TopMenu

写真学生座談会

今写真を学ぶ若者たちは何を考えているのか

新藤(以下新):今日は写真学校で写真を学んでらっしゃる方のお話をうかがいたく集まっていただきました。まず自己紹介からお願いします。
片山(以下片):日本写真芸術専門学校(以下渋谷)報道科2年の片山順平です。
皆木(以下皆):同じく皆木優子です。
鴇田(以下鴇):東京総合写真専門学校(以下日吉)の2部に在籍しています、鴇田美華です。1年生です。
原(以下原):同じく原亜紀子です。
橋本(以下橋):同じく橋本弦です。
三井(以下三):同じく三井克幸です。
鶴田(以下鶴):日本大学芸術学部写真学科(以下日芸)1年の鶴田です。
新:IPMJ編集兼日芸4年の新藤です。今日は編集としても日芸生としても発言することになると思います。よろしくお願いします。
あきらけい(以下あ):IPMJの編集とプロデュースを行っています、あきらけいと申します。

新:渋谷の方は報道科とのことですが、日吉の皆さんは何を専攻されているんですか?
鴇:いや、特にうちは分かれていないんです。
三:あえて言うなら、全員スナップ科(笑)ですね。
鴇:ゼミごとに大西派とか、土田派、平木派、みたいな形で別れることになりますけれど、学校が決めたゼミ分けの中で決まっていますから、特に選ぶと言うことは出来ないんです。
あ:みなさん、大西さんのゼミですか?
三:はい。
あ:実際に皆さん、何を撮られているのでしょう?
三:スナップですね。スナップをとにかく撮れと言う学校ですので。
原:入るとまず、群衆を撮れと言われますから。
新:日吉の学校というと、とにかく撮らせるという評判を聞くんですが。やはりすごいですか?
橋:うーん、どうでしょう。出た人の話を聞くと、年間300本以上は撮らなきゃダメだねとか平気で言われますけれど。
新:今回アンケートを採って集計しているんですが、皆さん月に10本から20本くらいが平均みたいですね。最高月に300本という人がいたんだけれど。
あ:それは12枚撮りじゃないの(笑)
橋:うちの学校では12枚撮りフィルムはもうフィルムとして認めていませんから。撮るとしたら絶対に36枚撮り。
鴇:しかも37枚撮っちゃいけないんだよね。
三:そうそう、ベタ焼きが6つ切り一枚に収まらなくなっちゃうから(笑)
片:うちは、撮れるだけ撮れ、フィルムは自分で巻け、ですね。
あ:そうそう、自分で巻くと40枚くらい撮れるからカウンターエラーになっちゃうんだよね。
原:ディロールで巻くときも律儀に36枚で終わるくらいしか巻きませんね。たまに、35枚しか撮れなくなっちゃう(笑)

鴇:報道科という事ですが、どういった写真を撮られているんですか?
片:いや、報道科というのは名ばかりで、先生が報道写真の方なので報道科だというだけです。まあ、例えば東京湾を撮ってこいと言われたら、報道的というか、そういう側面から撮るようになってしまいますけれど。
鴇:ルポルタージュっぽいものになるわけですか?
片:そうですね。
あ:補習だと、神戸の被災地を撮ってこいだとかあるんでしょう?
片:ありますね。
あ:旅費は誰が出すんだという感じですが(笑)
鴇:うちにも、沖縄行ってこいだとかありますよ。昔はサーカスの写真撮ってこいと言われて、1年休学してサーカスに入った人とかいたみたいですよ。
三:そんな馬鹿な(笑)
鴇:他にも漁船に乗っていっちゃったりとか、あるみたいですよ。私も素直だから、「海に行きなさい」と言われて、素直に海に行って来ました(笑)それまで、海なんて行ったことなかったのに。
あ:土田先生の授業などはあるんですか。
鴇:発表の時に会うくらいで、二年生になればゼミもあるようですが。

