TopMenu


特別寄稿

カメラの存在論

長谷正人(早稲田大学文学部教授)


本寄稿文は、2001年4月15日にジュンク堂書店池袋本店における「JUNKU連続トークセッション」における公演もとに、永田典子氏が起こしたものです。(編集部)

レジュメの内容
[1]カメラの「暴力性」
 1. 韓国での私的経験
 2. パパラッチ
 3. 男性カメラマンが女性モデルを撮影する行為を「性交」の比喩で捉えること
 4. ある写真家の回想
[2]カメラの「受動性」
[3]写真家のパラドックス、あるいはカメラになった男
[4]能動、受動の二元論を超えて、あるいは世界に働きかける行為を肯定するために


 長谷と申します。きょうは「カメラの存在論」という話を、1時間から1時間半分くらい準備してきました。最初にお話があったときに実はたいへんビビったというか、私はエライ先生でもないので、本も2冊しかありませんし、本屋で偉そうにしゃべるような柄ではないというふうな気持ちがあったんですけれども、結局、途中で気分が変わってお引受けすることにしました。つまり私はこれを著名人のサイン会としてでなく、読者とのコミュニケーションの一形態として引き受ければ良いんだっていう簡単なことに気づいたからなんです。今でももちろんサイン会というのがあって、本を書いた有名な作家先生の顔を拝もうとかサインをもらおうと思って大勢の人が本屋に集まるわけです。僕も20年ぐらい前ですけれども、フランソワ・トリュフォーという映画監督が日本に来たときに、『ヒッチコック/トリフォー 映画術』という本を抱えて、三省堂に行って並んでサインをもらったことがあります。今もそれは宝物のようなものです。しかし、そういう本屋の有名人サイン会って、本屋や本の現状から言って、もはや時代遅れではないかと思うんです。
 実はこの1週間ぐらい前にそこに座っている学生さんに薦められて、佐野眞一という人の『だれが「本」を殺すのか』(プレジデント社)といういまベストセラーになっている本を読み始めました。それを読んでいるうちに、本をめぐる状況というのがものすごく変わってきていて、著者が偉そうにふんぞり返っていい本を書けば売れるはずだとか、そういう安穏な姿勢でいられる時代じゃないんだということを考えました。発想を変えなきゃいけない。本自体も一つのメディアとして利用して、この本を出したことでこういう場をいただいて、ここで話す場を利用して皆さんに僕の言いたいことをさらに届かせる。そういう戦略的な姿勢で著者は読者に働きかけていかなきゃならない。そう考えました。
 実はいま言ったことがきょうこれから映像についてお話したいことの結論でもあります。カメラという機械からそういう世界への積極的姿勢を学ぼう、という話なんです。ですから最後にこの話を思い返して頂いて「あれは、そういうことだったのか」というふうになれば良いと思っています。では枕はそれぐらいにして内容に入りたいと思います。

 『映像という神秘と快楽』(以文社 刊)というこの本を去年の12月に出しました。その本をめぐってお話をしようと思います。ただ、もう読んだ人もいるし、まだ読んでない人も両方ここにはいると思うので、両方の人が同じ立場で聞けるように、かと言って同じことのくり返しもいやなので、本の紹介をしながらもう少し発展させて、むしろ本を批判するような話をしようかなと思って準備をしてきました。
 この本は既に読んだ人はお分かりのように、WEB上にオンライン月刊誌「インターネットフォトマガジン」という細々とやっている雑誌に毎月10枚ずつぐらい何か書いてくれと言われて連載したものを纏めたものです。この連載を書き進めていくうちに自分でも思いもかけないようなある一定のパターンが生まれて、ひたすら月10枚、とにかく訳も分からず書くということを何年間か繰り返したんです。その結果がこの本です。
 実はこの本は非常に奇妙なもので、私自身もまだこの本は何なのかということが良く分かってません。いまだによく分かっていないのですけれども、ただ言えることは、きょうのチラシの2行目に「カメラは従来、攻撃性・能動性を担う男性的なものの象徴としてのみ捉えられてきた。そのカメラの持つ受動的な側面を指摘し……」と書いてありますように、要するに、カメラの持つ受動的な側面というものについて論じたつもりの本です。もう一つ映画の場合の反復という問題があるのですが、でも非常に大きな主張として「カメラの受動性」ということを論じました。しかしここでは「攻撃性」についてはほとんど説明さえしていません。
 学術論文でカメラの「受動性」について主張するときには、その主張と今までの主張(能動性)とがこういうふうに違うんだというふうに対比させながら説明するのが普通の書き方なのですが、この本は文体としても僕の中でも非常に変な文体というか、自分でも思いがけないような文章なんですけど、そういう論理的な説得の仕方をせずに、ストレートに「カメラの受動性を信じなさい」というほとんど宗教がかった書き方になっているんですね。それが何とも言えず僕の中でも気持ち悪く(笑)、あるいは気持ち良くかもしれないんですが、もしかしたら読んでる人にはものすごい反発を起こすかもしれないような書き方になっているんです。だから今は夢から覚めたというような変な気分です。インターネット上に連載しているときは途中からだんだん夢見る気分に入り込んでいって、一般向けに説得するという形ではなくて、ひたすら「カメラは受動的なんだ」、「こんなに受動的なんだからステキなんだ!」って叫んでいるという(笑)、そういうやり方でやったんですが、さすがに途中から気恥ずかしくなってきまして、だんだん書けなくなって連載が飛び飛びになり、とにかく決着をつけなければと思って本にして出してしまったんです。ですから今日の気分は、夢から覚めた段階で改めて「私はなんでこういうものを書いたんだろう」ということを私なりに位置づけ直そうということなんです。まだなかなか上手く行ってないのですが、その最初の一歩という感じでとにかくお聞きいただきたいと思います。

[1]
まず、いま言ったようにこの本はカメラの「受動性」を強調しているので、まず常識的な方というか、普通はカメラというのは暴力的なもの、あるいは攻撃的なもの、そういう比喩で語られてきたという側面をご説明したいと思います。それがレジュメの[1]番です。まず最初のところだけ読みますと、

 カメラによる撮影行為は、日常的なコミュニケーションにおける「見る/見られる」という視線の相互性を断ち切って、一方的に見る者(主体)と一方的に見られるもの(客体)という分裂を生み出す。従ってそこに撮る側による撮られる側への暴力が生まれる

