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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

ポラロイド
 2月の下旬、ポラロイドがインスタントフィルムの生産を今年夏で終了するとニュースが流れた。たしか2年ほど前に生産中止のニュースが流れたはずなのに思って確かめてみると、2年前の報道はインスタントカメラの販売中止のニュースであった。

 IT関連ニュースは
「ポラロイドがアメリカ国内とオランダ、メキシコの工場を閉鎖してインスタントカメラ用フィルムの生産から撤退する」
「ポラロイド、インスタントフィルムの生産終了 ISO 600相当の「600高感度レギュラーフィルム」も今夏に生産を終了」
「日本ポラロイドはインスタントフィルムの生産を2008年夏までに終了すると発表した。カメラのデジタル化が進み、フィルム需要が減少したため終了を決めた」
と言うものだった。

 ポラロイドが全部無くなってしまうと聞くと、仕事でお世話になったものにとっては感慨深いものがある。インスタントカメラが写真の中心になったことはないけれど、写真家、アマチュア写真家を含めて実際に使った経験のある人はかなり多いと思う。アマチュア写真家の場合は仕事と言うよりは遊びで試したことのある人が多い。

 しかしプロの写真家で、インスタントカメラを使用しなくても大型カメラを使用するときやスタジオで人物を撮ったり、広告写真を撮影していた人はある時期ポラロイドフィルムを使用してテスト写真撮影に使った経験があるはずだ。

 筆者の場合はストロボ(スピードライト)光源でリンホフやジナーなど大型カメラを使うとき、光線のあたりを確かめる(影の出具合)のと、露出を計るために4×5のポラホルダーにポラロイドフィルムを詰めてテスト撮影をした。大型ストロボはガイド用のランプがついていたが、明るさが暗くどうにも頼りなくて、ポラロイドフィルムでテスト撮影を何回かやってみて光源のライトを動かす方法がとられた。

 出版写真部の部長を辞めたのち、数年間、考古学関連の写真を撮っていたことがある、発掘現場での写真も多かったが、博物館、研究所での発掘物の撮影もかなりあった。大型4×5カメラを持って行けば良いのだが、発掘現場で発掘物を撮ることがあったり、発掘場所から博物館に直接行かなければいけないことが多く、東京周辺ならば車ででかければ良いが出張先では、大型カメラ一式を持ち歩くことは困難だった。

 そこで妥協して4×5カメラではなく、6×7サイズのカメラを使った。35ミリフィルムでは発掘物の質感がでなかったし精密描写に物足りなかった。小型ストロボライトを2個使用する節約ライテングでは光線の回りとライトの位置で出来る影の様子、発掘物の反射を知るためポラロイドフィルムのお世話になった。

 カメラは6×7版のブロニカGS-1を使った。カラーポジフィルムが入ったフィルムホルダーを外してポラロイドのホルダーを付けてテスト撮影をこころみた。20年以上前のことだ。考古学関係の取材は5年ほど続いた。この仕事が朝日新聞に在籍していたときの最後の取材だったから印象が強く取材した場所、撮影したもの、使用した機材のことなど鮮明に覚えている。

 この取材ではエクタクローム64の120フィルム(ブローニーフィルム)を使った。ポラロイドフィルムはポラカラー・インスタント・パックフィルム・88を使った。88は1パック8枚撮影できた。感度がたしかISO75という中途半端な数字だった。記憶に間違いなければ温度21度〜30度の常用気温で撮影し、それより気温が上がっても下がってもカメラの明暗コントロールを動かしすことと現像時間を加減する必要があった。

 フィルムのサイズは88の名称のとおり8センチ×8センチである。手元に残っているパックホルダーをあらためて見るとPolaroidとBRONICA-GSの両方のネームがしっかりと刻まれていてどちらが製造したホルダーか判別出来ない。このホルダーはGS-1を買ったとき写真部に出入りしていたブロニカサービスの人に、ポラを使いたいことを伝えたら、これを使ってみてくださいと言われて長期借用していて返すのを忘れてしまったものだ。

 大型ストロボ撮影ではスピードライト露出計とポラを使うのが当たり前になっていたから、写真学校でもスタジオでは大型カメラ撮影実習のときはポラロイドを使用することを教えていた。筆者はスタジオ撮影授業を担当したことはなかったが、スタジオの先生たちはストロボ撮影だけでなく、タングステン大型ライトを使用する授業でもポラロイドフィルムの使用をしていたと思う。学校では4×5カメラはトヨビューを使っていた。

 学生たちにポラフィルムを無制限に使わせていたわけではない。カラーの4×5フィルムよりは安かったが、結構な値段であったから使用枚数を制限していた。スタジオ内で撮影しているときは良かったが4×5のポラロイドはとくに寒いときは駄目だった。ローラーで現像薬をつぶして乳剤面に塗布するわけだが、温度がわずかに低いとこれがうまくいかなかった。

 ポラロイドのインスタントフィルムは主としてパックフィルムを使っていたが、インスタントカメラのほうは興味が無く使ってみようとは思ってもみなかったが、1970年代はじめに発売されたポラロイドカメラSX-70は発売後間もなく買った。

 理由は当時週刊グラフ誌のライフにSX-70カメラ発明者のエドウィン・ハーバード・ランド氏が子供たちに囲まれ、SX-70カメラを構えている写真が表紙を飾った。タイトルが「マジックカメラの天才」となっていて何ページも特集を組んでいるのを見て大変に興味を惹かれた。

 それからしばらくして、アサヒカメラ編集部に持ち込まれたSX-70を見て、その特異なデザインに、新しもの好きの好奇心が刺激されて衝動買いをした。と言っても品物がすぐ手に入ったわけでは無く予約したのだと思う。

 折りたたみ式のこのカメラはたたみ込むと薄く平らになるスマートなデザインも面白かった。それ以前のポラロイドカメラはボックス型でどう見ても玩具カメラであった。それと「アラジン」とか「アラジンの魔法の箱」などという大々的宣伝に興味を惹かれたのかも知れない。

 買ったSX-70を仕事に使うことは無かったが、ほうぼうに持ち歩いて、見せびらかしをやった。取材先に持って行って仕事のあとこれで撮影し出来上がった写真を見せると、大変意興味を持って、このカメラを買いたいという人がいて紹介してあげた。とんだセールスマンで10台くらいは販売に協力した記憶がある。

 初期のモデル、オリジナルタイプが出てからいくつかのモデルが出たが1975年になってタイムゼロ・SX-70AFが発売になった。音波によるオートフォーカスには興味を持って試してみたが買わなかった。

 ポラロイドフィルム製造中止のニュースを聞いて、SX-70をどこかに仕舞い込んだいたはずだと思って、物置を探したが見つからなかった。考えてみると、写真学校の授業のとき学生に見せようと思って学校に持って行ったことを思い出した。使ってみたいという学生がいて、つぎつぎと貸しているうちに所在不明になってしまったことを思い出した。

 ポラロイドカメラは発明者エドウィン・ハーバード・ランドが1947年、発明発表した「インスタント拡散転写法画像形成法と撮影器機 」から始まった。ランドは愛娘が「写した写真を何故すぐ見ることが出来ないのか」という疑問を聞いて作ったと言われている。

 SX-70以降これを超えるインスタントカメラはでなかった。