新:では、そろそろ具体的に何をやっているのか教えてもらおうと思うんですけれど、皆さん授業ではどういった事をやられていますか?では、渋谷の方からどうぞ。
片:二週に一回課題が出て、それを持っていくという形ですね。
新:どういった課題が出るんですか?
片:今出ている課題は「東京の名坂」ですね。
新:なんかサライみたいな課題ですね(笑)
三:売れる写真を撮れと言うことなのかな?
片:ああ、そうかもしれない(笑)あとは、「東京」とかですかね。
新:そういった漠然としたテーマのものの方が多いんですか?
片:そうですね。
あ:撮ってきた写真は?
片:先生が見て、みんなの写真の中から10枚選びます。選ばれたものは先生の元に残して来年の人たちの参考にされて、選ばれなかったものはやり直しという形ですね。
鴇:何人くらい一クラスにいるんですか?
片:うちは少ないから8人くらいです。報道科は少ないから。今は芸術科が流行みたいですね。
あ:最近芸術系が流行ってるのかなあ。
橋:芸術系というと、特殊な技法を使ったりですか?
あ:いわゆる「アート」でくくられるような写真かな。
橋:うーん、どうだろう。
新:そういえば、最近森山大道風の写真が流行っているみたいですけれど。一部では大道風の写真を撮る人々を「ダイドリアン」と呼んでいたりしますが(笑)どうでしょう?
橋:まあ、一回はみんな粗粒子に行くんじゃないですか。僕は昼間は大学に通っていてそこで写真のサークルに入っているんですが、やっぱりみんな粗粒子高感度にははまりますね。
あ:まあ、モノクロ始めたらまずは行くよね。
新:おれはやらなかったな。課題でしかたなくやったくらい。
鴇:私も、やっぱりきれいなプリントの方がいいじゃないですか。
新:ねえ。
橋:いや、普通はまるでしょう。
あ:おれははまったよ。水素増感一歩手前までは行ったもん(笑)

新:日吉の方ではどのような事をやられていますか?
鴇:そうですね、授業として写真史や現代美術、写真芸術論などをやっています。
三:あと、色彩と構成についてなど。
新:ゼミはどうでしょう。
原:前期は、クラス単位で場所に移動してそこで撮影というケースがほとんどです。
新:そこではなにを撮るんですか?
三:うちはとにかく群衆です。スナップスナップです。
鴇:そのほかに合評というのがあって、そこでは自由に自分の写真を持ってくるということになっています。
三:でも、実際にはスナップになりますね。
新:例えばがちがちのポートレートとかを持っていってはいけないんですか?
三:いや、ダメではないんです。ただ、鼻であしらわれてしまいます。スナップなら色々と言ってくれますが。
あ:日吉って、本当にスナップだけなの?
三:いや、登竜門としてスナップなんです。
新:じゃあ、一年生はみんなスナップ?
三:そうですね。僕は、いままでの自分の写真を崩すという意味があるんだと思うんだけれど。まあ、脱構築ですね。
橋:でも、脱構築という名の元の学校による構築じゃない?
新:それは、学校の色に染められると言うことかな?
橋:そうですね。
鴇:変に作家養成という気負いがあるからね。
あ:それで学校やめていっちゃう人いるでしょう。
三:もう四分の一くらいはやめてますね。

新:日芸はどうでしょう。
鶴:一年生は150人いて、5クラスに分かれています。やっていることは、やはり作家を養成するという風潮が強いですね。うちはファインプリントが基本なので、低感度で撮影して、フィルムの濃度がどうしたとか、そういう講義から入っていきます。僕の入っているクラスは経験者クラスなので講義が多いんですが、他のクラスはみんなで一斉に撮影して現像してというのが多いですね。課題が、毎週ではないですが出て、それを二月にまとめあげて、それが先生の目に通れば単位が貰えるというシステムです。
あ:レベルにあわせてやってもらえるというのは良いですね。
鴇:効率のいいシステムですね。
鶴:そうですね。でも、うちのなかでも作家主義みたいなものに反感を覚える人は多いですよ。カメラマンになるなら、ここまでモノクロについてうるさくやる必要はないだろうと言って反発している人もいます。
新:日芸はファインプリント好きだよね。
橋:ゾーンシステムとかですか?
鶴:やっているクラスもありますね。僕のクラスでもやり方だけは教えて貰っています。
あ:やっぱり、ゾーンシステムとか気になる?
橋:気になりますね。うちではやらないらしいんですよ。
新:でも、実際にやると大変だよ。
橋:今、川崎市民ミュージアムでやってますよね。そこに行こうかと思って。
新:他には、今なにをやっていますか。
鶴:写真史とか、光学とかですね。あと、写真概論という哲学的な話をする授業もあります。
新:日芸は一応大学だから、一般教養もあるから大変ですよね。