 こういう考え方が写真論とかカメラ論のすべてではないですが、多くに見られる論点だと思います。僕自身はその論点に抵抗した本を書いたわけなんですが、でもこの常識は常識としてもちろん合っているとも思うわけです。
 その一例として例1.に挙げましたけれども、これは韓国のソウルの、五四運動の碑みたいなものがある公園に偶然通りかかったんです。そしたら、そこに何故か老人たちが大挙して次々と入っていくんですね。土曜日の午前中かな、平日だったかな、とにかく午前中だったんです。おじいさんたちが次々と入っていくその光景が異様な感じがして、いったい何なんだろうと思って入っていったら老人たちのたまり場みたいな公園だったんです。そこらじゅうに老人たちがワンサカいて、後で調べたらソウルでは有名らしいんですが、いろんな老人同志のコミュニケーションがそこで行われて、情報交換したりとか、昔の思い出話をしたりとか、ベンチに寝てる人までいろいろいるわけです。その中を僕もブラブラ歩いて、すごいなと思いました。なんだか分からないけどとにかく元気な老人たちの渦というのに感動してたわけです。そこに中学生ぐらいの男女が10人位いたと思うんですが、みんなカメラを抱えてワサワサと入ってきたわけです。たぶん中学校で街の風景を撮るとか老人を撮るとか、そういう課題を与えられていたのではないかと思うんですけど、彼らはいきなりパチパチと老人たちを撮りだしたわけです。それを見ててなんとも言えないイヤーな気分になってきました。ベンチで昼寝をしているおじいさんに平然とガーッと寄っていって、望遠レンズかなんかを使って上から撮ったりするわけです。それを見たときに、まさにカメラで撮るというその行為の暴力性みたいのを感じざるを得ませんでした。自分が一方的に撮る側・記録する側として優越的な立場にあって、撮られるおじいさんはただのモノか虫けらみたいに、虫けらは言いすぎですけど(笑)。記録することが正しいんで、記録されるものは記録される側にいれば良いんだというストレートな正義感が感じられました。まあ韓国の方は、良きにつけ悪しきにつけそういうところがいつもストレートだなと私などは思うのですが、そういう単純な正義感でカメラを構えているということに非常に強い暴力性を感じて、身震いするような思いがしたわけです。
 その暴力性は2.に挙げたように、パパラッチというふうに言われるようになったカメラマンたちによる覗き見写真の流行現象にもあります。日本だと「フォーカス」「フライデー」みたいに、逃げ回る有名人のプライバシー的な面をカメラをもって追いかけていくことがずーっと20世紀にはあったわけです。だから「写真銃」という比喩が写真の暴力性について論じる場合に良く使われるわけです。写真銃というのは、写真から映画へとテクノロジーが発展していくプロセスの中で19世紀末に発明された特殊な撮影装置なのですが、例えば鳥が飛んでいる飛跡を追いかけて行くために、銃のように構えて連続シャッターで撮影するカメラ装置が実際あったわけです。そういう銃という比喩を使って「写真は撮影対象に対して暴力的に働きかけるものなのだ」ということを、70年代後半から80年代前半にいろんな写真雑誌の論文でたくさん読んだ記憶があります。
 同じように3.に書きましたけれども、ヌードモデルを男性カメラマンが撮るような場面にも、私はいわゆる「カメラ男根説」みたいなのを抜きがたく感じるわけです。よくテレビなどでヌードモデルを男性カメラマンが写している光景を見たりするでしょう。そこで連続シャッターがパシャパシャパシャと音を発して、フラッシュが鋭い光線としてモデルに投げかけられるのを見ていると、私はそこにある種の暴力性みたいなものをどうしても感じてしまいます。つまり一種の攻撃的な性交渉のように見えてしまうのです。加納典明さんだったと思うんですけれども、自分が撮影したヌードモデルとは必ず寝るとか、10人撮ったら何人以上は寝るとかというふうに豪語したりしていたのも、ヌード撮影におけるカメラマンと被写体との間にそのような暴力的な関係があるからだと思うんです。
 4.は加納さんとは反対の、誠実な写真家の例なんですけど、桑原甲子雄さんが書いている「視姦の衝動―撮ることと撮られること」(『写真装置』10号)という論文からの引用です。10数行に渡って引用したのですが、長いですけれども読ませていただきます。いきなり引用から始まるので読みづらいんですけど、桑原さんの文章の冒頭がそうなっているので仕方ありません。この引用は石元泰博夫妻の写真集の序文らしいんですけど、まあ読みます。

“例によって二人でスタスタ街を歩いていた。私は生意気にもカメラ、何というカメラか忘れたが初めて交換レンズがつくカメラを肩にして、すっかりカメラウーマン気取りだった。ビルの玄関前の階段のたもとに、浮浪者が腰を下し、西にかたむいた陽が、プラタナスの並木の影を彼の背におとしていた。時あたかもリアリズム写真の全盛。シャッターを押し殺そうとした私を、亭主はけわしい眼で、声を低めて叱った。『何の為に撮るのかわかっているのか? 相手の気持ちになれ』 私はびっくりして止めた。廻れ右して歩き出した時、亭主はさらに続けた。『あんな撮り方をして、もし相手が怒ってお前を追いかけて来ても、俺は助けてなんかやんないよ” これはついこの間おくられてきた石元泰博夫妻の自家版の共著『色とことば』の中の滋夫人の文章からぬきだしたものだ。・・・・それにしても石元が“相手の気持ちになれ”というのは微妙な発言だ。私など、いつも身に覚えがあって5メートル離れた対象(人間)にむかってシャッターを切るときも、何かうしろめたい気分がよぎるのだ。これは社会的風景であって卑小な盗み撮りとはちがうのだ、と云い含めたところで納得できないシコリが残ってしまう。だいたい内気ということがあるにしても、そして“相手のの気持ち”を考えるとしても、なおかつ無断で斬るようなメカニズムをもつ写真というメディアを、恨めしくおもわないわけにはいかない。

 レジュメ3枚目の右側の写真。ここに桑原さんのカメラのおずおずとしたポジションというのでしょうか、近づいて行って攻撃的に撮るというのではなくて、街の風景に対しておずおずとしか接近しない姿勢がよく現れていると思います。桑原さんは着物を着た女性だと後ろ姿しか撮れないというくらい性格の慎ましい方で、しかもこうした戦前の都市写真を撮ってから50年間ぐらいは、「こんなものは価値がない」と言っていて、写真家を名乗るようになったのはつい最近らしいです。ですからほとんど日本のアッジェと言っていいんじゃないかと思いますけど、全然芸術家志向のない写真家で、私はすばらしいと思います。とにかくこうやって慎ましい桑原さんが言うことのなかに、つまり彼が撮影に後ろめたさを覚えてしまうということのなかに、逆にあらゆる撮影行為が必然的に抱え込んでいる暴力性というものの存在が現れてしまっているのだと思います。

[2]
次に[2]に行きたいのですが。そういう論旨に対して私がこの本で主張したのは、全く反対の、さっきも言ったようにカメラの「受動性」ということなんですね。

 つまりカメラは、メカニズムとしては、ただたんに事物から発した光を受動的に受けとめて化学的に定着させているだけだからだ。

 確かに誰かに撮影されるときに私たちは、撮る人によって自分が裸にされてしまうというか、自分の存在がむき出しになってしまうみたいな、そういう被害性みたいな感じは確かに湧き上がってくるわけです。しかしそうした事実は脇に置いておいて、「カメラ自体は何をやっているんだろうか」というふうに良く考えてみますと、カメラ自体は別に攻撃的じゃないんです。カメラから光が銃弾のように対象に向かって飛んでいくというわけじゃないですから。もちろん見られる側は、相手の目から自分に矢が突き刺さってくるような気がしたりすることがあるかもしれませんが、よく考えれば、撮影においては逆にカメラのレンズに向かって光が押し寄せていくだけなわけです。だからベクトルは逆なわけです、メカニズムとしては。レジュメを読みますと、

