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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

スプリング・カメラ続き・イコンタ
 スプリング・カメラのSpringは春ではないと書いたら。スプリング・カメラは英語ではない。和製英語だとわざわざメールで知らせてくれた友人がいた。アメリカではスプリング・カメラという呼び方はない。あの手のカメラはほとんどフォールディング・カメラ(folding=折り畳み)と呼ばれているそうだ。

 写真機家の友人に聞いてみたら、ドイツのカメラ・カタログにはスプリング・カメラ(Spring kamera)と載っているから、欧米でもスプリング・カメラの呼び方は使われているそうである。はじめは日本製英語であったが日本でのスプリング・カメラの呼び方が欧米に伝わったのかも知れない。

 現在の日本ではスプリング・カメラに興味をもっている人はすくない。もちろん新製品が出るはずがないし、クラシックカメラ蒐集家の間でもスプリング・カメラの人気は低い。中古カメラ店の販売リストにはスプリング・カメラはほとんど載っていない。店頭ではかなりの数が並んでいるがあまり買う人はいないそうである。

 例外はドイツ製のイコンタだそうだ。スプリング・カメラに興味がない人でも、イコンタの名前を知っている人は多い。セミ・イコンタもそうだがスパー・シックスはもっと有名だし、スーパー・イコンタとなるとカメラの王様として記憶されている。

 写真機好き、蒐集家、クラシックカメラ狂、カメラ愛好家は私の周囲にもたくさんいるが、この人たちコレクションにスーパー・イコンタやスーパー・シックス、それにスーパー・セミ・イコンタを持っていると自慢する人がたくさんいる。

 スーパー・シックスはスーパー・イコンタSuper Ikontaの6シ6判である。スーパー・イコンタは戦前からいろいろな機種が出ていた。日本では6シ4.5cm判をスーパー・セミイコンタ、6シ6cm判をスーパー・シックスそして6シ9cm判を単にスーパー・イコンタと呼んでいる。

 そのなかで日本で一番人気が高かったのはスーパー・シックスだったと思う。筆者のスプリング・カメラ体験はバルダックスだけで、このカメラのほかにスプリング・カメラを使った経験はない。それでも一度だけスーパー・イコンタを買おうと思ったことがある。

 昭和30年代、仕事ででかけるとき、とくに地方へ出張するときにカラー撮影用に6×6判の二眼レフカメラをもち歩いていた。当時、出版写真部の先輩の一人が戦前のイコンタを持っていて、カラー取材に便利だ。折り畳んでしまうとかさばらず、重量は軽く、バックの中に収まってしまうと自慢をしていた。

 このイコンタは戦前のもの6×9判(ブローニー判)で距離計はついていないがレンズはスーパー・イコンタと同じテッサー105ミリF4.5がついていた。カメラを見せられても、なんとなく古めかしい姿であまり食指はうごかなかった。

 数年して大阪に転勤になったころ、大阪の朝日新聞写真部に常駐してカメラの面倒を見ていた修理屋さんが、戦後に発売されたスーパー・イコンタを持ってきた。預かり物で持ち主が2年ほど前に買ったものだが、新品価格の半額で売りますと言う。値段を正確に覚えていないのだが、多分定価が20万円で売値は10万円と言ったと思う。

 新スーパー・イコンタは重々しく、レンズもF3.5になって大きく、いかにも王様という感じだった。戦前のスーパー・イコンタはクラシックカメラのイメージがあったが、持ち込まれた新型(1953年発売)はデザインも新しく魅力的に見えた。これならカラー風景写真撮影にもってこいだ。6×9判ならフィルムサイズが大きいことを好む印刷の要望に充分以上応えられると考えた。

 突然、猛烈にこのカメラが欲しくなった。買おうと思って社内の信用組合に借金に行きかかったら、デスクのSさんがテスト撮影をしてみてから決めたらどうかと言ってくれた。そうだと思って、あわててカメラを借り、ブローニーフィルム3、4本写した。ブレてはいけないので三脚を使った。絞りも遠景の開放から全絞りをテスト、人物のアップ撮影も絞りを変えテストした。