新:では、次に写真を始められたきっかけといいますか、学校に入られたきっかけを教えて欲しいと思うんですが。では、まず鶴田君から。
鶴:僕は高校写真部からですね。面白い先輩がいたので入ってしまい、その先輩が日芸に入っていったので僕も付いてきてしまいました。
あ:その辺の、写真を撮り続けた動機みたいなものは何ですか。
鶴:やはり、なにか創作活動をしたかったというのがありますね。写真の道に進まなかったら役者になりたかったんですが、最終的に大学受験の際に写真に決めました。
あ:では、自己表現の手段としてですか。
鶴:そうですね。ありきたりですが、絵が描けなかったので写真をやってみようかなと思ったのもあります。
新:続いて三井さんはいかがですか。
三:僕は、職業としてカメラを使いたかったんです。
あ:それはカメラマンとしてですか?それとも作家としてですか。例えば写真館で七五三を撮ったり、そういうことでもいいんですか。
三:かまいません。別に、写真を撮っていなくても良いんです。写真系美術館の学芸員にも興味がありますし、雑誌の編集者でも構いません。写真にまつわる仕事をしたいということですね。
橋:僕は、高校の時に演劇をやっていたんです。脚本を書いたり演出をしていたんですが、思うように役者が動かないんですよ。大学に入って、今度は映画を撮ろうと思って映画サークルに入ったんですが、学生の素人映画って、やたら能書きだけはすごくて映像がついてきていない。これは映像を一からやらなきゃダメだなと思って、その時一緒に入っていた写真サークル一本に絞って撮り始めたら、これが面白くて、結局写真にはまってしまったという事ですね。
あ:今でも映画撮りたいと思いますか。
橋:いや、今ではそうでもないですね。やはり映画と写真では、同じ映像と言ってもまったく違いますからね。いまではあまり撮る気はありません。
新:大学に入られて就職とか考えませんでしたか。
橋:今でも大学には在籍しているんですが、やはり考えますね。普通に大学を卒業すると製造や金融や、そういうところに就職するわけですが、そういうんではなく、手に職を付けたかったというのもあります。また、永続する仕事に自分が向いていないなというのもあります。
原:私はあまり考えて入って訳ではないんです。一度専門学校を卒業して職に就いたんですが、何かやり足りないものを感じていて、それで入りました。
鴇:私は、もともと日芸の文芸学科にいたんですが、そこの他学科公開授業で写真の授業があったんです。その時はあまりはまったりということはなかったんですが、その後に機材から入ってしまいました。
新:機材と言うと?
鴇:なんっていうんでしょう、光学的化学的に、こう光が入って像が出来るって言うのはすごいじゃないですか。私は素直に感動してしまって、それから始めてしまいました。
あ:やはり、ライカとかですか?
鴇:いえ、キャノンデミとか、ああ言うファミリーカメラが好きなんです。
新:ああ、デミいいですね。
鴇:学校に入ること自体に深い考えはなくて、子供の頃、ピアノが習いたかったらピアノ教室に行ったじゃないですか。あれと同じ感覚です。
あ:それにしては本格的ですね。
鴇:私、勉強が好きなんです(笑)
皆:私はそんなに考えずに入ってきたんですが、もともと写真撮るのなんとなく好きでそれでですね。
片:僕も大したことはないんですよ。もともとフリーターやってて、このままじゃいけないかなと思って入ったんです。もともと建築の方に進もうと思っていたんですが、学校の先生をやっている親に向いてないと諭されまして(笑)
あ:では、学校に入るまで写真は撮られなかったんですか。
片:そうですね。フィルムのいれかたから全部教わりました。

新:特に学校からこの機材を使えと言う指定はありませんでしたか?
鴇:いや、特にないですね。50mmレンズを使えというのはあったけど。
三:35mmとか使っていると、「良いレンズなんだけどねえ」と無言の圧力をかけられたりしますね。
あ:どこの学校でも50mmを使えと言うみたいですね。
新:僕は35mmとかの方が使いやすいと思うけどなあ。
あ:いや、やっぱり望遠的な使い方が出来たりするところがいいんじゃないかな。一本のレンズでもいろんな撮り方ができる事を知ることが出来て。授業みたいな事言ってるね(笑)