 従ってカメラは人間の眼などよりもむしろ受動的な性格を持つとも言えよう。人間の眼による認識においては、情報の「取捨選択」という能動性が発揮されているが、カメラはそれを行わずに無防備にすべてを受け入れてしまう。

 人間が見るということは能動的じゃなきゃできないわけです。つまり情報を取捨選択しないと僕らは見ることができないですよね。例えばよくメロドラマである、20歳ぐらいまでずっと盲人で、目が見えなくて、ある日恋人や友人の助けを借りて、手術で見えるようになるというような場面があるとします。そのとき包帯を外したとたんにその人は「あっ、あなたが助けてくれた人ね」等と言ったりするわけですが、実際にはもちろんそういうふうにはならないわけです。つまり、その人の眼には、ワーッと一挙に乱雑な視覚情報が押し寄せてくるわけですから人間の顔の見分けなどつかないはずです。この本でよく引用した僕の大好きな脳神経医学者ですけど、オリバー・サックスという人が、盲人がある日見えるようになった場合どうなるかについてエッセイを書いてます(『色のない島へ』早川書房)。それによると、多くの人は眼が見えるようになった後の生活がうまくいかないらしいんです。つまり20年間ずっと眼が見えないという状態ですべての感覚が形成され、脳もそれによって形づくられてきたので、ある日見えるようになっても、そのほとんどは彼の生態学的秩序からは余分で邪魔な情報でしかない。従って、彼はそれらをほとんど普段見てるのか見てないのだか分からないくらいボーッと見ているだけらしい。それでしかも、すごく死ぬ率が高いらしいのです。見えるようになってから数年のうちに突然死んでしまう。たぶんそれまで自分が形づくった身体のバランスが一挙に崩れてそれで死んでしまうのではないかと思います。逆に言えば私たち人間は、それくらい視覚情報をコントロールして生きているらしいのです。
 これはテープレコーダーも同じことが言えます。こういうところでテープレコーダーを置いて、いま話していることを録音するわけですね。この場にいる人たちにとっては僕の声がはっきり聞こえていて他の雑音は小さく聞こえているので上手く録音できたと思います。しかし家に帰って再生してみると、コーヒーカップをカチャカチャする音やナイフとフォークが皿をたたく音がひたすら延々続いていて僕の声が遠くでかすかに聞こえるだけみたいな音響世界になってしまっている。つまり人間の身体というのは、脳が自動的にチューナーの役目を果たして人間の声のボリュームを上げて、それ以外の音を雑音として排除するということを自動的にやって、自分にとって安定した環境世界というものを能動的につくり出すわけです。そういう主観的な世界だけ人間は見たり聞いたりしている。聞くことも見ることも、非常にエコロジカルに調整されているわけです。
 ですから常識とは反対に、テープレコーダーとかカメラといったテクノロジーがもたらした世界の方が野生の世界なんです。人間はずうっと主観的な世界を通して世界を甘受してきたのに対して、テクノロジーというのはもっとむき出しの、野生の世界というものを人間に見せてくれたのです。普通はテクノロジーってすごく文化的なもののような気がするわけですけれども、逆なわけです。そう考えると、カメラというのは私たち人間に、受動的に世界を見ること、普段僕らが見ているときの能動的な見方よりもっと受動的な見方というものを教えてくれたんじゃないか。そう思うんですね。
 写真家だって同じです。写真家はこのように受動的な機械を媒体にして世界を捉えるのですから、自分の思うような世界をつくり出せるわけではないはずです。例えば画家が海を描く場合は、それがどんなに本物の海そっくりに描いたとしても、彼の主観的世界として描かれたものにすぎない。どんな波の一つのタッチも、「これは俺独特の描き方なのじゃなくて、あの海のとおりなんだ」と言ったとしても、それは彼が自分の筆でつくった波のタッチ、筆触にすぎないわけです。逆に写真家がどんなに主観的世界を撮ろうとして技法を加えたとしても、それはカメラによって自動的に捉えられた世界にすぎません。
 究極的にいえば、いまの監視カメラ、例えばインターネット上でライブカメラというのがありますね。世界中のいろんな光景を、ニューヨークから何から世界中をリンクしている人がいて、そういうサイトへ行くと世界中の光景がただワーッと並んでいます。これに何の意味があるんだろうってよく思うんですけど、シカゴの都市の交差点の風景とか、ゴールデンブリッジとか、それぞれが何時でいまこういう状態だ、というのが一目瞭然でいつでも分かる。つまりカメラがひたすら受動的に捉え続けているわけです。そこには何の人為性もない。そうやって機械がオートマチックに世界を捉えてわれわれにそれを見せる。そこは窓のように光景がただいきなり与えられて、われわれとしては何を見ていいか分からないみたいな、そういうものが写っている。一応これはゴールデンブリッジの光景で、何時何分ですという言語的情報で、一応そう思って見るということで見た気にはなるんですけど、良く考えると全くわからない世界です。
 要するにカメラが捉えている世界というのは訳の分からない世界だと思うんです。一応人間は何かを解釈して意味のある世界を作って生きているわけなんですが、あえてここで僕が書いたことは、人間もカメラみたいに受動的で考えないバカになろうよということです(笑)。写真ってただそこにあるものがパッと写っているだけなわけですから、だから簡単すぎて不思議な世界なんです。例えば僕自身はほとんどカメラを構えたり撮ったりしないんですけど、カメラを構えた瞬間に僕は加納典明とかとは逆な気持ちになるんです(笑)。世界に圧倒されて、いったい何を撮っていいのか、つまりそこにある世界は何なのだと思っちゃう。旅行先で妻とかを撮るとするじゃないですか。背景の海の光景がきれいだなと思ってついでに海をパーッと入れちゃうと、なんだか分からないけど海の光景を写した画面の隅っこにポツンとかみさんがいるみたいな、絶望的に寒々しい写真がそこに出来上がるわけですよ。これって何なんだと。その場にいたときにはそこに何か意味がある人間的な世界が展開されていたと思っていたのに、カメラによって切り取られてパッと見た瞬間に非常に絶望的に無意味な光景に見えてしまう。
 ここにも書いたんですが、素人が捉えた公民館の踊りの発表会のビデオ記録映像とか、それは見る人が家族である場合はまだいいんですが、それを他人が見るとどうしようもないわけですよね。昔、友達の家に行ったら、久しぶりに家族が集まったのでスライドショーをやろうよというわけで、家族アルバムのスライドショーが夜の12時ぐらいから始まって明け方4時までやられたことがあるんですけど(笑)、こんなつまらないものはないわけです。水木しげるさんの家へ行くと、パラオだっけかな、戦争中水木さんが死ぬ思いをした思い出の島に彼は戦後何度も何度も訪ねて行って撮った、島の人びとや風景の記録ビデオが何時間分もあるらしいんですけど、それを延々と水木さんが解説して見せてくれるらしいんです。ところが見てる人にとってはなんだか全然分からない、ただ退屈な光景が延々と続いていて、一人で水木さんが興奮して喋っているいるという(笑)。水木さんの家に行くためには「それに耐えなきゃいけない」って、いろんな人がエッセーで書いています。
 要するにカメラというものは、ちょっと油断して撮るとすごい雑音だらけの世界になってしまうんですね。だから「ちゃんとした構図やピントで撮らなきゃ」ということで、アマチュア写真家の世界ができると思います。それは、俳句の会とすごく似てくるというか、五七五の世界をきちっとしてみんなで学ぼうみたいな感覚に近づいていくわけです。それはつまりカメラを普通に撮っちゃうと雑音になっちゃうという、その恐怖をみんなで集団で消そうとしているわけですね。しかし本当は、彼らが消そうとしている、むちゃくちゃで訳の分からない、ノイズだらけの世界こそがいちばん素直なカメラのメカニズムだと私は思うんですね。それこそが、カメラの一番すごいところではないかと本書では書いたんです。

