1995/7/15 No.13 NEWS LETTER for Photo Lover

フランス人の濃さについて  鳥原 学


 この1週間のうちに、フランスの作家の写真を続けて2つ見ました。 一つは資生堂、ザ・ギンザ・アートスペースで、日本でもおなじみのビエール&ジル『夢の形象』(7月30日まで)、もう一つは東京都写真美術館の『イズム95一第1回東京国際写真ビエンナーレ』写真美術館賞受賞ティエリー・ウルバンの「バビロン」です。濃かったですよ、二つとも。特にピエール&ジルは会場に入ったとたん、壁がラメでキラキラでしたからね。その赤ラメの壁面に合成着色料使用の肖像作品は相変わらず見事なバッドテイストでした。彼らのモデルになっているのは、シルヴィー・バルタン以外はあまりよく知らない人達でしたけど、たぶんフランスの有名人で、その存在自体が『キャラクターグッズ』として成立している人達なんでしょう。そして、ピエール&ジルもまた『キャラクターグッズ』として自らを確立させていますから、その彼らが童話や伝説の『キャラクター』のイメージを『キャラク夕一グッズ』の上にかぶせるという、その何重にもかぶせた濃厚なイメージの甘い薄っぺらさとからっぽさが、見ていると虫歯になりそうでした。
 ティエリー・ウルバンは初めて見ましたけど、やっぱり濃かったです。 その濃さは、「バビロン」というタイトル、「作られた架空の建造物」という被写体、ていねいに焼いた「モノクロプリント」という三題噺からも容易に想像できるでしょ。ほら、審査員も「宇宙」「哲学」「瞑想」って言葉を図録で使ってますでしょ。分かりやすい詩学的な濃度を持つこの作品は、もっと閉ざされたスペースで見た方がはまれるんじゃないかと思いました。 別にこの二つの展覧からフランス人の文化的な気質一般がわかるわけでもないんですが、フランス人の作品って濃いですよねえ。他にもフォコンやベルメールとか、元の素材の味も形もわからなくなるまで煮込んだりする「乳製品文化」とでもいうようなものを、私は写真から感じることがあります。だから、梅雨時の体調が悪い時に見ると胃にもたれてしまうので体調を整えて見に行きましょう。


“Renaissant”インターネットに登場

◆最先端の話題であるインターネットで、写真惰報月刊誌「Internet Photo Magazine Japan(http://www.st.rim.or.jp:80/~akirak/)」を公開しているあきらけいさんは、インターネット上に発信する作品を募集しています。
◆単写真、組写真、フォトルポ、エッセイ等、発表の形態は問いません。独自のページレイアウトも可能で、特に、若いアーティストの参加を求めています。その他、写真に関する惰報でしたら何でも載せる用意があるそうで、お気軽にご相談下さいとのことです。
◆掲載は全て無料。 発行の試みも、8月号(8月1日付)で第3号を迎え、Renaissantもバックナンバーを含め掲載されることになり、この新しい媒体上で多くの読者の眼に触れることになります。
◆インターネットの利点は、まず全世界に発信出来ること、そして双方向コミユニケーションの可能性などにありますが、何よりも「安い」ということです。受け取り側の協力(負担)で、人的エネルギー(大変ですが)だけで情報を発信できてしまう。しかも、審査も会期もなく、速報性の優れたギャラリーであり、無名の若いアーティストが作品を発表するのに、こんなに都合のよい場所はありません。
◆若いアーティストの参加を求めています。現在、爆発的な広がりを見せているインターネットに、“Renaissant”と共に参加しましょう。コンピュータ等、機材は一切必要とせず、もちろん無料です。
あきらけい■akirak@st.rim.or.jp