あ:HIROMIXとか、どう思いますか?
新:写真家の人によっては、あれは写真じゃないと言う人もいるしあれが写真だと言う人もいる。いろんな見方をされていますよね。
橋:あれは写真だとは思いますが、商品ですよね。
三:商業的にはすごく成功していますよね。
あ:では、あれは作家の写真ではないと。
鶴:芸術ではない?
橋:写真芸術とか、芸術という言葉を使うと政治的な意味あいを持ちますから。
鴇:カタカナで書くゲイジュツやアートといったものと芸術は、違うものだと思うんですよ。
新:では、HIROMIXはアートだけど芸術ではないと言うことですか。
三:そうやって言うことも、アートの胡散臭さに荷担していることではないですか。その前に、芸術と写真との関係を考えるべきでしょう。
あ:やはり、長島有利枝の流れをくんでいるのかな。
橋:僕もそう思いますね。
あ:出てきたときは何だこれと思ったけれど、いまではこういうものが受ける時代なのかなと思っています。写真集が最近でたけれど、まとまっていたしね。
三:10年後に残るかというのが大事だと思うんですよ。
あ:写真ブームの一環だということ?
三:僕には今判断できないけれど、良い写真家というのは10年経っても残りますから。
橋:今は商品としか見れないですからね。
鴇:写真ブームとして、風俗史には残りますよ(笑)
三:それが、写真史に残るかだね。僕には残るかどうか本当に分からない。
あ:写真ブームと言えば、最近カメラを首から下げている子多いよね。二眼レフやライカとかぶら下げている子がいるけれど、ああいう子はどう思う?
新:ファッションとしての写真と言うことですか?
橋:写真芸術から言えば、そういうのはどうでもいいことじゃないですか。誰が何を撮ろうとも、友達の間とか狭いところで流通している分にはいいとおもうんですよ。ただ、それが芸術かというとよくわからない。
鴇:HIROMIXに話を戻しますけれど、私は芸術でもアートでも、どうでも良いことだと思うんです。例えば、映画だってプログラムピクチャーにもすばらしいものもあるし、芸術系の作品として作られたものにも良いものはある。そういった、作り手を乗り越えた作品が出来てくることだってあるじゃないですか。
あ:僕なんかは、良いものの基準が変わってきたのかなと思っているんです。でもそれは悪いことではないでしょう?
三:問題なのは、HIROMIXを叩く人というのは、今の写真界のヒエラルキーの頂点にいる人だと思うんですよ。その人たちはああいった簡単に撮ってしまう写真が出てきたら地位が揺らぐ訳じゃないですか。今まで作り上げてきた、ファインプリントやそういったものが。
新:今、上にいる人ってHIROMIX批判しているかな。
あ:一番上にいる人は相手にもしていなかったりして(笑)
三:その、相手にもしていないって言うのが問題でしょう。
あ:まあ、でもあちこちで話は出ているんだよね。
三:それが彼女の力じゃないですか。ヒエラルキーを崩す力を彼女は持っているんですよ。写真集という形になって、作品として流通すると、作家主義というヒエラルキーは崩されるんじゃないかな。
橋:打ち崩されるような物ではないんじゃないかな。
三:じゃあ、HIROMIXが吸収されていくかもしれない。脱構築する力としてのHIROMIXが、ヒエラルキーに吸収されていってしまうかもしれない。
新:写真界にヒエラルキーみたいなものは存在していないんじゃないかな。
三:形はあるわけでしょう。
新:いや、特に権威のある評論家がいるわけでもないし、権威のある写真家が絶対的な権力を握っているわけでもないでしょう。
三:そういう意味で言っているんではないんですよ。
橋:いや、例えば絵と写真を比較したときに、絵画展に行ったときには誰もが何か言うと思うんですよ「わあ、これきれいー」とかね(笑)でも写真展ではそういったことがないわけです。絵画は、小中学校と学んできているから、何か言う土壌が出来ているんだと思うんですよ。でも写真の教育は行われていない。じゃあ、写真を何に基づいて見えいるかというと、回りにある、雑誌や広告といったものから学んでいるんだと思うんです。だから、商品を見る目になってしまっている。そういう構造が出来ているわけじゃないですか。でも写真というのはもっといろんな読み方が出来るし、もっと読み込んでいけば獲得できる新しい読み方というのもあるんですよ。でも、写真を学んでいないから、一般の人には読むことが出来ない。HIROMIXが良いとみんなが言って、そういう意味で商品価値があるっていうのも分かるんですよ。
あ:じゃあ、見ている人がなっていないということ?
三:いや、かちっとした軸がないんですよ写真には。絵には、アートとしての軸がありますけれど。
あ:絵に軸があるっていうのは、教育だとさっき言っていたよね。
橋:分かりやすい話をすれば、例えば壷職人の仕事を見て、素人はそれがいい仕事なのかわからないじゃないですか。壷職人には壷職人の世界があっていい仕事いうのがあって、でも素人が壷を買うときにはそれとは別に、これいいな、部屋に合うなって買うわけです。なんで壷の場合はそれが問題にならないかというと、壷には影響力がないから。壷と違って写真は映像文化として一般あふれていて、すごい影響力がありますから、すでに政治的に力を持ってしまっている。だから、みんな何か言おうとしたときに問題になるわけです。
鴇:質問。例えば私は写真の教育とか受けていないけれども、写真を見て素晴らしいとか思ったりするわけじゃない。じゃあ、写真教育がなければ、そういった写真の力みたいな物は感じられ無いって言うの?
三:そういう物が本当に存在すると思う?
鴇:私は存在すると思うよ。
三:僕は思わないね。
新:僕は中間の意見だな。良い壷は、素人が見てもきっと良い壷なんだよ。だけど、壷の知識があった方が良く分かるとは思う。
あ:本当に良いものは、大抵誰が見ても良い物だと思うよ。
鴇:でしょう。そういったものは写真にはないの?
三:いや、やっぱり歴史的価値体系に中にいると思うんだけれど。
新:そういったものだけでくくるのはちょっときついんじゃないかと思うんだよ。
あ:そういうのを超越したい良いものがあるはずだよ。
三:いや、ない。僕はそんなもの存在しないと思う。
新:アフリカの原住民だって良い壷見れば良いというかもしれない。
三:いや、そんなの神秘主義だよ。
鴇:それは三井君いいもの見てないからだよ。
橋:何でそんな問題になるかというというとね、HIROMIXの写真に純粋に見た人っていないわけだよ。
三:そんなの無理だよ。
橋:そうなんだよ。結局、頭に芸術を冠して、かっこいいものとして最初に出てきてしまったから。例えば、これは良い壷ですよと言われて買っちゃうとか、そういう状況ってあるじゃないですか。60年代ブームとかいわれると、それがかっこいいように感じて買ってしまう。純粋な判断ではないわけですよ。そういう部分を映像文化が担っていると僕は思うんですよ。
あ:今まで写真やってなかったのに、街には写真が溢れているから目にするわけじゃない。やはり、見る目変わりませんか。
片:そんなこと考えて写真撮ってないというか。
皆:うん。撮りたい物を撮っているから。
三:ようするに、自分の撮っているものと違うから関係ないと。
片:うん。いいといえばいいとおもうし。
皆:別に私がどうこう言うことじゃない。
新:ああいうの撮ってみたいとは思わない?
皆:思いませんよ。
橋:でも、あれも通る道じゃないですか。ブレとかボケとか。
あ:まあ、あれを作品として表に出すかどうかということもあるね。
新:ああいう作品にみんなが慣れていなかったのかな。

