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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

木製カメラ
 新年1月5日新聞の製紙会社の合同広告のページに、木製カメラの長岡啓一郎さんの記事が大きく写真入りででていた。「東京上野で木製カメラを作り続けて50年になる。木材の選定や加工から金属の部品作り、組み立てまで一手に担い、中判・大判サイズのカメラをオーダーメードで育てている」という記事である。

 記事を見ると、木製カメラは軽量で折りたたみが簡単、しかもアオリ機能があるので風景写真や建築写真、山岳写真に適している。大判のフィルムを使うので精密な描写が可能である。パチャパチャ急いで写真を撮るのではなくて、三脚を立てカメラを取り付け蛇腹を伸ばしてレンズをつけピントや露出はすべてマニュアル。

 時間はかかるがゆったりと絵を描くように撮影するのが大型木製カメラの良さである。金属とプラスチック部分だけのカメラに比べて木の地肌に触れる感触の良さも、金属カメラでは味わうことの出来ない感覚である。

 長岡さんはカメラ部品の工場を経て、木製カメラ製作所に弟子入りする。客の希望を聞きながら規格品を改良する独自の姿勢を認められて24才のとき親方の後を継いで長岡製作所を設立、長岡さんは一人で全工程に関わるのが基本姿勢、今では一人の息子と一緒にひと月10 台から15台作るのがせいいっぱいだ。と書いてある。

 木製カメラを購入する客は、こだわりを持ったハイアマチュアだそうだ。永年愛用してきたレンズに合わせて作って欲しい。木目を生かした仕上げにして欲しい。重量250グラム以下のカメラを作ったくれなど特別の注文がくるそうだ。

 長岡さんは「好きではじめて楽しいから続けている仕事。お客さんに喜ばれることが、なによりうれしい。気にいって使ってくれる人がいるからには、細々とでも作り続けたい」と言っている。(朝日新聞1月5日朝刊)

 デジタル写真、デジタルカメラのシュトルムウントドラング(疾風怒濤)的発展の時代に、木製カメラがあったことをすっかり忘れていた。大判カメラについては、大判フィルムを使用する精密な質感描写の素晴らしさはいまだに小判デジタルカメラには及ばないところがあって、一目を置くのだが木製にまでは気がつかなかった。

 玉田勇さんの大判写真家協会のメンバーが毎年写真展を開いて盛会なのを見ているから、大判カメラの愛用者がたくさんいることは想像できるけれども。木製の大判カメラがいまだに売れていることは想像もしてみなかった。

 念のためにと思ってインターネットで検索してみると、現在も木製大判カメラを製造販売しているところは長岡製作所だけでなく、ほかにもたくさんあることを教えられる。タチハラ、ウィスタ、エボニー、ホースマン、ナガオカ などがそれぞれホームページを設け営業活動している。

 カメラ量販店の大判カメラ売り場には木製ウィスタ45が並んでいる。売り場の人に聞いてみると、ウィスタに限らず木製大判カメラの注文は時々あるそうだ。 一店では大判フィルムを使用できるカメラを尋ねて木製カメラの値段が意外に安いのを見て買うお客さんがときどきいらっしゃいますと言っていた。

 大判カメラを求める人は大判フィルムの微細で精密な質感描写とアオリが出来るカメラという理由でこれを買うことになるようだ。

 朝日新聞出版写真部に在籍していたとき、大判カメラも仕事の関係で当然必要であり使用した。以前に書いたスピグラ(スピードグラフィック)を一番多く使用したが、リンホフマスターテヒニカ4×5を使うことも多かった。アオリの必要から写真部の共用備品にスイス製のジナーPがあった。

 ジナーPは性能はビューカメラとして当時は最高のカメラであったが、1本パイプのビューカメラよりはフィールドタイプの大判カメラの方が筆者には使いやすかった。

 スピグラもグラフレックスも木製であったが、皮装であったから木の地肌が見えず、このカメラは木製と教えられ、重量が軽いことで木製であるとわかった。出版写真部には筆者が入社する以前から、六桜社(小西六)製の四つ切り判スタジオ用木製大型カメラがあって複写用に使われていたが、木製のカメラはほかに見あたらなかった。

