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長谷正人
千葉大学文学部社会学・映像文化論


[19]小津安二郎における機械的反復

 小津安二郎の『東京物語』(1953)の冒頭しばらくの所に、「単調な機械的反復」の快楽を信しがたいほど見事に表現したシーンが出て来る。東京に出てきた老夫婦(笠智衆と東山千栄子)を、次男の嫁(原節子)が観光バスに乗せて東京案内をするシーンである。ここで丸の内や皇居や銀座の光景を車窓から眺めるバスの乗客たちの姿が何度か映し出されるのだが、その腰掛けている彼らときたら、まるで機械人形のように不気味なまでにピッタリ揃っで前後左右に細かく揺られているのである。言うまでもなくバス走行の機械的で単調な振動に、乗客たちが身体を完全に同調させることによって生じた運動感がここには表現されているのだが、それが実に気持ち良さそうなのだ。私の主張する列車走行のガターン・ゴトーンという機械的反復の身体的快楽を思い出さずにはいられない素晴らしいシーンである。蓮實重彦も『監督 小津安二郎』(筑摩書房、1983年)でこの場面に注目して次のように言っている(145頁)。

「...このバスの場面は、ほとんど官能的といってよいゆるやかな滑走運動によって見るものの感性を武装解除してしまう。これはいかにも嘘だと思われるほどの正確さで、客達は同じようにゆるやかに上下に揺れ、同し方向に視線を向ける。にもかかわらず、人は、このなめらかな滑走運動をいつまでも味わっていたい誘惑にかられる。これほど屈託のない動揺に身をまかせることができたらどんなにか快適なことだろう」

 このシーンだけでなく、小津安二郎は、こうした機械的な反復の快楽を繰り返し見事に表現した映画監督だと言えるだろう。たとえばこれもまた有名なあの『父ありき』(1942)で二度繰り返される川釣りのシーンを思い出そう。父(笠智衆)と子(津田晴彦=子供時代/佐野周二)の二人が川べりに並んで立ち、川の流れにまかせて釣り糸を下流の方へと移動させて行ったところで釣り竿を引き上げては半円形の運動によって上流に垂らし直すその機械的な動作を、二人は不自然なまでにピッタリと息を揃えて反復する。この単調で機械的な動作の反復を見るとき、私たち観客は「視線そのものが運動に同調し、一つのリズムに溶け入って視線であることをやめて」(同書、140頁)しまうはどの官能性を感じる。つまり観客の身体自体が、この反復のリズムに同調して快楽を感じてしまう素晴らしいシーンなのである。いやこうした突出して「単調な反復」を描いているシーンだけではない。小津映画の観客は、彼の作品のあらゆる場所でこの反復の快楽を感じることができる。たとえば登場人物たちが常に機械人形のように歩き、座り、話すという単調な動作を繰り返しているといこともそうだし(小津はリハーサルを繰り返して役者を疲れさせ、彼らが機械人形のようにしか演技できなくなるまで待っていたという)、彼らの会話がほとんど堂々めぐりの循環としか思えない機械的反復によって成立していることもあるし(「そうかしら」/「そうよ、そんなものよ」/「やっぱりそうかな」)、小さな子供の兄弟が出てくれば(『お早う』(1959)や『生まれてはみたけれど』(1932)など)必ず二人揃ってナンセンスな同じ動作を楽しげに反復していただろう。
 だが小津の反復性は、こうした映画内容の水準で存在するだけではない。より重要なのは小津作品の編集のリズムである。小津の映画は、常に一定の機械的リズムによって画面が積み重ねられていく。クライマックスに向けて映像転換のテンポが早くなったり、事件の後の叙情感を高めるために長回しのショットを置いたりといったことがほどんどない。まるで時計のように機械的なリズムで映像はモンタージュされていく。たとえば向き合った二人が会話を始めると、ショットは嘘のような正確さで二人のバストショットを交互に反復しだす。そのときセリフの途中で、セリフを聞いている相手方にショットを移すといった変速的なリズムは決して使わない。一つのセリフを一つのショットに正確に対応させて、会話は機械的なリズムを刻んで進行していく。だからこそ彼の映画は、しばしば「淡々としている」とか「起伏のない単調な」といった形容で批評されるのである。しかしこの一見「淡々とした」単調な編集のリズムこそが、彼の映画の魔力の源泉にほかなるまい。その淡々とした映像のリズムに身体が同調しはじめたとき、私たちは映画の内容自体とは関係なく、あの列車に揺られる快楽とよく似た単調さの魅力に取りつかれてしまう。柄谷行人がどこかで、ニューヨークで小津を見たとき自分が麻薬を吸っているのではないかと錯覚したと述べていたが、こうしたトリップ感覚こそ、小津映画の反復性が生み出す快楽なのである。
 単調な機械的反復の身体的快楽を観客に教えてくれる小津映画。だがここで微妙な問題が生じてくる。蓮賽重彦のかの名著は、小津の機械的反復の魅力について上記のように論しているにもかかわらず、結論的には次のように主張しているからだ(176頁)。

「...小津安二郎は断じて「単調な」作家ではない。ひたすらおのれの美意識に固執しつづけようとした頑迷な「作家」でもない。彼は、統一性と多様性とが同じ資格で共存しうる豊かで複数的な細部の戯れをフィルムの表層に組織することの可能な、言葉の真の意味で開かれた「作家」なのである」