 本書は、このような絶対的受動性を持つカメラに人間自身がなろうとする思考実験のようなものである。日常的に私たちが眼で見ている主観的光景の貧しさから解放されて、カメラのように世界のどうでもよい細部へと自分の感性を広げようという問題提起である。つまり人間自身もまた、カメラのように無差別的に受容的に世界を見ることを通して、「世界と触れ合」えるのではないか、と論じているのである。

 人間が主観的に世界をつくっていくこと、自分の感性を大事にして主観的に世界をつくっていくということは今すごくいいことのように言われているわけですけれども、逆にそれには貧しさもあると思うんです。自分がいいなと思うとおりにしか自分の世界をつくれない。自分の主観的世界に閉じてしまうとも言えるわけですから。それに対して、自分でコントロールできないカメラというものを扱うときには、うまく撮れずに雑音の世界になってしまうことで、自分でも思いもかけない世界が見えてくると思うんです。そのことを通して自分の世界が広がるということがあるんじゃないか。たぶんそういうことがこの本で言いたかったことです。
 [3]番に行きたいのですが、ただここから先が……(笑)。ここで終わってもいいわけですけど、ここからは正直言って自分の中でもまだはっきり分かってないんですけど、今日はあえてもう少し先に進めようかなと思っています。実は[2]のカメラの受動性という考え方を突き詰めて行くと、いつの間にか横滑りしてまずい方向に行くという感じが少しあるわけです。そういう弱点を僕も感じていて、説明していくうちにいつも「そこを気をつけなきゃ」という気になるんですね。つまりここでは、写真家や撮る人というのが一切いない世界、人間のいない機械の世界がすばらしいと書いたわけです。写真家などこの世にいないのだ、素人写真の失敗したものほうに本質があるのだという姿勢でこの本を書いたのですが、それはやはり少し極端な考え方です。ですから今日はそれと全く正反対のことをやってみようということで、中平卓馬という一人の写真家のことをこのあと[3]で話そうと思います。
 読んでみます。

 [1]のカメラの暴力性批判においても、[2]のカメラの受動性の称揚においても、カメラが世界と能動的に係わることが否定されている点では同じに思える。

 結局[1]はカメラの暴力性、まあそれを喜んでいる人もいるわけですけど、少なくとも[1]のカメラ暴力説を唱える人びとは、そういう暴力性を批判しているわけですね。桑原甲子雄の路線で、カメラの暴力性はいかんというふうな路線でカメラ暴力説を出してくるわけです。[2]では「カメラ自体は受動性じゃないか、だからカメラになろうよ」と私は言ったわけですけれども、その場合にも、受動的なカメラになろうよと言うんだから、世界に対して暴力的に、能動的に働きかけるということはダメなんだという暗黙の前提がやはりあるわけです。その暗黙の前提を[1]と[2]というのが共有してしまっている。それを今日は否定してかかろうと思っているのです。
 [1]の主張からすれば、カメラによる世界の認識は暴力的なのだから、撮影行為はどこかで否定されなければならない非人間的なものとなる、というわけです。何か後ろめたい気分を覚えるものなわけです。[2]の主張においても、カメラの絶対的受動性こそが人間の模倣すべき性質になっているわけですから、ここでも写真家という存在自体や撮影という能動的行為自体は否定されてしまっているわけです。「カメラになれ」というふうに言っているわけですから、カメラになったら、カメラはただ受動的に光を受けとめるだけですから、自分でコントロールしちゃいけないよというふうに究極的には言っているわけです。〈どちらの場合にせよ、写真家はあってはならない「暴力的」な存在として否定されているのだ。〉いま言ったことですね。このような写真家の存在論的袋小路に身を持って陥ってみせたのが、言うまでもなく、中平卓馬という、さっきから名前が出ている写真家です。
 以下は、この前卒業したばかりの小原真史君の、今日もここに来ていますけど、『挑発する写真家中平卓馬』(IPMJに連載中)という卒業論文を読んでちょっと挑発されて考えたことなんです。今日は彼の卒論を頼りにしながら、中平について考えようと思います。
 実は私の本には重要な欠陥があって、26ページにマン・レイのレイヨグラフと中平卓馬のブレボケ写真というのが紹介されているんですけど、これキャプションが逆なんです。どう見てもブレボケがどっちかは分かるんですが。是非皆さんにたくさん買っていただければ重版されてこれが訂正されるんですけど、でもたくさん売れるとどんどん間違ったものが広がってしまうというジレンマではあるんですけど、ぜひとも買ってくださいという感じです(笑)。中平卓馬さんという人は、ほとんど僕がここで書いたのと同じ主張をしてるんですね。暴力性に対する、カメラが世界を把握するということを近代主義的な主客二元論と結びつけて、徹底的にそれを否定しようとした人です。『なぜ、植物図鑑か』(晶文社)からの引用がそこにありますけれども、「とりわけ写真という方法を用いて表現するとはいかなることなのだろうか。それはむろんのこと私の像(イメージ)の表出や、(長谷:つまり主観的なイメージですね)外化ではない。それこそ写真の最も不得手とするところのものだ。またそのような像(イメージ)の外化、表出が言葉の正しい意味での世界と私との出会いを妨げることをすでにわれわれは知っている。写真を撮るということ、それは事物(もの)の思考、事物(もの)の視線を組織化することである。」 つまり、自分の側からベクトルが外に外化されて向かっていくのではなくて、事物の側から自分に向かって視線がやってくるという、つまり写真を撮るというのは全く受動的な行為なんだと言っているわけです。
 しかし、ここからきわどい問題が出てくるわけです。写真がそういうものなら、別に素直にどんなに頑張って写真を撮っても、事物の視線の組織化なんだから何やってもいいじゃない、というふうにもなるかもしれない。でも中平さんはそうは考えなかった。中平さんは逆のベクトルで、写真というのが事物の視線の組織化なんだとしたら、自分は事物の視線の組織化した写真を撮らなきゃならないと考えたんです。つまり写真家という存在を必要としないよう写真家の写真を撮ろうとするのです。そうやって彼は意図的に非意図的なことをやろうとするというパラドックスに陥っていくわけです。
 しかもそれを撮影行為だけで済ませていればよかったのに、この理論を彼は実存的に突き詰めてしまうというものすごい誠実さを持っていたんですね。例えばこういうことを言っているわけです。(小原君の卒論で知ったのですが)

