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長谷正人
千葉大学文学部社会学・映像文化論


[15]「イディオ・サバン」あるいは「具体の視線」

 オリバー・サックス著『妻を帽子とまちがえた男』(晶文社)の前半部には、前回説明した「失認症」患者を初めとして、記憶喪失やパーキンソン病など悲惨な症例が数々と紹介されている。その症状は確かに多様だが、ただしそこにはある共通性もある。つまりここで取り上げられる患者の多くは、自分の家族の写真を見せられてそれを「抽象的な判じ物」のように解読しなければならなかったり、あるいは自分の足を「パン生地」のように不気味なものとしてしか感じられなかったりする「失認症」患者のように、この世界の息吹や生命の温かみや時の流れを生き生きと具体的に感じとることができなくなった人々、世界をもはや「抽象的」な冷えた世界としてしか認識できなくなってしまった悲惨な人々なのである。彼らの生活がどれほど冷え冷えして味気ないものか、想像しただけで気が重くなってくるほどだ。そしてむろん、それこそが、ゴーリキーがリュミエール映画から感じ取った「灰色の世界」に対応している。日常的な生活のなかで私たちがふだん感じ取っている色、昔、温かみなどが全て奪われてしまった抽象的な「死の世界」としてのリュミエール映画・・・。
 だが、リュミエール映画をそのように見たのは、実はゴーリキーぐらいのものだ。むしろほとんどの新聞批評を読む限り、世界初の映画観客たちは「動く写真」を見た衝撃を、「まるで生きているみたいだ」と表現している。たとえば、次の『工場の出口』に対する新聞の紹介記事を読んで欲しい。そこでは、この映画が実に生き生きと描写されているだろう。

「男たちや女たちは互いに押し合いながら、笑っている。自転車がちょっとした隙間を見つけて素早く走り去って行く。大きな猟犬が満足したようにゆっくりと前庭を横切る。人々の歩く速度の様々な違いもまた興味深い。人間たちの振る舞いが示すどんな小さな記号もけっして見逃されることはない」(O.Winter, 1896‘Ain’t it Lifelike!’, ただしここでは、Sight&Sound誌の1982年秋号(51-4)に再録されたものより翻訳)

 ここには確かに生き生きとした「生命の世界」がある。後から後から男や女や自転車や犬が工場の門から湧いて出てくる様子が実に微細な所まで鮮やかに捉えられているのだから。この文章からは「灰色の」「死の」世界など全く感じることはないだろう。しかし残念ながら、私たちがこの映画を見ても、こうした「生命の世界」には見えないのだ。工場の出口から大勢の労働者たちが帰宅していく場面であることを「意味」として「抽象的に」理解したとたん、私たちにとって一人一人の「振る舞い」の様子などどうでも良くなってしまう。何だかごちゃごちゃ人が歩いているなと思いながら、ぼんやり遠くから退屈な光景を眺めるばかりである。だから逆に言えば、この新聞記事の具象的な「視線」は私たちにとってほとんど驚くべきものである。犬や男や自転車にいちいち視線を投げかけていることなど信じられないほどだ。彼らはなぜ、あの音も色も温かみもない「灰色」の映像世界を、これほどまでに具象的に、様々な「生命」が生き生きと運動する世界として見ることができたのだろうか。私たち現代の映画観客が、映画をこれほど生き生きとしたものとして見ることなど恐らく不可能だろう。私たちは映像を「意味」として「理解」し「認識」するのに精一杯なのだから。こうした、映像に対する具象的な視線はおそらく、世界で初めて映画に出会った19世紀末の人々だけが特権的に獲得できた何かに違いない。ここで再びオリバー・サックスによる症例がヒントになる。『妻を帽子とまちがえた男』の後半部にでてくる「イディオ・サバン」(知恵遅れの天才)たちの話である。たとえば、22章に出てくる知恵遅れのマーチンは昔楽を習ったことももなく、譜面も読めなかったが、一度聞いただけで、オペラでもオラトリオでもたちまち記憶することができた。そして二千曲以上のオペラを暗記していたのである。いやそれどころか、彼は自分が見た全てのオペラ公演の出演歌手、背景、演出、衣装、舞台装置を細部にいたるまで記憶しており、さらにほとんど信じがたい事だが『グローブ音楽・音楽家辞典』全9巻6千ページ(1954年刊)を全て暗記していたのである。これらは全てメトロポリタン劇場の有名なオペラ歌手だった父親の影響であり、辞典は全て父親が朗読してやったものだと言う。・・・この索晴らしい記憶力の話を聞くと、私たちは彼を何だかコンピューターのような機械的人間ではないかと想像してしまう。彼はコピー機のように、オペラについて聞いたこと見たことを複写して貯蔵しているだけではないかと。しかし違うのである。サックスによれば、彼の才能は「たんなるコツや驚くべき機械的記憶力ではなく、本物のすぐれた音楽的知性」あるいは「創造的知性」(327-8頁)だというのだ。
 どうしてか。なぜ、辞典の平板な記述を暗記することが「創造的知性」なのか。同書の別のところで紹介されている科学者メンデレエーフの興味深いエピソードがその謎を解いてくれる(349頁)。