 つまりここで蓮賽は、小津が「単調な」作家ではなく「豊かな」世界を描いた作家だと言っているのである。少なくとも一見したところは、これは私の主張や蓮賽自身の「機械的な反復」をめぐる先の議論とも矛盾してしまうだろう。私の考えでは、小津はやはり単調だからこそ素晴らしいのだから。同じ題材(娘の結婚)を繰り返し描くとか、同じような役者たちが同じような場面で同じような会話を繰り返す(中村伸郎、北竜二らの料亭での性をめぐる会話)とかいった複数の作品を横断する単調な反復にせよ、心理的な盛り上がりのない物語の単調な進行のような個々の作品の単調さにせよ、それらなくして小津を愛することは私には不可能なように思われる。麻薬中毒患者のように全ての小津作品を繰り返し繰り返し私が見てしまうのは、どうしても彼の作品の「単調さ」の快楽のせいだとしか思えないのだ。だから私は、はじめてこの『監督 小津安二郎』を手にした15年前にも、ほとんど興奮と感動のなかで読み進めつつも、このあたりの議論に微妙な違和感を感じたのだった。蓮賽があまりにも、小津映画における過剰で豊かな細部(食べ物の移動、着替えることのサスペンス、異様な間近さで迫る壁など)を強調していたからだ。それは確かに正しいのだが、では私の「単調さ」ヘの偏愛はどうしてくれるのだろうかと。
 恐らくこう考えるべきだろう。まず小津の「単調さ」と「豊かさ」とは互いに対立せずに相補的な関係にあるのだと。さらに「単調さ」こそが彼の「豊かさ」を際立たせているのだと。たとえば蓮賽自身は次のような微妙な言い方をする(109頁)。

「つまり、説話論的な構造の単調な貧しさとは対照的に、小津は、フィルムの主題論的な体系にあってはその映画的感牲をいっせいにおし拡げ、意義深い細部の連帯の環を豊かに張りめぐらせてさえいるのだ」

 強引に単純化してしまえば、彼は小津の映画の中心的な物語(説話)は「単調」かもしれないが、「対照的に」その周辺に存在する様々な視覚的細部(主題)は実に「豊か」だと言っているのだ。たとえば『麦秋』(1951)で杉村春子が息手に頼まれたわけでもないのに原節子に嫁になってくれと勝手に唐突に頼んで(しかも他の用事のついでに)、結局は承諾を取り付けてしまうあの奇妙なシーンは、物語的には信じられないほど全く単調だろう。何かの心理的説明や映像的な暗示さえもないままに結婚を決心してしまう原節子は、いつもの小津映画の単調なパターン(娘の結婚)を踏襲するために機械的に申し出を承諾してしまったかのようにさえ見える。しかし蓮賽は(もちろん私もそうだが)、その承諾を受けた瞬間に杉村春子の口から漏れる「アンパン食べない、紀子さん」というセリフに注目する(私は何度見ても、このアンパンの一語に身体中が震えてしまう)。つまり世界映画史上最も内面的整合性と性的盛り上がりを欠いた「単調な」プロポーズ・シーンは、小津映画にあって重要な役割を果たしてきた「食べ物」の主題(アンパン)の唐突な挿入によって実に豊かな意味を帯びだすのだ。換言すれば私達は、原の結婚をめぐる場面を見ながら、食べ物という小津的「主題」についての場面も同時に見ることになる(しかもそれは他の小津映画の「食べ物」場面と結びつく)。この複数の物語の同時進行こそが小津の「豊かさ」だと蓮賽は言うのである。
 確かにそうだろう。しかしそのとき蓮賽は、先行研究・批評における小津の「単調さ」と「頑迷さ」の強調に反発するあまり(つまり否定的言説に「否定的」になるあまり)、少しばかり小津の「豊かさ」を(単調に)強調しすぎたのではないか。むしろ「並置と共存」という小津的視点に私達もまた立つためには、物語の単調さとは「対照的に」小津の細部がいかに豊かであるかを強調するよりも、説話の単調さこそが彼の細部の豊かさを輝かせている原因だと説明すべきだったように思われる。たとえばアンパンの一語が「豊かな」輝きを帯びるのも、原の結婚承諾があまりに機械的で「単調」であったからではないのか。もしこの承諾に原の心理的な豊かさが備わっていたなら、私達は恐らく「アンパン」の一語にそれほど深く感動できなかったに違いない。だから蓮賽が否定する小津の説話的「単調さ」こそが、逆に小津映画の「生」の豊かさを導き出す根源的な条件だと私はあえて主張したいのである。
 しかし実は蓮賽重彦もこのことに全く気付いていなかったとも思えない。彼もまた別の所では、小津が「戦略的な不自由に徹すること」によって自由な作家たりえたと主張しているのだから(130頁)。

 そもそもの始まりから、映画とはきわめて不自由な環墳なのだ。それ故、移動撮影か、パンがティルトか、固定画面か、その三つしかないキャメラワークによってフィルムに定着されたイメージを、編集によって適宜組みあわせながら一篇の作品を完成させ、そこに単調さの印象を生じさせまいとする試みは、自由を装った不自由さへの埋没にほかならない。(中略)もっとも自由な映画とは、戦略的に不自由に徹することで、映画自身の限界をきわだたせうるような作品だということになるだろう。そうした意味で、小津安二郎は、この上なく自由な作家の一人だといわねばなるまい。

 ここでは蓮賽も認めているのである。小津が戦略的に「不自由さ」(動かないカメラや単調な編集や盛り上がりのない物語)に徹したことこそが、彼の映画の「自由さ」と「豊かさ」を際立たせたのだと。やはり小津は単調なのだ。単調であることこそ映面の、そして「生」そのものの「豊かさ」の根源にあるのだ。