 このスーパー・イコンタは6×9判6×4.5判兼用になっていた。テストは6×9判でやった。イコンタのテッサーは凄いよと聞かされていたのだが、現像のすんだフィルムをルーペで見ると意外にピントが甘かった。イコンタのツアイス・レンズ全部が悪かったのではなく、たまたまそのカメラのレンズだけが悪かったのかも知れない。このカメラにはオプトンテッサーが付いていた。

 後から考えてみると、これはスプリングが急激に起きて蛇腹を伸ばし、そのため蛇腹内のマイナス圧でフィルムが引っ張られて浮き上がってしまい、ピントがおかしくなったのか、もう一つの原因は落下などで外側に傷はついていないが、レンズのセンターが狂っていたのかも知れない。

 当時使っていた国産二眼レフカメラのレンズの鮮鋭度などと比べて見ると大分落ちる感じだった。テストフィルムを見ているうちに買いたいと思ったイコンタ熱が一気に冷めてしまった。数枚の写真を大きく引き伸ばしてみた。デスクのSさんや、ほかの部員たちもこれはよくないと言う。買うのをあきらめた。

 Sさんは冷静な人で、筆者をつかまえて新品カメラはテストをして買う人はいないし、悪ければメーカーが替えてくれからよい。しかし、どんなに目新しく、きれいでも中古カメラには飛びついてはいけません。買うときはテスト撮影をして悪かったら返金してもらう約束なしに買っては駄目です。とカメラを見て入れ込み、飛びついてしまった筆者に苦言してくれた。この大阪のSさんも先年亡くなった。いろいろ教えてくれたありがたい先輩だった。

 そんなことでスーパー・イコンタとのつながりそうだった縁は切れてしまった。ツアイス・イコンのカメラの種類と名称はややこしくて最近まで、正式な名称も知らなかったのだが、古い雑誌などをひっくり返して見て、やっと飲み込めてきた。

 わかりにくかった531、532の数字は530が初期型で、531は戦前型、532は戦後の製品である。この数字の/のつぎに数字がないのはセミ判、/の後に16と付くのが6×6判、/の後に2と付くのが6×9判である。

 筆者が買おうと思ったイコンタは532/2ということになる。古いカメラカタログを見ると、この数字の付け方がかなりいい加減で、戦前のスーパー・セミ・イコンタに532型などと付けてある。アメリカでは名称が違っていてセミ判は1型、6×6判は2型、6×9判は3型、116フィルムが4型と呼んでいるそうだ。また年代順に I、II、III、IV、V型(戦後はIV、V型)という呼び方もあるそうでややこしい。

 戦後しばらくして二眼レフ全盛時代になるが、スーパー・シックス、スーパー・イコンタの最終型が発売になった1953年昭和28年までは、スプリング・カメラ愛好世代がたくさんいて、スーパー・イコンタはさておきセミ・イコンタ、スーパー・シックスに対する憧れは根強かった。

 この世代が二眼レフ全盛時代以前に買ったのがセミ・パールでありセミ・ミノルタであり、6×6判ではマミヤ・シックス、オリンパス・シックス、フジカ・シックスだった。国産のこれらのカメラはいずれも昭和22、3年には製造がはじまっていた。

写真説明
スーパー・セミイコンタ532/

距離計付きのスーパー・セミイコンタは戦前発売のものと外径はクロームメッキ部分が増えただけであまり変わっていない。

スーパー・イコンタ532/2
戦後の改良型昭和28年に発売された。筆者がテスト撮影したのもこの型だった。この型には露出計の組み込まれているものもある。

スーパー・シックス532/16
スーパー・シックスの最終型である。露出計が組み込まれたがあまり評判は良くなかった。現在の中古カメラ市場では、露出計の付いていないほうが高い。先日中古カメラ店で見たら15万円の値段がついていた。