TopMenu

まとめ

奥尻島が受けたダメージは深い
 ようやく奥尻島を訪れることが出来た。十年来、行きたくて仕方なかった所だ。くまなく北海道を巡っている私にとって、北海道の島に対する興味はつきない。
 奥尻島が地震に見舞われた年は、1月に釧路沖地震があった年でもある。その頃、私は十勝に住んでいて、帯広でその地震を体験した。レンタルビデオ店にいた時だった。液状化現象をおこした大地は激しく揺れ、UFOキャッチャーのゲーム機が床をすべっていき、金属製の大型キャッシュレジスターはカウンターから転げ落ち、ビデオのパッケージが並べられていた棚は一つ残らず倒れた。レンタルビデオ店近くの酒屋、電気屋の惨状は、呆然と見とれてしまうほどだった。不思議だったのは、その地域からわずか数百メートル離れた所にあるコンビニが平常営業を続けていたこと。地盤による揺れの差を目の当たりにした。この地震により、春まで帯広−釧路間の鉄道が不通になったままだったことは、以外に知られていない。
 この年の3月、私は北海道を後にしている。そして、7月に奥尻島を地震と津波が襲った。どちらの地震も夜発生している。
 あれから5年くらいたっているのだろうか。
 民宿に泊まったのだが、そこには、各部屋に地震に関する書籍が一冊づつ置いてあった。地震と、それからの復興の記録がまとめてあった。
 しかし、今でも島は復興に向かっている。

海を眺めて暮らせるか?
 海岸に民家のある地域では、高さ5mくらいの防波堤が造られている。
 真新しいコンクリートの建造物。
 所々に大きな鉄の扉があり、くぐると、漁船が数隻止めてあるスロープと、地震前には機能していたとみられる小さな突堤があった。海は、澄んで美しい。振り返ると、岸づたいに白い岸壁は続いていく。
 レンタカー屋の親父が言った。
「あの前は、何処からでも海が見えたんだけど、今じゃ壁だらけで。観光客には面白くないかもね」
 島民は、白い壁に守られた代わりに、海を眺めて暮らすことを失った。
 真新しい防波堤の上に立つ。山側を見れば、民家が見下ろせる。海側を見れば、遥か下に砂浜を見ることができる。落ちれば、おそらく命を失うだろう。
 このような建造物を望んでしまう程、津波による島民への傷跡は深い。白い壁を眺めて暮らすことを本心から望んでいる人などいないだろう。
 もっともショッキングな壁だった。
 私の奥尻島の印象は、白に尽きる。白い壁、白い防波堤。白い道、白い漁船、白い工事現場。新しさの白は、悲しい白だった。
 再び訪れた時、これらが鮮やかな島の色に染まっていること願って。