Topics& Comics

予告
連載《プリンター列伝》に向けて


 いうまでもないことだか、写真表現はプリンティングに大きく左 右される。このことはいくら強調してもしたりないくらいだ。カラ ーリバーサルフィルムの印刷原稿使用やスライド映写でもない限り、写真は最終的なプリントという媒体において完成するのであり、それを創出する暗室作業は、表現において重要な位置を占める。モノ クロの引伸しとはネガの解釈そのものであり、8×10判などのコン タクトプリントにも覆い焼き・焼き込みなどのテクニックが用いら れることはある。カラーリバーサルから手を加えずにダイレクトプリントするにしても、自家現像でフィルター操作をほどこしたり、あるいはインターネガを介してカラーバランスを変えるといった手段をとらずに、機械的な変換をあえて選択しているという意味で、やはりプリンティングに対する態度の一つのあらわれであるといえ る。写真を語るにあたって、プリンティングは避けては通れない問題だ。
 にもかかわらず、プリンティングへの一般の理解はあまりに乏し すぎる。それは美術館などにおける媒体の表記に端的に示されてい る。現代のモノクロプリントが「シルバーゼラチン・プリント」なのはあたりまえの話であって、こんな表示には、パラジウム・プリントなりプラチナ・プリントでないという程度の意味しかない「タイプCプリント」なり「チバクローム・プリント」という表記なら、フィルムがネガであるかポジかすぐにわかるし、無意味とは いえないが、所詮は「カンヴァスに油彩」「水彩」といったファイン・アートでの媒体表記をそのまま写真に移しかえたものにすぎない。われわれがほんとうに知りたいのは、そのプリントが作家によって焼かれたものなのか、別の誰かの手になるのかのほうだ。何も、作家によって焼かれていなければ価値が劣るなどと主張したいのではない。作家がプリンターを兼ねる場合もあれば、二人の人物 による合作の場合もある。カルティエ=ブレッソンとピエール・ガ スマンとの関係を見ればわかる通り、作家とその信頼を得たプリン夕一による仕事は、映画での監督とキャメラマンの共同作業のよう に、あるいは浮世絵における絵師・彫師・刷師の関係のように、それぞれが不可欠な領域を担ったコラボレーションなのだ。問題なのは、撮影者の側だけがとりざたされ、表現を大きく左右しているはずのプリンターが影に隠れてしまっていることだ。とかくこの国では、徒弟制度のもとで弟子が師匠のネガをプリントしたり、会社組識のなかに名暗室マンの存在が埋もれてしまうなど、ブリンターが独立した名前をもって活躍する土壌がなかった。
 本紙では、これまで表舞台に登場しなかったプリンターたちを暗室の暗がりのなかから連れだし、彼らの技術、作家との関係、さらには暗室作業という条件のなかで彼らがどのように表現にかかわっているかを白日のもとにさらしてみたいと思う。これは作家の内輪話を興味本意で暴露するのでは決してなく、作品へのオマージュと なるべき営為だ。そして、モノクロの暗室マンが減りつつあり、ダイトランスファー・プリントやタイプBプリントも困難になっていく今日にあって、失われゆく名人芸を伝え、プリン夕一という職業の社会的認知向上に多少とも寄与できればと念じている。(平井正義)
*連載「プリンター列伝」の第1回目は長年にわたり土門拳氏のブリントを仕上げてこられた中村春雄さんです。ご期待ください。

アシスタント日記  高橋 明彦

 4コマ漫画


Wine & Essay

不特定の君へ  じんし みからむ

楽しみは酒の数だけあるのだ! 1995年7月7日七夕はやっぱり雨だった。君はそれほど結論づけたいのか。僕は勝手に表現の虫になる。取り巻きの事情など僕には関係ないことだ。僕は僕の事情で虫になる。 だから、君に、写真の虫になれとは言えない。学芸員の虫になれとは言えない。画廊の虫になれとは言えない。評論家の虫になれとは言えない。でも、どこかで虫との出会いを期待している僕は、どうしても自分の巣に閉じこもっていられず、陽の下にはいずり出てしまう。お互いなかなか出会いはないのだけれどね。
 私は『ひとつぼ展』を見たことがない。ガーディアン・ガーデンというところの場所さえ知らないのだから。でも、アートグラフならば良く知っている。交通事故のスティ−グリッツがいる画廊だな。ちなみに「山鶴」「綾菊」も美味しい酒だな。好きだな。私の記憶が正しければ、「綾菊」「神亀ひこ孫」「王紋」「菊姫」を揃えて呑みくらべてみたい。私の中で、なにやら共通するものが感じられるのだ。勿論これは私の勝手な感覚である。それにしても津々浦々の酒に、それぞれの個性があって楽しい。その楽しみも酒の数だけある。この「酒」という文字を「写真」に変えてもらって解釈されてもよろしかろう。「平井君!三人展は楽しませてもらったよ!心から礼を言おう」。
※「山鶴」奈良県生駒の小きな蔵の酒。「綾菊」は香川県綾上町の酒。

にわか仕込のウンチク講座 米と米こうじ、清らかな水と空気、そして情熱にあふれる人達によって良質の日本酒はつくられる。したがって、増量のために醸造アルコールや糖類、調味液等を加えて3倍の量に増量したその名も「三倍増醸酒(略して三増酒)」と呼ばれる晋通酒をもって「日本酒は甘ったるい」だの「悪酔いする」だのと言い、嫌うのは人生における大きな損失と思ってほしい。これから説明する「特定名称酒」の分類を、頭の隅にとどめて賞味されれば、その酒の様々なことが楽しめるきっかけになることと思う。多少の知識も邪魔にはならないだろう。