「国電に乗っていて車窓から景色を眺めていると、ある一瞬からそれらの事物が眼球に突きささってくる。疾走する車中の自分を守るためには(自分が窓の外に飛び出してしまうような、自分で自分を制御することができないという不安が強くあった)目を閉じたまま座席の肘掛けにしがみついていなければならない。そのような知覚の異常がこうじて、事物を見ることは事物が直接眼球に突きささってくることであり、意識とは事物が眼球あるいは網膜を傷つける、その傷痕であると堅く信じるまでになり、街を歩くこともできなくなっての入院であった」

 これは中平自身が自分の目と存在自体をカメラ化しようとして、そういう病気、自らカメラになるという病気になってしまったということだと思うんですね。このように、自身の能動的な対象コントロールを身体的に拒否するというところまで中平は行ってしまうわけです。そのことによってついにある時、アルコール中毒と言われてますけど、そんなにお酒を飲んでいないのに記憶障害にまで陥る。つまり自分を空っぽにする以外に受動的な写真というのは撮れないんだというふうに自分自身を誠実に追いつめていくという、そういう壮絶な写真家だった。
 ちょっと分かりづらいと思いますけど、レジュメ3枚目の左側の、上は中平がいちばん活躍したころのブレボケ写真ですよね。これはまさに中平のやったことの上塗りをしてるんですが、つまり中平さんたちはわざとブレボケにするためにゼロックスコピーをして、それを展覧会とかに展示したわけです。それをさらにこうやってコピーしたので、中平×2乗みたいなことになって凄くボケでしまっているのですけれども。(笑)
 その下にすごい日記があって、僕は怖くてこの写真集はずっと見てなかったんですけど、これも小原君の卒業論文で初めてちゃんと見ましたら、すごいですね。「写真日記」(『新たなる凝視』晶文社)というものです。これは記憶喪失になった後、リハビリとして写真を撮るみたいな時期なんですね。

「昨夜からストレートに眠り、午前6時31分、私目覚めた。私、トイレに行き、TELで少し進行し過ぎている時計的確化し、6時53分もどった。それ以後、全く眠れず、私6時31分近く覚醒。昼寝極力阻止!!妻、鐐子9時10分覚醒。元君、彼女の後、覚醒。父、「母」かなり前に覚醒。父、「母」・・・・」

と何か時刻と睡眠とトイレや食事にばかりこだわった異様なものです。ところでそこで彼は「現像」にもこだわっているんですね。例えば

「昨夜、現像し上げ、水洗しておいた作品5枚、11時41分から乾燥し始め、午後12時7分乾燥し上がった。作品3枚現像し直さねばならぬ」

というふうに、現像という行為がこの日記にはたくさん出てくるんです。現像するということは当然撮影しているわけです。ところが撮影という言葉はいっさい出てこない。どこかへ出かけていって、ある種の日常的光景みたいな写真を撮っているのに、その撮影行為というのが一切日記に出てきてないんですね。撮影したという能動的な行為については日記に書けないというわけです。
 せっかく撮るという行動を通じてリハビリをしているにもかかわらず、この日記を見ると、相変わらずシャッターを押して対象を能動的につかまえるということ自体を言説化できない。そうやって能動的に世界に向かって攻撃するということを非常に恐れているという感じがどこかで残っているんだと思います。僕がさっき言った「カメラになれ」みたいな話、自分はどうやってもすごい近代的自我の塊だから何とか受動的なカメラにならなきゃだめなんだという破滅的な意識が生じてくるわけですね。だからシャッターを押すという能動的な撮影行為自体だけが日記から抜け落ちているんだと思います。
 それに対して、[4]に行きたいんですけど、このチラシにもあるように「能動/受動の二元論をどう超えるか」というのを考えたいんです。つまり[2]や[3]に欠けているものがあるとすると、[1]に関してもそうですね、それは「能動性をどう肯定するか」という問題だと思うんです。それが中平なり私なりの思想の中にどうもない、あるいはたぶん20世紀後半の現代においてどうも欠けている思想ではないかとずっと私は考えています。つまり世界に働きかける能動的行為というものをどう肯定するかという、つまり暴力性を否定してもなおかつどうやって能動性というのを肯定できるのかという、そういう問題なんじゃないかというふうに思うわけです。具体的に読んでいきたいのですけど。

 長谷のカメラ受動性説は、人間自身がカメラになりカメラのように世界を眺めることによって「徹底的にこの世界を隅々まで肯定せよ」と訴えていたのだった。しかし、中平による徹底的なその実践から明らかなように、この論理においては、たった一つのことだけは肯定されていなかったのだ。つまり写真を撮るという「能動的」な行為だけは否定されているのである。

 それはつまり最初のカメラ暴力説も同じですね。そうやってどこかで暴力性を否定したい人たちの論理を敷衍すると、

 長谷の論理は人間の能動的行為をすべて(長谷:すべてというのは変ですけど、ある意味では)否定し、中平のような絶対的受動性の中に人間を縛りつけることを肯定するものとして誤解されかねない。

 つまり「カメラになれ」と言うことは、ある意味で全てのことを肯定せよ、全てを受け入れよと言っているわけです。全てを受け入れよということは、自分から何かを積極的に働きかけていって世界を変えるとことをどこかで恐れているとも言えます。この本はどこかで、そういうニヒリズム的メッセージを伝えてしまう側面があるような気がするわけです。つまり、世界を隅々まで肯定せよと言っているのに、世界に対してシャッターを押すということによって能動的に働きかけるという行為をどこかで恐れているという意味では、隅々まで肯定しきってないのではないか。つまりカメラの向こう側の世界は肯定したけれども、カメラのこちら側の世界というのはまだ肯定してないんじゃないか、そういうことです。

 つまり本当に世界をとことん肯定するためには、写真家が写真を能動的に撮るという行為さえもが肯定されるべきなのではないか。カメラを通して、世界を訳の分からないものとしてそのまま受け入れる強さを私たちは確かに獲得することができる。だがさらに私たちは、世界に対してカメラで(能動的に)働きかけることを恐れることなく遂行すれば、自分を世界との相互作用によって、そこに全く違う世界を生成させることができるのではないか。

 そういうことが今日の結論なんですね。

 むろん中平自身でさえこう言っていた。「「受容的」であるとは世界に向かって私を開くこと、世界に私を晒すこと、そして進んで私を解体させる勇気を持つということである。だが、この解体を通してしか私を再創造することもできないのだ。それは主体に対する世界の侵害を率先して求めていくということである。「受動的」であるということと「能動的」であることはこの一点において統一されるはずである。世界は客観的なものではなく、私は堅牢なものではない。相互に浸透しあう白熱する磁場、それが世界である。」(『決闘写真論』朝日新聞社)

