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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

ニッコール21ミリ・ニコンS型用
 アマチュア写真家の写真月例、出品作品に超広角レンズで撮影された作品が目立つようになった。超広角とは24ミリ以下の焦点距離のレンズを言うのが普通だったが、最近は20ミリ以下のレンズを超広角という人が多くなった。15ミリ、16ミリ、17ミリという20ミリ以下の焦点距離のレンズだ。

 これが一つのクラブの月例だけでなく私が関係しているどこのクラブにも共通している。超広角レンズを使う人はかなりのベテランで、いままでに、いろいろなレンズをつかってかなりの作品を作ってきたハイクラスのアマチュア写真家が多い。

 私は超広角レンズの表現をあまり好まないので、相談をされてもこの手のレンズを薦めた事はないのだが、レンズの価格が下がり手に入りやすくなったことと、どのメーカーも超広角レンズをやたらと宣伝した時期があって、では使って見ようかと言うことで買った人が多い。

 写真学校では貸し出し用のカメラやレンズが用意されていて、いろいろの機材を学生に貸し出している。このなかには超広角レンズもある。写真のやり始めには種々のカメラやレンズを使ってみたくなる人が多い。これは疫病みたいなもので、ある程度いろいろなものを使ってみると新しいものに対する免疫が出来るようである。

 超広角レンズもこの例だ。とにかく超広角の世界をやってみたくなる。はじめは今までにない遠近感の誇張による表現にびっくりして熱心に使ってみるが、すぐ飽きてしまってこれで作品を創ろうなどという学生はあまり出てこない。

 ところがアマチュア写真家のなかには、このレンズを買ってしまったものだから、最初は面白がって撮影する。やがてそれに飽きてしまう人もいるが、なかには徹底して使ってみようとあらゆる場所に持ち歩いて、超広角レンズを使う。

 そのうちに、この難しいレンズを使いこなす人たちが出てきた。私などは水平線や曲がりや地平線の傾き、極端な遠近感の誇張が気になってもてあましてしまうのだが、うまく曲がりを補正し逆にこの遠近感を利用して写真を撮るようになってきた。

 月例会に出品される超広角レンズ使用の作品を見ると、こんなレンズの使い方もあったのかと思うくらい上手な作品にお目にかかる事が多く、感心してしまうことがしばしばだ。

 考えてみると、自分では超広角レンズを徹底して使ってみようなどと考えたこともないし、使いこなすところまでいっていなかったことに気づかされる。

 プロの写真家たちが、自分の仕事に使えるかどうかで判断していたレンズの価値を、アマチュア写真家たちは遊びで楽しんで使う。その差が結果にあらわれているのかも知れない。

 小生が超広角レンズと言えるレンズにはじめてお目にかかったのは、ニッコール21ミリレンズが最初だった。昭和34年1959年のことである。昭和34年と言えばニコンもキヤノンもはじめて一眼レフカメラを発表した年である。

 このレンズの記憶があまりはっきりしないでいたのだが、昨年暮れ近くなって、吉江先生の作品が載っている『朝日報道写真1960』を古本店で見つけましたと言って届けてくれた人がいた。45年前に出版された写真集だ。

 この写真集は以前からどこかにまぎれてしまって自分の手許からなくなっていた。この写真集を改めて眺めていたら、大関三根山の写真が出てきた。これが21ミリレンズで撮影した写真で、このレンズのことをあらためて思い出した。

 昭和34年春、発売前のレンズを試用してみてくださいと、日本光学の宣伝部の人が出版写真部にあずけていった。一眼レフカメラ用ではない。S型用のレンズだ。一般的なレンズではなく、そんなに売れるレンズではありませんが日本光学にはこんなレンズもありますというレンズですと言っていたと思う。

 写真に関しては新し好きの飛び付き屋だったから、写真部の先輩たちがテストしたあと大喜びで使わせてもらった。あまりに熱心にテスト撮影をしているものだから、デスクがそれで写真をつくって見ろ。いいものが撮れたら雑誌で「超広角の眼」みたいなことをやってみよう。と言ってくれた。

 日本光学にレンズの借用期間を延長してもらって、写真を撮り始めた。超広角レンズに関しては狭い部屋で、引きが無くても全部写せます見たいな感じで、メーカーも画角(包括角度)の広さを宣伝していた。

 これだけ広く撮れるよ!だけでは、つまらない写真しか撮れないことに気が付いて、遠近感の誇張の面白さを表現することに集中した。これで人物を撮影したら結構面白いのではと思って数点の見本写真をつくった。デスクが週刊朝日編集部に持ち込んだら、これは面白いグラビアページに掲載しようということになった。

 編集部と打ち合わせをして有名人、スターなどモデルの人選をした。小生はそのとき人気力士であった大関三根山の太鼓腹と石原裕次郎のスマートな脚の長さをあげた。グラビアページにはたしか8人の写真を掲載したのだが、あとの人の記憶がない。

 三根山を言い出したのは、その年の初場所でとくに子供に人気のあった大関の太鼓腹に貼られた十文字型の絆創膏が話題になってそれを撮りに行った記憶があったからだ。石原裕次郎も前年取材していた。あの股下の長いスマートな脚をどうしたら強調できるかで、苦労をしていたからだ。

 三根山は五月場所中の蔵前国技館に撮りに行った。本場所の支度部屋で取り組みの直前であったのに気持ちよく撮影に応じてくれた。新型のレンズなので失礼しますと断って、巨大な太鼓腹に接近した 。

 ファインダーは正確なのだが、一眼レフではないのでフレーミングがきっちりとは出来ない。超広角だがバララックス(視差)が意外なほどあらわれて、これをお頭に入れて撮らないと、せっかくの画面がとんでもないところで切れてしまうことになる。

 ファインダーをのぞきながら気が付いたら大関のおへその20センチに近づいていた。超接近撮影である。大関は最後にそんなので写るの見たいな顔をした。

 超接近撮影というのは、ピントをどこに合わせて撮ったらよいか、なかなか難しい。焦点目盛りを最短部分に合わせてしまうと、被写界深度が広いはずなのに肝心の顔がボケてしまう。これはテスト撮影で経験していたので心配はなかった。

 出来上がった写真はご覧の通りで、太鼓腹が誇張されている。当然頭に近づいて写すと頭でっかちのカリカチュア化された写真が撮れる。この週刊朝日のグラビアは評判が良かった。日本光学の人からも、こんなレンズの使い方があったのですかと感心された。

 このレンズは一眼レフ用の超広角レンズと違って、レンズ後部がミラーに当たるのを心配する必要がないから、驚くほどレンズの後部が出っ張っていた。レンズ面の一番後ろがフィルム面から数ミリしか離れていなかった。

 このレンズで撮影したフィルムは、画面が35ミリ判の24ミリ×36ミリより上下、左右に1.2ミリずつ拡がっていたから、これは21ミリレンズで撮影したフィルムと一目でわかった。

 周辺光量はそそれほど不足せず。中心部を外れてもピントが悪くなかった。レンジファインダーカメラのレンズとしては画期的ものだった。

写真説明
太鼓腹で人気の相撲取り、大関三根山。
21ミリレンズF4、絞り開放30分の1秒で撮影、現在フィルムがないのではっきりしないがトライXフィルムで撮影したと思う。