新:皆さん好きな写真家は?
三:前田真三とか、リーフリードランダーとか、ですね。
原:私は入る前はあんまり写真見なかったんですけれど、学校の図書で色々見て武田花さん好きになりましたね。
あ:武田花さんをアンケートに書いた人は何人かいたね。
橋:僕は奈良原一高さんです。最近では高橋恭司とか。
あ:奈良原さんというと、アメリカを撮っていた頃ですか?
橋:そうですね。あと、やはりリーフリードランダー。最近ではウォーカーエバンスも好きだなあ。
三:僕はアジェも好きだな。
鶴:僕の場合、写真家でどうこうというわけではなく、写真単体で好きになるので特にないですね。
あ:集計を見てみると、やはり荒木さん多いですね。
新:写真集では「センチメンタルな旅・冬の旅」が一番多いんじゃないかな。
あ:あとはメープルソープかな。
橋:メープルソープとかって、印刷されたもので良いと感じますか?
あ:プリントを見てすごく良いけど、印刷されてもやはり良いね。
新:あれは、印刷で見ても良いプリントなんだろうなと分かる感じだよね。
橋:僕、印刷の方には嫌悪感があったんですよ。
あ:それは最初にオリジナルを見ちゃったからかな。どうしても印刷だと再現されない部分があるからね。

