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7月10日 与論島―奄美大島(名瀬)

 5時頃、激しい雨音でいったん目をさましたが、結局8時近くまで寝ていた。
 朝食の支度をしている時に雨はあがり、蒸し暑くなってきた。
 天候は曇。風もあまりない。
 天気が良くないし、昨日島は一周しているので、特にやることはない。天気が良ければ潜りに行くつもりだったのだが。
 食事の後、原稿を書く。
 だらだら後片付けや整理をしても、まだ10時。沖永良部島、徳之島を経由して奄美大島の名瀬へ向かうフェリー(そのフェリーは那覇発で、最終目的地は鹿児島)は、13時の出港だ。
 雨の降らないうちに、JA前にアップロードに行きますか。
 と、いうわけで、現在10:20。ではアップロード。

 時折小雨がぱらつく中、フェリーの着く港のトイレを利用して米を研ぐ。
 準備の後は、子供たちが釣りをしているのを少し見学し、その後は読書。今回、4冊半の文庫本を持ってきたのだが、いよいよ最後の5冊目になってしまった。
 12時に昼食を食べた。
 フェリーは珍しく予定通り入港し、定刻の13時に出港した。奄美大島の名瀬までは、3,840円である。
 浴室のシャワーで汗を流し、少し飛び魚が飛ぶのを見た後は、これといってやることもない。
 船内は、土曜日ということもあるのか、今までで一番の乗客で騒がしい。それでも2時間くらい寝た。 特に、徳之島からは、うじゃうじゃレベルに達し、2等はほぼ満席だった。
 フェリーは、沖永良部島、徳之島に寄港し、さらに、魚雷を受けて沈没した「富山丸」慰霊のために、海上を一周した。
 富山丸は、昭和19年の6月末にアメリカの潜水艦の魚雷を受け、徳之島 の亀徳港沖に沈没した。で、時期になると、こうして船上で慰霊祭がささやかに行われているのであった。放送があったので甲板へ行くと、花を一輪渡されたので、私も海に向かって投げた。スライスされたスイカや、おにぎりや、タバコも投げられているようだった。スイカは、水面に当たると華々しく砕け散って、それはそれで美しかった。
 2等船室に寝ころがって、窓の方を見ると、茜色に染まった雲がゆっくりと流れて行くのが見えた。空だけしか見えないので、何だか飛んでいるように見えるのだが、揺れは確かに船だったりするので、飛行船とはこんな感じか? などと、馬鹿なことを考えた。

 寝ることと、ビールを飲むことと、本を読むことと(ついに全ての本を読み尽くしてしまった)、原稿を書くことしかやることもなく、フェリーは21:10に名瀬港に入港した。
 さてと、どこに寝ぐらをさがすかな。
 とにかく、名瀬港でアップロード。

 結局、また、新しい港脇の公園の屋根の下にテントを張り、食事を作って食べて眠ったのでした。23時頃かな?


与論島の施設。奥のテントが見えるかな? 夜通し明かりがついてました