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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

マクロ(拡大)撮影・接写
 昭和29年(1954年)朝日の出版写真部に入った。そのころ朝日新聞出版局から出ていた定期の刊行物でカラー写真を印刷しているものは少なかった。入社してまもなく月刊の科学朝日(サイエンス雑誌)が1ページだがカラーグラビアページをはじめた。

 入社して半年くらい経ったころだと思うが、このカラーページの撮影をやらされた。しかも、この撮影が接写撮影であった。それまでマクロ撮影(接写撮影)はほとんどやったことがなかった。

 写真部の先輩の一人に接写を得意とするMさんという人がいた。Mさんは撮影のためのメカを作るのが得意で、作られた道具には特異なものがあった。こつこつと接写用の道具を作られたり、深夜まで写真部で接写撮影をしているのを見る機会があった。

 接写撮影に興味を持っていたから、接写の方法についてはまったく知らないと言うことではなかった。見よう見まねで、こうすればいいのだろうくらいのことはわかっているつもりだった。

 このときのマクロ撮影で何を撮ったかどうしても思い出せないのだが、精密機械の部分のようなもので、生き物つまり動植物のように動くものではなかった。どんな機材をもっていったらよいのか、Mさんに聞いた。

 そのときはライカにミラーボックスをつけ蛇腹を延長して撮った記憶がある。接写と言ってもせいぜい1倍から2倍程度の接写であったと思う。Mさんはこのミラーボックスで大丈夫だろう思うと言った。しかし自分はモノクロでは撮影しているが、カラー撮影はあんまりやったことはないから、正確なデータはない。テスト撮影は十分やってみたほうが良いと言われたと。

 撮影は翌日である。その日は徹夜でテストをした。このごろ自分でリバーサル・カラーフィルムの現像をする写真家はほとんどいないだろう。しかし当時は自分で現像液をつくり調整し自分で現像をしなければいけなかった。

 テスト撮影をやっては、カラー暗室に入って現像をやる。テスト撮影は始めはタングステンのライト使って撮って見た。しかしこれでは単純に露出倍数を計算してみても、超スローシャッターになってしまいブレてしまう。

 これに気がついて、タングステンランプに替えてフラッシュバルブで撮影をやってみた。ところが、これが上手くいかない。露出が安定しないのだ。フラッシュバルブと言うのは厳密には1個ずつ発光の状況が違っている。モノクロ写真の場合はかなり大まかな露出でもフィルムの寛容度と、引き伸ばし焼き付けで多少の露出不足、あるいはオーバーでもカバーできる。

 しかしカラーフィルムはラチチュード(寛容度)が狭いから、フラッシュバルブの発光のわずかな違いもそのまま画面に出てしまう。さらに光源をフラッシュバルブにしたことで、対象物と光源との距離が少し変わっても露出は変わってしまう。

 接写だからベローズ(蛇腹)は思い切って伸びている。レンズに会わせて蛇腹が伸びると撮影倍率が異なってくる。それにともなって露出倍数が変わってくる。今使っているニコン用のベローズには、レンズによって撮影倍率対象表がついているから、一応の計算は出来る。

 そのときはMさんが、だいたいこんな感じで露出を決めれば良いといって撮影倍率の数字を教えてくれたが、これで露出をしてもまったく合致しない。これはいろいろなことが重なっているからだ。

 わずかに蛇腹が伸びる、あるいは縮むだけで、露出は大きく変わる。仕方がないから距離、拡大撮影の度合いを一定にしておいて絞りを変えてテスト撮影をしてみるより方法がなかった。露出を変えて撮るたびにメモを取って現像をしてみて確かめるよりしようがない。

 テストを夕方からはじめて明け方まで3回か4回カラー現像をやった。最後のテスト現像が上がった時にはとっくにが夜は明けていて撮影に出かける時間になっていた。

 撮影のために研究所のようなところに行った。撮る対象物はテストのとき考えていたより、小さかった。カメラをセットして撮り始めて見たが対象がちいさくなったことで露出に全く自信がない。仕方がないから恥ずかしかったが1カット一場面で1枚撮るごとに半絞りずつ絞り数値を変えて撮影をした。

 そのたびにフラッシュを発光する。研究所の人が随分無駄なことをするんですねーと言うが、露出に自信がないからこんな撮り方をしているのですとも言えない。仕方がないから、カラーフィルムが特殊なものですから、露出のわずかな変化で色の出方が、大幅に変化してしまうのでみたいな言い訳を言った。

 フラッシュバルブを大きなケースで2箱持っていって、その全部200発使った。35ミリカラーフィルム36枚撮り5本の撮影である。冷や汗ものの撮影であった。撮影を終わり社に帰って現像をした。仕上がったフィルムを見ると、適正露出と思われるものは1本のフィルムに2、3枚ずつしかないという情けなさであった。

 本当に恥ずかしかった。出来上がった写真を出稿した。大束元さんがデスクであった。この結末を一部始終報告したら、なんでもいいよ写っていて結果がよければいいじゃーないかと慰めてくれた。しかしそんな撮り方では商売にはならないなと言われた。

 これが私のはじめての接写撮影(マクロ撮影)のまことに恥ずかしい顛末である。露出計のない時代であったが、こんなに露出に自信がなかった撮影はなかった。科学朝日カラーグラビア・ページには写っていた写真全部が使われていた。

 いまはマクロ撮影は易しい。一眼レフカメラで、撮ろうと思えば全部オートで撮影できるのだ。どんなに相手に近づいて接写をしようが、フィルム面にレンズから入ってくる光を測るのだから正確なものである。

 デジタルカメラなどは何も付属品を着けなくても超接写ができる。中級のデジタルカメラはほとんどの機種がレンズからの距離2センチくらいまでの接写が出来る。例を上げれば今テストで借りているSONYのサイバーショット・DSC−F707もそうだ。このカメラも2センチまでの接写が可能だ。2センチというと、100円硬貨を画面にほぼ一杯に写すことが出来る。

 だから写真学校でマクロ撮影の失敗など話しても、学生はなんでそんなことが起きるのかみたいな顔をしている。

写真(1)ニコンにベローズ(蛇腹)をつけてのマクロ撮影は、1955年ごろから、1980年代までつかった。

写真(2)ソニー・サイバーショットF−707で撮影した100円硬貨レンズ前面から2センチの接写ができる。