  特定名称   原 料    精米歩合      一例(私のおすすめ) 
 純米大吟醸酒         50%以下        男山(北海道)
 純米吟醸酒  米 米こうじ  60%以下        綾菊(香川) 
 特別純米酒          60%以下又は特別な製法 清泉(新潟)
 純米酒            70%以下        神亀(埼玉)
 
 大吟醸酒           50%以下        初夢桜(愛知)
 吟醸酒    米 米こうじ  60%以下        白真弓(岐阜)
 特別本醸造酒 醸造アルコール 60%以下又は特別な製法 新政(秋田)
 本醸造酒           70%以下        浦霞〈宮城) 

用語解説
・精米歩合 酒造りには、米の周辺部分に含まれるタンパク質が雑味の原因となるため、米を削って中心部分を仕込みに使う。例えば玄米1kgから赤糠100gを取り、さらに精米して白糠300gを削ると合計400gが削られ、600gが酒造用白米として残る。この精米歩合を60%という。
・醸造アルコール 特定名称酒におけるアルコール添加の目的は増量ではなく、防腐効果と香味調整のためとされる。醸造過程で普通酒が白米1トン当り720リットル。本醜造で120リットル以下。吟醸の規定は本醸造と同じだが実際は60リットル程度。大吟醸では30リットル程度といわれている。
・吟醸 低温(10度以下)で30日以上かけて仕込む。酵母が活動するぎりぎりの低温で仕込むと、吟醸酒特有の香りが出来る。ちなみに普通酒てば最高15度で20日前後で仕込まれる。

写真の酒解説
・『八海山 純米吟醸』〒949‐71 新潟県南魚沼郡六日町大字長森1051 八海醸造(株) 
 杜氏:新潟 山岳信仰の山として知られる八海山の麓、宇田沢川の側で造られる。創業大正11年。入手しづらい酒だが、特にここの大吟醸は地元でも人手出来ない。浦佐の駅前の酒販店を訪ねて店主に聞くと、「そんなもん、いきなり言われても出せないよ!蔵元が少量生産で売る気も無いんだから。」と言われた。この純米吟醸や本醸造酒は、地元ならだいたい手に入るようだ。ただし、置かれている酒販店は限られている。
・『夏子物語』〒949-45 新潟県三島郡和島村大宇小島谷1537‐2 久須美酒造(株)
  杜氏=新潟 栽培が途絶えた亀の尾という米の品種を復活させ、『大吟醸亀の翁』を生み出した1833年創業の蔵。この蔵の専務が、昔ながらの手法で仕込む『清泉』の酒質に飽き足らず、昭和55年9月、寺泊の料理屋に河合清杜氏(かつての越乃寒梅杜氏)や河合高明杜氏(白瀧の杜氏)達をよんで酒造りの体験談を間いた。その時の河合清杜氏の昭和11年頃に亀の尾で造った吟醸が良かった……という言葉から専務自ら種子を探し、自家栽培に取り組む。尾瀬あきら氏の「夏子の酒」の物語のもととなった実話である。「清泉」の生貯蔵酒(火入れ処理せずに熟成し、出荷時に火入れして熱殺菌する酒)を、特に『夏子物語』として売出したものである。蔵の立地環境も美しく、情熟のある蔵元と推察する。
・『浦霞禅 純米吟醸』〒985 宮城県塩釜市本町2-19(株)佐浦
 吟醸造りの名杜氏平野佐五郎は、南部杜氏の総帥、神様と称された。現在は、私の記憶が確かなら、息子さんが後を継いで杜氏をつとめているはずだ! 別に吟醸でなくとも、ササニシキで仕込んだ純米や、本醸造も旨い。本醸造でここまでやられると、他の酒蔵はやりづらいだろうな、といらぬ心配をしてしまう。私ごとながら、塩竃神社のお神酒を造ってン百年の歴史があるとするなら、私の先祖と何やら親交があったかもしれないな、と思う何やら妙に親近感のある酒蔵でもある。

一言
 伝統という時間の重圧に耐えながら、咲き続ける難しさは現代美術の比ではない…かもしれない。伝統工芸が輝き続ける難しさのように、酒造りもまた難しいはずだ。若い後継者不足と米の品質低下、水質の劣化…日本酒ブームと言いながら、確実に蔵は滅少している。観光スポット化した酒蔵の経営方針に異を唱えるつもりもないが、蔵を見せて酒の理解を深めてもらったとしても、だから酒質の向上に結び付く訳ではない。観光客は土産に酒を買う。短期的にば売上げが伸びる。しかしいつまでも客を呼ベると思うな!結局情熟のある、志の高い蔵が生き残っていくのだと信じたい。 (それは写真環境にも言える事かもしれないな)


Look at me!

