話した。

 撮影するまでに、随分と苦労しているのを見ているから従兄弟は文句を言わなかった。しかし、どんな撮影でも簡単よ、まかしといてみたいなことを言っていたから恥ずかしかった。恥ずかしかっただけではない。

 大した経験も積んでいないのに、増長して、気分だけは何でも来いというおごった気分をたしなめられたわけだ。

 次に撮影するまでに、入念に準備をした。白い布も売り出されたばかりの合成繊維でシワのよらないものを買ってきた。これをタワミがつかないようにし、レンズのほうに漏斗上に絞って全体を覆う天幕型のものを作った。これでテストをして、これなら大丈夫と言うことで改めて洋食器を撮影した。

 この恥ずかしい経験はすぐ役にたった。しばらくしてカラーで純金製品を撮影する仕事があった。『カラーで黄金色を出すのは難しいですよ』と、純金製品を作っているメーカーの人に言われたが、このときはこの仕掛けを使って、金のもつ柔らかい輝きがよく出たと感心された。

 それから10年ほど経ってカメラ用品ショーを見に行ったら、スプーンなど磨き上げられたものを撮影するために、私が作った撮影用白布テントと同じアイデアで作られた装置やプラスチック製の箱形の装置などが展示されていた。

 今ならこんな苦労はしないだろう。コンピュータ上で簡単に修整ができることだ。

写真(1)スプーンをデジタルカメラで撮影する。超接写になるものだからレンズはスプーンから20センチ。スプーンの凹面にはカメラが大きく、そして周辺も映りこんでしまう。
写真(2)レンズの部分だけ穴を開けた白紙を漏斗状にして撮影、穴の部分はPCで修整した。