新:では、続いてデジタル写真についてお話をお伺いしたいのですが。
鴇:報道の方はもう随分デジタルになってきていると聞きますが。
新:そうですね。カメラまではまだでも、かなりのところまで来ているでしょう。
あ:最近では広告も、デジタル通してないものはほとんどないですね。
新:残るは雑誌だけですね。それももう数年かな。どうです、みなさんやってみたいと思いますか?
鶴:まだまだ銀塩の方が画質面などで優れていますからね、無理して移行する必要はないんじゃないかな。
新:今出ているデジタルカメラとか使ってみたいですか?
橋:うーん、特に。
新:写真の加工とかは。
三:やっぱりやってみたいですね。
あ:写真をインターネットなどで発表することは?
橋:今の段階では、まだ画質的に問題がありますよね。
鶴:私の先生に言わせると、デジタルなどで加工した物はすでに写真ではないということになりますね。僕は合成写真とか好きなんだけれど、まあデジタルに関しては、写真とは別の新しいメディアとしてとらえるべきだと思うんですよ。否定する気はまったくないんだけれど、普通の写真とは別の世界のものだとおもいますね。写真とは別の表現手段じゃないですか。
新:どうですか、渋谷の方はどう考えますか。
皆:まだやったことがないのでなんとも。
あ:やってみたいとは思いますか。
皆:そうですね。
新:学校の授業などではないんですか?
皆:ないですね。
三:伝統的な写真の学校で、デジタルを授業に取り入れているところはあるんですか?
新:僕は知らない。最近の新しい専門学校でいくつかやっているみたいだけれど、写真専門のところではないんじゃないかな。武蔵野美術大学とか多摩美術大学などではあるみたいですけれど。
三:やっぱり、写真の枠から出ているからかな。
あ:今はそうだろうけれど、これからはどうなるんだろう。
三:まあ、時代的な方向としてはデジタルを受け入れざるを得ないんじゃないかな。

新:実はこれを一番聞きたかったんだけれど、最後に今持っている夢と、実際に進むであろう進路をおしえてもらえますか。
鶴:僕は、やはり写真で食っていきたいですね。覚悟を決めて取り組んでいこうと思います。実際に卒業してカメラマンになっている方多いですから、そっちに進めたらなと思います。でも、本当は作家として、何か成し遂げたいなと思いますね。
三:僕は、今目の前のことだけで精一杯ですから。目先のことしか考えられないから、何とも言えないです。
橋:大きな夢はですね、アシスタントを使って全部やらせて、早々と撮影を終わらせて銀座にでも飲みに行ける写真家ですね(笑)現実としては、修学旅行とかについていくカメラマンかな。女子高生とかに「撮って」とか言われる奴ですね(笑)
あ:随行カメラマンは大変だよ。女子高生だけじゃないんだから。
鴇:私はとりあえず安らかに暮らしたいですね。それだけです。
あ:みんな賞が欲しいとか言わないんだよね。土門拳賞とか木村伊兵衛賞とか。
三:今時はやらないでしょう(笑)
あ:いや、でもみんな「写真家になりたい」とかアンケートに書いて来るんだけれど、そんなの写真学校入って来るんだから当たり前のことで、夢でも何でもないと思うんだよ。名刺に写真家と書けばもう写真家なんだから。だから、何かもっとすごいこと書いてくるかなと思っていたんだけれど。
皆:賞とかもとってみたいですけれど、写真にそんなにこだわりはないですね。まだ他のことも見てみたい。
片:僕は、自分の納得できる写真が撮れれば、それでいいですね。

新:では、皆さん長い間ありがとうございました。