 ほんとにきわどいんですけど、でも相変わらずこれはある種の受動性を通して世界に向かって身を晒せ、むき出しにヒリヒリと身を晒せという、そういう論調です。ただそのことを通してどこかで相互的な再創造、つまり受動的であることと能動的であることがどこかで一致するはずである、とは一応言ってるんですね。その後に私はこう続けてます。

 これで良いのだが、しかし、やはりどこかこの言い方は息苦しい。宮迫千鶴の言葉を借りれば「中平卓馬は<<近代>>に対して愚直なまでに誠実でありすぎる気配がある」(『女性原理と写真』国文社)。もっとカメラを通して世界と私が相互的に干渉しあうことを肯定的に説明できないのだろうか。

 今日はまだあまり具体的に言えないのですが、思考の端緒にしかすぎないのですが、いくつか引用を挙げさせてもらいました。
 まず、これは港千尋さんが最近出した『予兆としての写真』(岩波書店)からの引用です。港さんはそこでは、スナップ写真を撮るという行為を、特に群衆の中に入っていってスナップ写真を撮るという行為を、未開人たちが狩猟をする身振りにたとえていろいろ説明しています。

 密林のなかの、あるのかないのかわたしにはまったく分からない道を、夥しい数の痕跡をはっきりと知覚しながら泳いでいく男の姿が、まったく未知で無縁のものであるとも思えなかった。彼の感覚と能力は都市に生まれ、都市に住む人間の想像を超えた、まさしく超人的なものだったが、しかしその身振りにはスナップショット的なところが感じられたからである。・・・そうした身振りの、極めて高度に洗練された様式は、アンリ・カルチエ・ブレッソンやゲリー・ウィノグラントといったスナップショットを完成させた名写真家たちの作品に明らかである。カルチエ・ブレッソンは「頭と目と心をひとつの照準線上に置くことである」と述べ、ウィノグラントは群衆のなかの有利な視点=「ヴァンテージ・ポイント」を瞬間的に得る術を体得していた。

 ここで最初に今日否定した、最も暴力的で、私がダメだというふうに最初に捨てているはずの写真銃的な比喩というものが逆に登場してきたわけです。写真撮影のポイントを決めることは、狩猟のヴァンテージ・ポイントを発見するのと同じように、極めて能動的な行為なんです。しかしそれは同時に、群衆の空気の中に自分の身を沈めていく、つまり世界を超越的に把握しようとするような意識を捨てて、群衆の流れの中に自分の身をむき出しに晒していくという意味では受動的な行為でもあります。ある意味では自分の中の野生を、つまり未開人が狩猟をするときに動物の跡を嗅ぎ分けるような野生の感覚みたいなものを取り戻すことによって、受容性を獲得するみたいなことがここで起きているんだと思います。こういう言い方をすれば中平さんのように苦しむ必要はないんじゃないかという気がするわけです。もちろん70年代にこんな言い方をするのはきっと無理だったと思いますから、だからしょうがないんですけど。
 森山大道氏は中平さんと一緒にプロヴォーグをやっていた人ですが、森山さんもブレボケとかそういうほうに近いんですけど、ここではこういう言い方をしています。

「僕は、カメラを持って撮り歩いているときは、シャッターを押すことだけしか考えていないので、目が頭が、などというよりも、全身の細胞がレーダーのようになり、何事をも見落とすまいと鋭敏になってくる。ものを直感でとらえようとする身体(からだ)に自然となってしまっている。こういうときは僕自身がレンズそのものになってしまう・・・」(『写真との対話』青弓社)

 これも港さんの比喩とよく似た比喩だと思うんですね。
 さらに今日はずっと写真の話で来たわけですが、ここだけ映画の例を出します。小川紳介という人は三里塚のドキュメンタリー映画をずっと撮り、その後は山形に行ったドキュメンタリー映画作家ですね。この小川紳介さんはもっと端的に暴力的な人だと思うんですけど、その暴力性みたいなものを肯定するわけです。これは彼の講演記録から取ったものです。確か「圧殺の森」という高崎経済大学の闘争の記録映画の話だと思うのですが、こうです。

「しかし言っときますけど、ああいう顔というのはキャメラがなければ絶対にしないです。どんな記録であろうが劇であろうが、そこにキャメラがあるかないか、スタッフがいるかいないかで全然違います。その意味で記録映画だって虚構だと思います。・・・あの人たちがキャメラに入ることによって変わったその変わりようが撮れているわけです」

 もちろん桑原さんのようなシャイな撮り方の誠実さを疑わないし、それはそれで魅力的な写真が撮れるわけですけれども、ビビッて5メートル離れたところからそっとシャッターを押すという方法も一つあるわけですけれども、逆に堂々と「こっちを向いてニッコリ笑ってください」なんていうふうに働きかける。働きかけることによって、撮る側の主体と撮られる側との間にあるコミュニケーションが起きるわけですね。そのコミュニケーションによって相手が全く違う顔をするという出来事を起こすことがなんで悪いことなのか。悪くないと思うんです。
 カメラで撮影しようとすることによって、そのとき相手の人生がもちろん変わるわけです。カメラがその時なければ、写真家が強引に撮らせてくださいと言わなければ、彼の人生は別の形を歩んだかもしれない。大げさなように聞こえるかもしれないけど(笑)、でも小川紳介はそういうことをやってるような気がするんですね。小川紳介が山形の牧野村というところに行ってやったことはそういうことです。私は「すべてが映画になる日まで」という論文をいつか小川紳介論で書きたいと思っているんですけど、小川紳介は歩く映画というか、周り中を映画にしてしまう人だったと思うんです。きっとそれまで平和に暮らしていた牧野村のひとびともみんな彼の映画作りに巻き込まれていくわけですから、周り中すごい迷惑だったと思います。でも映画に巻き込まれていって、映画に撮られて、小川紳介の記録映画のための村みたいになってしまうという、そのこと自体がほんとに不幸なのかということですね。不幸な場合もあると思いますけど、幸福な場合もあるんじゃないか。単順に小川紳介に撮られるんだから幸せだぞとか、そんなバカなことはもちろん言いませんが、人間が生きているということはそうやってお互いに相手に対して影響を与えることによって成り立っていまんじゃないでしょうか。例えばここでも皆さんに向かって僕が暴力的にいろんな自分の考えを述べることによって、皆さんが変わっていく、皆さんの人生が変わってしまう、そのことが本当に悪いことなのかというと別に悪いことじゃなくて、人生ってそういうものなんじゃないかと思うわけですね。
 そういう意味で、暴力という言い方は強烈すぎるかもしれませんが、カメラによる撮影によって人びとに能動的に関わっていくことが単純に否定されることではないだろうと思うんです。むしろそのことによって相手が変わっていくということの楽しさもあるんじゃないか。撮られることによって前よりも人生幸せになる人もいるかしもしれない。事実そういうことが起きていると思います。書いてあるのはそういうことです。一応読みましょう、せっかく書いてきたので。

