TopMenu / DO-YAH Menu

4月14日 鹿児島−黒島

 朝は7時起床。
 結構寒い。
 エアーマットの裏にガムがくっついていて、いきなり憂鬱になる。(エアーマットにシュラフとシュラフカバーというスタイルで寝ました)
 近くのコンビニでグランドシートを買おうとしたのだが、売っていなかった。
 サンドイッチだけを買って港に戻る。
 みしまは、荷役作業中だった。
 切符を買ったり(黒島片泊港まで2,950円)、原稿を書いたりして過ごす。
 現在8:10。待ち合い所からアップロードします。出港は9時の予定。


朝の様子


こちらが「みしま」

 船は、以前のとしまよりは大きいものの、定員250名ほどなので、たいしたことはない。船内には食事のできるスペースはなく、自販機でカップ麺は買えるものの、雑魚寝状態の船室で揺れに耐えながら食さねばならない。私は、丁度昼時に硫黄島に停泊中に食べたけど。(ええ、もちろんカップ麺をね)
 乗客は、土曜日ということもあってか(昨日が13日の金曜日仏滅だって知ってました?)、30人くらいはいるようだった。ただし、バックパッカーは皆無。うーむ、私のように、格安航空券狙いで来ているひとがいるとにらんでいたのだが。
 船は、竹島、硫黄島、黒島大里港で荷を下ろし、黒島片泊港へ。(黒島は2ヶ所停泊する)
 定刻やや遅れの、16:10頃だった。
 船は、このまま片泊港に係留され、明後日月曜日の朝8時に出港予定だ。(私も乗る予定)
 港からの急な坂道の途中に酒屋と、ふれあいセンターがあった。酒の方は、昨日買った360mlペットボトル入り焼酎があるからいいとして、ふれあいセンターの方は、情報を仕入れようとしたのだが、鍵は開いているものの不在だった。
 さらに行くと小さな商店があり、少々買い物しつつ情報収集。登山道の入り口を聞いた。
 ふれあいセンターの庭にテントを張ることをすすめられたが(こういうところが、鹿児島の島旅のいいところなのだ)、登山道に近く、また、当初予定していた白衣観音まで行くことにした。
 歩き出して2分もしないうちに、車が止まってくれ、乗せて行ってくれることに。
 鹿児島から単身赴任している奥さんで(建築事務所のまかないなのだそうだ。だれもやってくれる人がいないので、鹿児島に旦那さんを残して来ているという。もともと、ここの現場事務所の所長を旦那さんがしていたそうだ。島暮らし希望者は連絡されたし。大変困っているようだ)、色々話をしなが、建築事務所にも寄りつつ、白衣観音の所まで連れて行っていただけた。
 現在、夕焼けを待ちつつ、そこでこれを書いている。
 うすぐもりなので、夕焼けは期待できそうにない。
 風も出てきた。
 ここには電気も水道も屋根もないので(船で水を補給しておいて正解だった)、テントを張った。
 この観音様は、明治時代にこの海域で枕崎の漁船が台風にあい、数百名が亡くなるという海難事故があったため立てられたもので、今でも毎年慰霊祭が行われているそうだ。今ある観音様は、枕崎の市長が建てたのだと、送ってくれたおばちゃんが解説してくれた。
 おばちゃんの解説では、ドコモの携帯電話も片泊ではだめで、大里へ行けば大丈夫なのだそうだ。まぁ、どちらにせよ、私は持っていないので無関係だけどね。
 そうそう、遅ればせながら、黒島の解説を。
 所属は三島村で、人口は240人ほど。大里と、片泊の2つの集落がある。
 もともと、戦前までは、三島村と、とから列島の十島村はひとつの村で、役場は現在の十島村の中之島にあった。大戦終了後、北緯30度線で分断され、今の十島村は米軍が統治し、今の三島村は鹿児島県に属したままとなった。
 詳しい話は置いておくとして、まぁ、そんな島だ。
 結局夕焼けなかった。
 ここは、グリーンフラッシュ現象が見えることもあるという、夕焼け好ポイントのはずだったのだが。
 まぁ、さっさと寝て、明日に備えるとしますか。
 そうそう、夕食は、カレーライスと焼酎のヤンロン茶割ね。


片泊港停泊中の「みしま」


こちらが観音様


その先の海への急な階段。釣りにはいい場所らしいのだが、私はここで引き返しましたとも

 結局、文字が読めなくなる19:30くらいまで読書して、眠りについたのでありました。