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まとめ

そのスピードで
 5日間、57本、33,450円。
 乗った路線バスの本数と、乗車券の総額である。
 距離の算出は大変なので割愛するが、800kmくらいだろうか。その他、徒歩が12kmくらいだろう。
 この時間、この金額、あなたはどう考えるだろうか。
 私には、なかなか面白いゲームだった。
 路線バスのスピードは、絶妙である。風景が染み入るのだ。
 帰りは電車を使ったのだが、車窓から流れる風景は早すぎ、溶けてしまっていた。
 北へ向かう時には、バスの車窓から走り去る電車を眺め、南へ向かう時は、通ってきた町並みを見下ろすことが出来た。(電車は高台を走っていることが多いのだ)

桜の季節
 この季節に旅したのは大正解だった。
 桜前線に追い付き、追い越し、そして追い付かれる。
 そんな感じだった。
 3日目、越河駅前でかじかんだ手を暖めつつ、バスを待っていた。駅は無人で、ホームへ出ると、3分咲の桜が広がっていた。それを私は写真に撮った。
 その3日後、私は電車で南へ向かう途中、再び越河駅のホームに立った。わずか20秒ほどだったのだが、上着を脱がなければならない暖かさで、満開の桜が広がっていた。見とれている間に、発車を告げる案内があった。
 どうやら私は写真家には向かないらしい。シャッターを切るのを忘れていた。
 本当に残したい風景をレンズ越しに見ることは出来るだろうか。

意外にも
 バスの旅、ということで、他の乗客との交流を期待される方は多いかも知れないが、現実には、そんなことは殆ど無い。
 ローカルなバスになればなる程、私は場を乱す侵入者と化し、徹底的に無視される。
 今回、声を掛けられたのはたったの2回で、そのどちらも都市部でだった。

消えゆく路線バス
 改めて語るまでもないが、廃止は続いている。
 乗客が少ないのは確かである。
 今回、全体の30%の時間が乗客が私ひとりという状況だったし、5人以下で考えれば、80%に届くだろう。立って乗らなければならなかったのは、東京都内で一回と、仙台市内で一回(これは乗るのを避けられるバスだったのだが)のみ。帰りの電車では、2時間以上立たなければならなかった。

戻りもまた大変
 そんな予感はあったのだが、戻りも、また苦労させられた。
 東京へ土曜日(17日)の夕方には戻りたいと思っていたので、夜行バスか寝台特急を利用して帰るつもりでいた。そのための下調べもしてあった。
 がしかし、思わぬ落し穴、というか、ああ、また馬鹿やってしまった、という事態になってしまったのだ。
 あまりに北へ行きすぎてしまったおかげで、夜行バスプランは無理になってしまった。東京から距離がある分、夜行バスの出発時間は早く、例えば十和田市からは、20:10が発車時間となっている。十和田市到着20:49なので、乗るのは不可能だった。
 次に、寝台特急プラン。
 上野行きが22:00に三沢駅に停車するため、私は十和田観光電鉄で三沢へ向かった。十和田市にはJRは走っていない。
 三沢駅のみどりの窓口へ行き、寝台特急の空きを確認する。
 幸い、空きがあった。
 が、そんな予感はしていたんだよなぁ、の、事態発生。
 金がわずかに足りないのだ。
 クレジットカードで払おうとしたら、みどりの窓口では、JR東日本発行の「びゅうカード」しか使えないと言う。ちなみに、びゅうプラザでは、大抵のカードが使えるが、三沢駅のびゅうプラザは17:00までの営業であった。(余談だけど、私は5年くらい前、恵比寿駅構内でキャンペーンな人の「大丈夫ですよ」の声に載せられて「びゅうカード」の申請書を書いたことがあるが、審査によって発行してもらえなかった)
 イオカードの金額を足せば切符が買える、と思ったら、三沢駅ではオレンジカードしか使えなかった。
 タクシーの運ちゃんに聞いて回ったのだが、キャッシング出来るATMは三沢には無い、とのことだった。
 駅員の薦めで、200mくらい離れた駐在所へ大急ぎで行ってみたのだが(借金するため)、警官はパトロール中で不在だった。
 むむむ。
 途方にくれて、22:00発の寝台特急を見送ったのでありました。
 仕方ない、飯でも食いながら対策を考えるか、と思って駅前に出たのだが、開いている食堂はなく、なんと、コンビニは22:00までで閉まってしまっていた。
 少し離れたコンビニは23:00までで、ようやく食料を仕入れることが出来た。
 駅へ戻ると、みどりの窓口も閉まっていた。22:10までだったのだ。
 なんてこったい。
 駅員に頼んで、時刻表を貸してもらった。
 次の電車は、23:40発の八戸行きで、たっぷり時間がある。
 三沢空港から飛行機で帰ることも考えなくはなかったけど、2.1万円という価格よりも、飛行機は空を飛ぶ、という点で、断念した。
 まぁ、なるようにしかならん、という開き直りで、三沢から東京までの普通乗車券を買った。9,560円だった。
 時刻表を検討した結果、電車の乗り継ぎは意外に良くて、八戸5:52発の電車に乗れば、18:21に赤羽に着くことが判った。(赤羽からは埼京線に乗って新宿へ戻ることになる)
 ところが、これでは土曜日の予定に遅刻してしまう。
 あとは、パズルのようなもの。
 郡山から宇都宮までだけ東北新幹線を使えば、17:10に赤羽に着き、予定に遅刻しないで済むルートが作れた。ただし、3,030円の追加となる。うーむ、1時間10分の時間の価格は、3,030円なのか。
 最終電車に乗って八戸に着く。駅前は閑散としていた。八戸は、八戸駅より本八戸駅周辺の方が栄えている。
 さぁ、何処で寝るか、と考えていると、70歳くらいと男に声をかけられた。
「泊まる所ある?」
 宿泊施設の呼び込みだった。かなり怪しかったけど、寝るだけ1,500円という価格につられて、男の後について5分くらい歩くと、古い商店跡に着いた。
 どう説明しようか。
 何だか倉庫のような感じだが、広さは20畳近くあった。ただし、部屋の隅には、物がごちゃごちゃ置いてあったが。
 そこに布団が10組くらいデタラメに敷いてあり(台やソファらしき物の上にも引いてあり、並びもそうなのだが、高さがバラバラなのだ)、先客がひとりいた。
 案内してくれた男は、ストーブに火を着けると、金を受け取って帰って行った。
 先客は、31歳の男で、終電がなくなったので泊まるとのことだった。タクシーだと3,000円以上かかるので、泊まった方が安上がりなのだという。
 宿泊所には寄せ書きノートがあり、旅人には知られた宿泊所らしかった。
 古いTVがあり、プロ野球ニュースを見てから寝た。
 翌日、始発に乗って東京へ向かう。
 ルートは作ったものの、結局新幹線に乗ることはしなかった。
 赤羽で埼京線に、新宿で中央線に乗り換え、家へ寄る間もなく(私の住居の最寄り駅は新宿御苑)、四谷には18:51に着いた。
 予定を済ませた後、歩いて家へ帰ったのでありました。


5日間の、大雑把な軌跡