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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

ストロボ
 小型カメラにストロボ(エレクトリックフラッシュ)を使いはじめたのはいつころだったろう。ニコンFの発売より2年くらい前、昭和33年ころだったように思う。記憶がはっきりしないのだが昭和34年、60年安保で世情騒然のとき、たびたび大規模な国会デモが行われた。11月27日、デモ隊の国会構内突入があって東大生、樺美智子さんが死んだ。あの夜、取材で小型ストロボを持っていった記憶があるのだ。雨のせいだったかデモ鎮圧の放水車の水のためだったか忘れたが、ストロボがぬれてしまって発光せず、あわてて小型の折り畳み式のフラッシュガンをつかった記憶がある。あのときのストロボはキャノン製であった。

 ストロボと言うのが一般的になっているが、これは商品名である。かっては原稿でストロボと書いても編集部の校正で、スピードライトあるいはエレクトリックフラッシュとわざわざ訂正してくれたが、このごろはあまりうるさく言わなくなったようだ。
 正確にはアメリカ・ストロボリサーチ社のエレクトリックフラッシュの商品名がストロボなのだが、これが通り名になってしまった。カメラメーカーは特許や商標権の問題があるからストロボという呼び方はしていない。カタログを見るとニコン、キャノンはスピードライトと書いてあるしミノルタ、オリンパスはフラッシュだ。

 私が朝日に入社したとき(昭和29年・1954年)、新聞の写真部にはストロボリサーチ社のストロボスコープがすでにあった。大きな発光器と巨大な電池部分があって、これをスピグラにつけてつかった。電池はショルダー・ベルトがついていて肩にかけて使うのだがかなり重かった。この最新型フラッシュであるストロボは、だれもあまりすすんで使おうとはしなかった。光量がフラッシュバルブに比べて少なかったし不安定だったこと、フラッシュガンにくらべて電池部分だけ余分で重かったことも理由だと思う。電源には乾電池ではなく液体の蓄電池をつかっていた。

 国産ストロボの黎明期に写真界にいたのに、最初のころ、ストロボがつかわれはじめたころの事情がよく分からない。昭和30年に発行された伴俊彦「新聞の写真」(同文館・刊)にストロボのことが書いてある。伴さんはすでに故人だが私が朝日出版写真部に入ったとき部長であった。しばらくしてアサヒカメラ編集長になった。

 伴さんは「当時アメリカの新聞社(報道関係)では80%位ストロボに切り替わっていた。日本でもだんだんにきりかえられる傾向にある。毎日新聞社で試算してみたら、従来のフラッシュバルブを1個37円として1人1日あたり12個使用したとすると、1ヶ月に1万3千2百円かかる。ストロボ1台3万円だがフラッシュバルブ代の約2ヶ月分で原価消却ができ、バッテリー1個5千円で2ヶ月使用すると1ヶ月2千5百円の費用としても、バルブの約5分の1の経費ですむ。バッテリーとストロボ本体、カメラを接続するコードが長く故障を起こしやすいなど不便さはあるが、カメラに直接取り付けられるようにでもなれば、閃光電球にとってかわり、ストロボ時代がくることは確実である」

 と書いている。たしかにそれから数年後、新聞社ではストロボにきりかわっていった。フラッシュバルブ1個37円というのは記憶になかったが、当時のほかの物価にくらべてたしかに高い。ストロボの3万円は大學出初任給の3ヶ月分である。考えてみるとアマチュア時代、物好きで小型のフラッシュガンを買って持っていたがバルブが高くてほとんどつかったことがなかった。フラッシュを使用しての撮影など全部、朝日に入社してから練習したものだ。社に入ってからはバルブ一発の値段がいくらするかなど気にして撮影したことなどなかった。

 最近はフラッシュバルブを使用することはほとんどないが、新聞社で使っていたのと同じ光量のものが、いまで売っている。1個120円だそうだ。100円程度だとそれほど気にならない値段だが、当時の37円は現在の物価に直すと500円くらいの感じではなかったかと思う。

 写真を撮っていた私たちは雑誌作りのうえで、1枚の写真に経費がいくらかかろうが関係のないことで、ただひたすらいい写真をいかに撮るかだけを考えていた。しかし部を管理している立場からすると予算があって、いかに経費を節約するかも大事な問題であったにちがいない。消耗品であるフラッシュバルブはフイルムや印画紙代と同じくらい写真コストに直接関係するから、これが節約できたらと考えるのはあたりまえのことだ。
 私が入社したころから国産ストロボの試作品は写真部に持ち込まれていた。何とか使えるものができれば、これでフラッシュバルブの代わりにしようとするのは当然のことであった。

 そういうことでキャノン製の小型ストロボが部員に1台づつわたされた。この時期がはっきりしない。はっきりしているのはこれでフラッシュバルブの使用が全部なくなったのではなくて、ちょっと使ってみてくれぐらいの感じだった。
 ストロボ使用には反対意見もあって、クセノンガスを封入した放電管による発光は赤い色を発色しないからカラー撮影にはむかない。だからストロボをつかってカラーの撮影はするなと言う人もいた。たしかにカラー撮影をやってみると青っぽい色彩で、初期のストロボはカラー撮影にはつかえなかった。

 キャノン製ストロボは発光器は小さく軽かったが、電源部の電池のケースは薄型で持ち運びのしやすい形であるが、かなり重かった。現在、手元に現物はないし、当時のストロボがどんなものだったかわかる写真もない。デザインは良かった。しかし今のストロボのように光量の調節はできなかったし、コンピューターが組み込まれた現在のオートーストロボなどは夢のようなことで想像も出来なかった。

 しかし現在は、便利すぎるものだからストロボを工夫してライテングをどうこうしようなどとは考えなくなってしまった。カメラの説明書やストロボの使用説明書に書いてあるとおりお仕着せのプログラム露出をするだけで、まあー写っているからこれでいいだろうということになるのかも知れない。しかしカメラに取り付けたストロボのダイレクト発光でいい写真など写るはずがない。

 毎月、アマチュア写真家たちのいくつかの月例会で指導をしているが、ハイアマチュアといわれる写真上手の人たちも、ストロボの使い方に関しては本当に下手だ。使用説明書に書いてある以上のことをやってはいけないと思いいこんでいるところがあるようだ。もっともアマチュア写真家は写らないものは、無理に写す必要が無いからかもしれない。