 この小川の発言と、最初の石元氏や桑原氏の「後ろめたさ」の発言を読み比べていただきたい。石元氏らが中平氏と同様にカメラによって他者に暴力を振るうことを恐れていたとするならば、小川はカメラを使って他者に影響を与えてしまうことを端的に肯定しているだろう。むろんその行動はパパラッチ的なサディスティックな「攻撃」などではなく、カメラを通した世界と自分との相互行為だろう。そのような相互行為によって、そのとき他者にも自分にも、それまでの生活にはなかった喜びや悲しみや憎しみさえもが生まれてしまうことは端的に素晴らしい。そう小川は言っているのだ。いやカメラなどなくとも、互いが互いの人生を変えてしまう能動的なコミュニケーション自体が肯定されなければならないんじゃないか。それは、他者を傷つけることを過敏なまでに恐れるあまり、人々が個々の感性のなかに閉じこもりがちな今日にあって、いっそう重要であるように思われる。そのためにこそ私も拙著の主張を少し修正して、その主張をより世界に向かって能動的に開かれたものにしたわけです。

 最後にもう一度港さんの引用で終わりたいと思います。『予兆としての写真』の序文に書いてあることです。

 写真は世界ではないし、世界の写しでもない。写真とは世界との相互作用の「結果」ではない。世界との相互作用そのものなのだ。そう考えたとき、写真という芸術は“それはかつてあった”という「存在論的世界」から(長谷:これが私がこの本で徹底的に主張したことですが)“それがいま現れようとしている”という生成論的世界への転換が可能になる。

 もちろんこの生成論的世界をどのように濃密に描き得るかということが大事なのであって、それをイデオロギー的にただ唱えるだけでは駄目なので、もちろんその作業をしなければいけないわけですけど、きょうは今まで1回もしゃべったことのないような内容のお話だったので、これでお許しください。

[質疑応答]
 カメラの暴力性とカメラの受動性という対比があったと思うのですけれども、きょうのお話のメインであった写真を映画に置き換えてお伺いしたいと思いましたのは、ある映画の作品なり写真の作品なりがあって、その作品自体が受動的な作品であるとか攻撃的な作品であるというようなことは果たして言えるのだろうか、ということなんです。最後のほうで小川紳介の話が出てきたのですけれども、最初、暴力性のところで、大島渚の『忘れられた皇軍』とかを思い浮かべていて、例えば大島渚の『忘れられた皇軍』の中にも受動性を見ることは可能なのかということ。つまりある作品の中に受動性と暴力性が同時に存在することは可能なのか、それはどちらかが主要なものとして分けたりすることはできるのか、ということが気になったのですが。
 いきなりもう学会のような質問ですね。ありがとうございます。そうですね、あるような気がしますね。きょうは写真で考えてしまったので、今の質問は虚を突かれたというか、なるほどという感じがしたのですが。例えば大島でいえば、『忘れられた皇軍』って僕は見てないのですけど、大島の作品を見ると、すごく暴力的な作品と大島の受動的な感受性みたいなものが発揮されている作品とに分けられるような気がちょっとします。ある時からの、例えば猿の映画、何でしたっけ、ああ『マックス・モナムール』以降の大島ってもしかしたらすごく受動性みたいなものが際だってきているように思います。それよりずっと前だと、例えば『絞首刑』だとある種の完成されたシナリオによって世界が構築されていて、役者たちがコマみたいに動かされているという感じがして、演出の攻撃性みたいのを私は感じたりします。でも他方で『少年』や『帰ってきたヨッパライ』などですと、大島の中の受動性な感受性が出ているように思います。そこには世界のコントロール不能性への感受性みたいなのが出ていて、私はそういう大島が良いなと思ったりします。たぶん大島の受動性と攻撃性というのはあるのかもしれません。 映画の話をするとどんどん固有名詞とかが出てきて話が専門的に閉じてしまって申し訳ないんですが、もう一人例を出すと、例えば溝口健二という人が長回しをするじゃないですか。するとヌーベルバーグの人たちは「溝口は官能的だ」とかって褒めるんだけど、でも溝口のカメラワークって、例えばバーッとカメラがパンして空っぽの風景を撮って行くと、そこにきっちり計算どおり人がいるというような、完全にコントロールされたカメラの動きなんですね。そういうのを見るとフレームをきっちり溝口はコントロールしたという感じがどこかであって、溝口というのは案外暴力的なんじゃないかという気がするんです。それに対して例えばヌーベルバーグの監督のカメラというのは、フレームの中にいろいろな物が入り込んでくるということに対して開いていくという受動性を感じます。その水準でいくとハリウッド映画はきっちりとしたショットを、あるきちっとしたパースペクティブで撮る意味で能動的で、ヌーベルバーグはいろんなものを画面に写しこんじゃうから受動的と言えます。ただそう簡単には行かないというのはありますよね。
 例えば僕は去年にハワード・ホークス論を書いたんですけど、ハワード・ホークスはきっちり撮る物語映画の作家だと言われていますが、実は逆じゃないかと思ったんです。つまり撮影現場の雰囲気の楽しさを行かしている作家だと思うからです。例えば『赤ちゃん教育』の主演の二人は、ホークスがスタジオへ入る2時間ぐらい前から二人でその日の撮影部分のせりふに関してアイディアを出し合って、こういうふうに面白くしてホークスを驚かせてやろうとやったらしい。そしてホークスもどんどんその場でつくられたギャグみたいなものを生かしちゃおうとかしたらしい。実際そういうビビッドな、即興的な演出でなければあんな楽しい映画が撮れるわけはないと思うんですね。
 すごいくだらない例を思い出したんですが、メグ・ライアンという人がテレビに出てて、『恋人たちの予感』のあのシーンについて、つまりレストランでイッちゃうとこを演じてみせる有名なシーンについてインタヴューを受けているのを見たのですが、その時もその監督は、カメラの横であれを必死に演じてみせたらしい。きっちり構成されたドラマであっても、そういう現場における出演者の乗せ方が大事だと思うんですね。マキノ雅弘という人も女優が演じる場面を、こうやってやるんだって自分で丸々演じてみせたらしいです。そういう撮影現場のある種の相互作用というか、撮る側と撮られる側の相互作用みたいなものが生き生きとしたコミュニケーションとして定着されている映画というのは、最後の港さんの話に近いものがあるんですね。あるいは演出家が役者を追いつめて行ったときに出てくるビビッドな肉体性の魅力みたいなものはあると思うし、暴力性と受動性というのは、そういうふうに分けてみるといくつかの水準があるんだろうなということは思いました。いい質問でありがとうございました。