ダイアン・アーバス 1923. 3 〜 1971. 7【13】
愛を求め、世界を吟味し、写真に生きた写真家ダイアン・アーバスの言葉で綴る物語
構成 橋本有希子

海外での1年は、一つの啓示となった。
見ることについて多くのものを学んだ。

町の騒音、色彩、手触り、かたち、表情が頭の中を渦巻く。ヴェネチアとフィレンツェでは、ドゥーンを連れて通りをさまよい歩いた。崩れそうな建物をカメラでとらえたかった。スペインで過ごした時間も実り豊かなものだった。トレドの写真は撮れなかった。うまくいかなかった。ホテルの窓からエル・グレコが描いたさまざまな顔が通り過ぎるのを飽かずに眺めた。
8月になって『タイム』の仕事は受けるべきではなく、二人でゆっくり過ごすほうがよいと思うようになった。アランが正しかった。二人はわだかまりを捨て親密さを取り戻した。やがて、アレックスからヴァンスの件はタイムに蹴られたと連絡があった。全く、大騒ぎするほどのこともなかった。
ほっとして、予定通りにヴァンスへ行き、マチスが描いた礼拝堂を自分たちのために撮影した。まるで神の浴室のようだ。
数時間、教会の中に座って、尼僧たちが静かに側廊を行き来する様を眺める。尼僧たちのロザリオの触れ合うかすかな音、巨大なステンドグラスの窓から床に差し込む光。何もない空間を撮るのがいかに難しいかを実感。
パリに戻る。ユゴーのアパートを借りた。ヴォーグから依頼されたファッションの仕事を終え、ちょうど、パリコレの視察に来ていた両親とリッツ・ホテルで会食。
12月、最後の滞在地であるローマに着いた。ローマの町を歩き回ったおかげで、足のまめが破れ、タ方には何時間も足を湯に浸しておかなければならなかったが、こうした素晴らしいものの一端に触れている感じがした。足が治ると町に出て、ローマそのものとの触れ合いを求めて広場やテヴェレ河畔で多くの写真を撮った。少女売春婦や浮浪児たちをわざとぼかして写してみたり。ひたむきに凝視し、被写体を理解したかった。

◆1952年晩春帰国。
体調は余り良くない。

◆1953年
2度目の妊娠。また、おなかに赤ん坊がいることは喜ばしいことだ。少なくとも4人の子供が欲しいのだけれど、アランは反対している。変化する自分の体がとてもいとおしい。その肉体的な感覚によって生きていることを実感できる。女の身体に起こる思いもかけない変化のすべて……女が子供を産むという事実……は信じられないほど神秘的な奇跡に思える。自分が女であること、大地にしっかりと根を下ろし、月の満ち欠けのような自然現象に影響されることにこの上ない喜びを感じる。
実際、生理のときの感覚が好きだ。子宮が痙攣し、温かい血が股間を流れ下がっていくあの感じ。

おなかが大きくなってくると、母にずっと親しみを感じるようになった。母も私の妊娠を喜び、もっとたくさん子供を産むようにすすめてくれた。少なくとも二人の間に共通の話題ができた。女友連ともいっそう親しく接するようになった。

◆1954年4月16日
自然分娩でエイミーを出産。産みの苦しみに耐え、麻酔薬を使わずに、しっかりと目を開けたまま生んだ。これは、人生で最もグロテスクで並外れた経験だった。
エイミーは手のかからない丸顔の赤ん坊で、ドゥーンとは全く違う。ありがたいことにアランにそっくり。この子のことでは何も心配することはないと思う。


編集後記

 編集同人
  谷  博
  鳥原 学
  村上 慎二
  平井 正義
  高橋 明彦
  橋本有希子
  小林 美香
  佐藤 正夫
  野嵜 雄一

Renaissant第13号です。今話題のインターネット上に、月刊「Internet Photo Magazine Japan」を一人頑張っているあきらけい氏を知りました。取材のため「ART GRAPH」を訪ねてこられたのです。ところでインターネットは面白いですねぇ! ギャラリーガイドなどは脱帽です。Renaissant も「Internet Photo Magazine Japan」の一角を借り“Super Network”を拡げます。ところで久し振り村上お兄さんの韜晦ぶり、逆さ読みで登場です。「酒の数ほど」が気に入ったので、その方のウンチクを傾けていただきました。(tan)

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