 「彼は元素の性質を周期律順にカードに書いていつも持ち歩いていた。そしてそれらにすっかり慣れ親しんだため、それらの性質が見慣れた顔に見えてきた。諸元素の性質を図像的に、観相学的に受け入れるようになったのである。したがって、周期律順にならんだすべての元素の表を前にして、宇宙の顔を見ている気になったのだった。このような科学者の心は本質的には「図像的」であって、すべての自然は、人の顔または光景(シーン)として見えている。音楽として見えていることもあるのだろう」

 つまりマーチンもまた、メンデレーエフのように辞典の平板な記述を「観相学」的に眺め、そこに「図像的」な表情を読み取っていたのだろう。だから彼にとっては、辞典もまた生き生きした色合いを持った記述として記憶されたのだ。このような「イディオ・サバン」の知性のあり方をサックスは「ロマンチックな科学」と呼び、以下のように説明している(296-7頁)。

 「一語で言えば、それは「具体性」ということである。彼らの世界は生き生きとして、情感するどく、詳細にわたり、それでいて単純である。具体的だからである。抽象化によって複雑になることも、希薄になることも、統一されてしまうこともないのである」

 こうして、漸く私たちは映像の話に戻ることができる。世界で初めて映画に出会った人々は、それを理解するためのいかなる文化的枠組みも持っていなかったので、まるで「イディオ・サバン」たちのように、「具体的」な視線によって、リュミエール映画の「表情」を「観相学」的に見ることができたのである。逆に、既存の知的枠組みで「意味」を「理解」しようとした作家ゴーリキーにとっては、それは「死の世界」でしかなかった。それは私たちにとっても同じである。私たちにとって、リュミエール兄弟の作品群は、「赤ん坊の食事」「列車の到着」「海水浴」「カード遊び」といったように、19世紀末のフランスのプルジョワジーの日常生活の様々な断片を、次々と「辞典的」に平板に記録した退屈な映像にしか見えない。だから、たとえば「赤ん坊が親子と親密に食事している光景だな」と意味を理解したとたんに、「赤ん坊の食事」という作品は他に何も得ることのない映像になってしまうのだ。しかし「具体の視線」を持った当時の観客たちは、そこに生き生きとした「表情」を感受することができた。リュミエールの初上映会に対する「ラ・ポスト」紙の批評(1895年12月30日)を読んでみよう(E.Toulet "Birth of the Motion Picture", Harry N.Abrams(1995)より引用)

 「そこには親密なシーンもある。家族が集まってテーブルを囲んでいるのだ。赤ん坊は、父親が食べさせようとするお粥を少し口からこぼしてしまっている。そのとき母親は微笑んでいる。遠くの方で木々が揺れている。赤ん坊の前掛けがそよ風に持ち上げられるのが見える。」

 「具体の視線」は、現代の観客が絶対に気づくことはない些細な光景、つまり赤ん坊の前掛けが「風」に捲りかえったり、背景の木々が「風」に揺れていることにまで注目している。そう、彼らは「親子の食事」という中心的主題を「理解」するよりも前に、その場面を吹き抜けている「風」を触覚的に感じてしまったのだ。映像のなかの光景を浸している「風」の存在に具象的に反応すること、これが「イディオ・サバン」的な「視線」による特権的な映画体験なのだ。そして、それこそが「言葉」による伝達とは決定的に違った、映像表現というものの根源に結びついた特徴ではなかったのか。映画とは本来、そうした「イディオ・サバン」的な、「図像的」で「観相学的」な認識を可能としてくれるメディアではなかったのか。私たち現代の映画観客もまた、初めて映画を見た人々と同様の「具体の視線」によって、この100年間に蓄積されてきた映画群をもういちど見直さなければならないだろう。