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吉江雅祥
(元朝日新聞写真出版部長)

写真月例
 「月例」と聞いても何のことかわからない人が増えた。我が家に集まってくる若い人たちに月例会をやりましょうと言ったら。ゲツレイって何ですかという。月例が若い人たちには通用しない。

 アマチュア写真家の多分半数くらいは、どこかの写真月例会に参加しているだろう。日本のアマチュア写真団体を支えているのは、下部グループや支部の月例会だ。日本のアマチュア写真界は「月例」のグループをベースに築かれているようなところがある。

 毎月1回例会を開いて、写真を互選したり、指導の先生がいて金賞、銀賞、銅賞などを決め順位を競い合っている。これはグループの撮影会や講習会とは別に開かれているところが多い。

 カメラ雑誌にも月例がある。投稿された写真を有名写真家が審査して入選1位、などと順位を競う。1部門だけではなくモノクロ写真の部、カラー写真の部、カラー写真でもプリント写真とスライド部門に分けているところもある。それに初心者部門とか、組写真の部、あるいは風景写真、ネーチャー写真などと分けている雑誌もある。

 アマチュア写真家にとってアサヒカメラ月例に入選何回などというのが勲章になる。どのカメラ雑誌編集部も読者の毎月の月例応募を大事にしている。昔はカメラ雑誌月例の年度賞受賞がプロ作家への道であったこともあった。

 写真の世界で大流行の「月例」であるが、これは俳句の句会の真似からはじまったと思う。小生、子供のころ親父が俳句をやっていた。現代女流俳人の草分けと言われる中村汀女(破魔子)さんに習っていた。毎月1回の句会があって会場が持ち回りで、ときどき我が家に10人ほどの人が集まって句会をやっていたのを度々見ていた。

 15年ほど前にアサヒグラフで俳句の別冊を出したとき当時、著名な俳句の先生方の句会を取材した。そのとき月例句会の起源を聞いてみたのだが、高浜虚子も同じ方法だったそうだし、芭蕉の時代の句会も月例が多かったと聞いた。

 句会というのは俳句の勉強会だ。見ていると参加者全部が兼題(課題句というのか宿題が出ていて)と自由句題を短冊状のものに書いて持ち寄り、先生の句をふくめて全員で票を入れる。天地人、五客とその月の順位がつけられる。

 先生の句が大体上位に入る。(これは不思議なくらいだ。先生の句といって目印がついているわけではない)どの句会でもないが句会のときには集められた句を改めて清書する係、書記さんがいて、筆跡で誰の句かわからないようにしてあるようだ。天三点、地、人各二点五客五点は一点ずつと天が分けられ、集められてその月の順位が決まる。上位三人までには賞品が出るような月例もあるようだ。そのあと先生の厳しい講評がある。

 子供のころの記憶もそうであったし、取材をしたいくつかの会の月例も、大体そんな形式だった。親父は句会が終わると、茶席の真似事で親父は茶を点て皆さんにふるまっていた。句会の後のお茶は当番の人が準備をしたり、会場に近所の喫茶店にコーヒーを注文している句会もあった。

 写真の月例と俳句の月例会の違いは、俳句の場合は指導している先生の句も一般会員の句も一緒に互選の対象になる。写真の場合は先生の作品は参考作品として同一テーブル上には置かれず互選の対象にならない。

 写真の月例会をはじめて見たのは、昭和30年ころアサヒカメラの取材で、当時アマチュア写真界の大御所的存在であった西山清さんのプレザントクラブの月例会だった。昭和20年代後半のプレザントクラブは100人以上の会員がいてアマチュア写真の大団体だった。

 あの月例会はプレザントクラブでも大分レベルが上のクラスの人たちの月例会だったと思う。銀座裏の京橋クラブで開かれていた。会場には30人ほどのメンバーが集まっていて。大広間の畳の上に数百枚の写真が並べられていた。

 写真には番号がつけられている。互選によって選ばれた写真と、西山さんが選んだ写真が集められ、講評がはじまる。西山さんの批評は厳しく、激しくしかりつけるような口調だった。月例会というものをはじめて見学した小生には驚きだったし、熱気を感じた。

 当時はモノクロ写真の時代だった。当然のことだが撮影者は自分でフイルム現像、引き伸ばしをやる。引き伸ばしの技術についても綿密で詳しい注意がされていたのを覚えている。あの時代の月例は全部があのようなものだったろう。この方式は戦前から日本の写真界にしっかりと根付いている。

 小生は現在アマチュア写真家の八つほどの月例会で講評を引き受けている。なかには地方から月例会のあと宅急便で毎月送ってくるのものもある。写真のレベルはそれぞれ違うが指導講評だけでなく、参加者全員が互選での1位推薦の評を各自述べるようにしている。

 各クラブ、月例のやり方はことなっていて、雑誌と同じように課題作品、単写真、組写真、ネーチャーとわけているところもある。なかにはモノクロ写真を中心にしているところもあるし。カラー写真をスライド審査をしているところとプリントで審査するところがあったりと、それぞれのクラブによって微妙にちがっている。

 当然のことだが、月例では写真についての技術的な質問が出てくる。先生はこれらの質問、疑問について正確に答えられなければいけない。同時に写真を選んで何故この写真が良くてこの写真が悪いのか、あるいは順位を付けた理由を正確に指摘できなければいけない、いい加減な答えをしていると会員を失望させてしまう。

 よい指導者がいて、会員が熱心だと月例グループのメンバーのレベルは上がる。単なる写真好きの親睦会、同好会だとしても、また趣味の一つとしても、人生で意義があり張り合いのある集まりになってくる。

 共通していることは、月例会を中心にして撮影会を開いたり、撮影旅行をしたり写真展を開いたりと積極的な活動をしていることだ。写真を撮るという行為は孤独なものだが、仲間がいるということで、刺激を受けたり励ましを与えられたり効果が大きい。

 それと月例会は情報の交換が行われるところだ、いまはインターネットがあるから比較的に情報が入りやすいが、以前はカメラ雑誌と月例が情報源であった。アマチュア写真家にも写真を愛好する写真家と写真機に情熱を傾ける写真機家がいる。この写真機家に属する傾向の人は、とにかくカメラと機材については熱心だ。

 ある月例会では写真機家の会員がカメラ機材に関する相談役をひきうけている。この人たちは月例会の中でカメラやフイルムなどの情報を会員に伝達する。それぞれに情報を入手するルートがあるのだろう。驚くほど新しい情報が早い。

 何の気なしに月例、月例と言っているが、日本のアマチュア写真家のレベルが高く、しかも数が多いのは、写真好きカメラ好きという国民性があるのだろうが、月例会という俳句世界から伝わった独特の学習形態があったからだ。

写真説明
(1)神奈川県のある写真クラブの月例会、この月例では組写真、単写真、ネーチャーと三部門毎月40人以上の参加者が一部門三点まで出品できるから、テーブル上には、300点以上の写真作品がならぶ。
(2)個人投票のための投票をするクラブもあるが、このクラブでは順位が決まってからの作品拝見に時間をかける。この後講師の講評がある。写真は2月末の月例会のものである。