 カメラの受動性について話されていて、結局人間のない、人間の消えた映像というか、カメラだけで撮っちゃうような映像のほうが素晴らしいというか、いいんだというようなことが本の中でも書かれていたと思いますが、読んでいるときから気になっていたのは、カメラは受動的だといったときに、結局撮影者が問題にされなくなってしまって、撮影者の責任が問われないようなことがどうしても出てきちゃうのではないかというのがあって。中平さんの場合は、「撮影者の責任」というのとは違うところで病んでしまったということだと思うんですけれども、暴力性みたいなものがかえって現れているほうがむしろ撮影者の責任みたいなものが作品の中に現れていたりして、逆に好感を持てるというか、誠実な感じがするということもあるのではないかと思うのですが、そのあたりについてお話をいただければと思います。
 よく分かります。と言うか、いまのご質問のとおりの話を今日はしたつもりなんです。同じ読後感を私も自分の本に持ったんです。撮影者の話は一切しないということで突き詰めたわけですね、この本は。だから逆に今日は撮影者の話だけしようという感じで、まさにおっしゃるように撮影者が、つまり世界に働きかけるためには責任をとらなきゃいけないということですね。おっしゃるように、その方が責任がかえって取られていて良いのではないかということを僕も言おうとしたわけです。これを発表する前だったら今の質問にもっとうろたえることができたんですけれども、うろたえることもできず、否定することもできず(笑)・・・。
 ただ相変わらずなんでこういう本を書いたのかという問題が残りますね。この時は分裂してたんですね。僕ってすごく、こうやったしゃべったりとか、学生とどうつきあうかというときにはものすごい責任感が激しい人間なんです。例えば今日も、この本屋という場でしゃべるってどういうことかという問いから始めたように、いつも自分の発言の政治的文脈に関してどういう責任をとるかという責任感でがんじがらめな人間なんです。いつもそこから逃れられないんですね。学術論文を書くときにも、自分が書こうとしている雑誌はどういう場で、読むのはどういうやつらでということを計算したうえで、自分が書くものの内容が決まっていくんです。だからいつもは責任感だけで、自分の書きたいものは一切書けないんです。それでたぶん苦しくなって暴発したというか。「もう俺の好きなこと書かしてくれ!」という気分というか。
 これをインターネットで書いてるときに、周囲の誰も私がこれを書いてるって知らなかったんですね。普段の論文はすぐに「読みましたよ」とか周りの研究者から言われるんですけど、これは誰も読んでなかったんです。だから責任感から解放されて、すごい気楽だったんです。だれも読んでない文章だ、責任とらなくていいんだって。まさに責任をとらない文章を1回でもいいから書いてみたいという、そういう欲望が暴発して、責任をとらないで突っ走ったわけです。
 これは同僚の日本文学の十重田さんという人に言われたんですけれども、長谷さんは北野武とビートたけしみたいなもんだって。たけしは、お笑いの場合はお客さんや視聴者に対して責任をとっている。そっちがたぶん僕の殺風景な学術論文です。逆に彼が北野武として映画を撮るときには私的世界を客を無視して好きなように作るんですが、それと同じように僕はこの本ではすごくエクリチュールというか、好きなように感性で書いてると。「長谷さんの文章でこういうのは初めてで、今まででいちばん感動がある文章だ」って言われたんですね。「また是非書いて下さい」と言われたので、「もう二度と書けないと思います」と答えたら、「いや大丈夫です。学術論文を書いているうちにまた書きたくなりますよ」と言われてしまいました。きっとお前は責任がんじがらめの文章を書いているうちに暴発してこういうことをやりたくなるに違いないというわけなんです。
 だけど今日は相互性と言ったように、半分責任をとって、責任をとりながらもある種世界に開いていくにはどうしたらいいかという、違う展開を目指してみました。だけど、何かつまんないんですね、正直いうと。「相互性がいいんだ」なんて誰でも書けるじゃんって、ちょっと思ってしまいました。きのうこのレジュメを見てて、「これは俺じゃない。俺は間違ったことだけ言ってる、両極端のどっちかに揺れてるのが俺だ」という感じがどこかであるんですね。自分で言うのもなんだけど、今日のはいい話だとは思うんだけど(笑)これじゃあまだあまりに足りないですよね。それは自覚してます。これなら暴発してる自分のほうが好きだなとどこかで思っていて、相互性に行くにしてももうちょっと違う作戦を考える必要がありそうです。

 存在論的世界から生成論的世界への転換ということだと聞いたのですが、もっぱらカメラを撮るときのことだと思うんですね。2ページ目の、素人が捉えた公民館の発表会のビデオ記録映像の寒々しさというところは、これは撮られたものを見る場合ですよね。撮るポジションと、それを撮られた、記録されたものを見るポジションというのがあると思うんですけど、見るポジションのほうのことについてもう少し伺いたいなと思います。その場合の存在論的とか生成論的ってどんな感じになるのかなということを伺いたいのですが。
 難しいですね。おっしゃるとおりで、今まで出た質問はみんな正しい質問というか、高度な水準の質問ばかりで困っちゃうんですけど。「撮る者」と「見る者」の論理的な違いというのは、僕が今日あまりうまく言えてない部分だろうと思います。要するに両方を一緒にしちゃってるんですね、面倒くさいから。むろんちょっとは考えてあるんですよ。見る人が撮る人と重なって、その気持ちになればっていうのが一応は話の前提になってるんですね。見る人が中平卓馬の痛々しい世界を見て痛々しさに反応し、桑原さんの遠慮がちの写真を見て見る人はやはり遠慮した気持ちになる。そういうふうに、映像を見るときには、撮る側で起きたことがそのまま見てる側にも自然に伝わって反映されるであろうという前提でお話ししています。
 もちろん撮る立場と見る立場は違うだろうと思います。特にこの港さんの言葉は、「お前は写真家だからそう言えるのだ」と言いたくなります。目の前に紙にプリントされた写真という「結果」を出されても、群衆の中でカメラのシャッターを押した人が感じた生成性なんか分からないんじゃないか。「見る側は写真なんか結果でしか見れねえじゃん」とか、そういう気は確かにすごくするわけですよ。そういう意味では生成論的世界というふうにあまり簡単に言い切ってしまってもおめでたい。
 でも確かに、僕は写真を見るとき、単に撮影結果の出来ぐあいを見るよりは、撮る立場みたいなことを勘案して、こういうふうな過程で世界は捉えられたのだというように生成論的に見ないとつまらないです。撮られた結果を見る側が好きなように解釈するというのはいやです。好きなように解釈するというのはまさに自分の世界でしかない。写真を好きなように解釈するというのは、自分自身の世界をそこに読みとる、鏡のようなコミュニケーションになってしまう。それよりも自分とは異質な感性を写真に読みとる方が楽しいです。そうするとやっぱり見るときにも、撮る立場というのを強く考えたいというのは確かにあると思いますね。

長谷正人(はせ まさと)

1959年生まれ。社会学・映像文化論。早稲田大学文学部教授。

著書
『映像という神秘と快楽―〈世界〉と触れ合うためのレッスン』以文社、2000年(IPMJに連載された「映像のオントロギー」より出版された本です)
『悪循環の現象学―「行為の意図せざる結果」』ハーベスト社、1991年

主な論文
「検閲の誕生-大正期の警察と活動写真」『映像学』日本映像学会、1994年
「遊戯としてのコミュニケーション」大澤真幸編『社会学のすすめ』筑摩書房、1996年
「overview 文学と芸術の社会学」井上俊・上野千鶴子・大澤真幸・見田宗介・吉見俊哉編『現代社会学第8巻 文学と芸術の社会学』岩波書店、1996年など多数


Pages managed by ActPlanNet,inc. (http://www.apn.co.jp/)