 記憶に曖昧なところがあるのだが、いつ頃からか部員の間で大判木製カメラを買うことが流行ったことがある。なかにはアメリカ製のデアドルフ・カメラを現地から取り寄せて得意になっているものがいたりした。有名な職人LFディアドルフが廃業する前の話だ。これは筆者がいた写真部だけの話ではなく、日本の写真界全体で大型木製カメラが再認識され話題になり始めた時代だった。

 1980年以前のことだったと思う。同じ部員でカメラ収集家だったH君が木製カメラを買わないかと話をもちかけてきた。多分、彼自身がディアドルフに煽られて木製カメラを欲しくなり、いろいろ調べてこのカメラならと選択したのだろう。そのころからタチハラもナガオカもすでに有名だったが、カメラ雑誌のアンケートで木製カメラではハセミが使用者が一番多かったこと、凝り性のH君が方々聞き回った上で、ハセミカメラがベストと決めたようだった。

 正式名はハセミ・ウッド・テクニカルFT45だったが、ハセミだけで通用していた。H君の説明では木製のカメラはナガオカもタチハラも製品は同じように見えるが、ハセミが一番使いやすく丁寧に仕上がっていると言うことだった。H君の勧誘にのせられてハセミカメラを買うことになった。

 注文はH君まかせだった。ふた月くらい経って注文したカメラができあがったという通知があったとき、H君が出張不在でカメラを受け取りにはじめてハセミ(長谷川製作所?)まで出かけた。神田錦町商店街の裏通りの古いしもたやで、そこが工場兼営業所だった。神田のどこであったか今はまったく記憶が無い。4×5のカメラと一緒に注文した木製の4×5フィルム撮り枠と67用フィルムの移動焦点板枠を一緒に包んでもらって帰ってきた。

 そのときハセミの店主が材料のサクラ材(朱利桜と言ったと思う)を買い付けてから、乾燥と削りを繰り返して、ピアノと同じくらい年数をかけなければ、カメラを使っていて狂いが生じて来ると話してくれたのを覚えている。

 値段は10万円くらいであった。撮り枠が一枚3千円くらいだったと思う。買ってしばらくはうれしくて、ニコンの大判用150ミリレンズとフジノンの60ミリレンズを購入して、いろいろ試し撮影をした。アオリ機構が良くできていた。アオリと言っても筆者が使ったのはライズ&フォールが多く、ほかのアオリ機構はほとんど使わなかった。

 後になってハセミカメラが活躍したことがある。出版写真部の部長を辞めてしばらくしたころ、家人がいけばな作品の写真集を主婦の友社から出版することになり、1年間ほどいけばな写真を撮った。

 はじめ主婦の友社写真部のカメラマンが撮影することになり、家人は作品を作り始めたが、いけばなは生きている。花の姿の一番美しいところを撮ってもらうことが難しいことに気がつく。家の一室をスタジオにして撮影を始めたのだが、生けあがると時間を空けずに撮影しなければいけない。

 これでは花がまだ本当に生きていない。つまり水もあがらず、花も開いていないことが多くなる。観察をしてみると生けた翌日か翌々日の朝が撮影最適時になる。いけばなは瞬間芸術だと言う人がいる。いけばなの盛りは本当に短い時間だ。

 2回ほど撮影してもらったが、家人はできあがった写真が気に入らない。1日の撮影で花材を用意して4、5杯の花を生けるのだが、花のいい姿が写らない。そんなことがあって、多少暇が出来た筆者が撮影することを引き受けた。

 出版元では原稿写真の使用フィルムは4×5判のポジフィルムに限ると言ってきたので、ハセミカメラを使って撮影することにした。レンズはニコン150ミリ一本であった。ほぼ10ヶ月の間に約150点のいけばな写真を撮った。

 この仕事で木製大型カメラの使いやすさを実感した。金属製カメラに比べて華奢で、壊れやすいのではと心配したがそのおそれは全くなく、ねじの締め具合など微妙な感覚で、木製カメラの良さを味わうことが出来た。

写真説明
(1) ハセミ・ウッド・テクニカルFT45 レンズニコール150ミリ
(2) ハセミ4×5用木製フィルムホルダー(左) 6×7用移動焦点板兼フィルムホルダー取り付け枠